ごきげんよう六華姫

六華時々ごん太byごんママ

退院はしたけれど…

2018年09月26日 | Weblog
12番目の胸骨圧迫骨折と言われて入院していた母は、
入院3日目にもうベッドの上に座り、5日目にリハビリ開始。
そして10日で退院しました。
痛みはあるらしいのですが、普通に歩いています。
やっぱりうちの母はすごい人です。

ただ、その入院中本当に振り回されました。
「明日は工事業者が来るから、病院に来れないからね。」と
念を押したにもかかわらず、バックや常備薬を持ってきてと、
1日に何度も電話して来る母。
特に薬は病院で出るもの以外飲めないと、何度説明しても言うことを聞きません。

その日は美容院に行ったり、工事業者が来たり、銀行へ行ったりと、
用事が立て込んでいたのですが、12回もの母の同じ電話にもう頭がおかしくなりそうでした。
しかもこちらの話は一切聞かずに、自分の言いたいことだけ言って電話を切ります。

そして、これはまた別の問題なのですが、
入院して2日ほどはベッドから動くことを禁止されていたので、
トイレにも行けなかったため、当然お世話が必要です。
そのお世話に、男性の看護助手が黙って部屋に入ってきて、
声もかけずに作業を始めようとしたので、びっくりした母はやめてほしいと
拒否したところ、何かを投げつけて怒って出て行ったと言うのです。

母の話も100%ではないとは思いますが、女性のトイレのお世話を男性にさせる
病院の方針にちょっと疑問を感じました。
母は看護師にあったことをすべて話したらしいのですが、もう中に入れないので、
誰にも言わないで黙っていてほしいと言われたそうです。

今度は男性看護助手を部屋に入れない代わりに、連休中など男性看護助手が多く
入っている日は、ナースコールを押しても誰も来ないと言い、私に
「ほったらかしにされている。もう死にたい。」と電話してくるのです。

それでなくても、父の今後のことや母の生活のことなど、もういろんなことで頭がいっぱいなのに、
ストレスでつぶれてしまいそうでした。
睡眠がおかしくなり始め、寝付けてもすぐに夜中に目が覚め、そこからはもう眠れなくなる日々が続き、
少し前は母を説得している夢まで見ました。
めまいが止まらず、それでも1時間車を運転して両方の病院へ行かなくちゃいけないし、
絶対に私が倒れてはいけないと、パンパンに気が張っていました。
自分の親だし、誰に文句を言っても始まらないことなのですが、
ごんパパが支えてくれなかったら、どうなっていたかと思います。

そんな手のかかる母も、なんとか無事に退院してくれましたが、
今度は父をどうするかで、てんやわんやです。
両親の年金額を考えて、父が入れる施設があるのか、次の週末に見学に行くのですが、
結局老健でも、特養でも、住宅型や介護付きの老人ホームであっても、ひと月にかかる費用は
ほとんど変わりません。
それに少ない年金の中から、かなりの介護保険料を支払っています。
なんとか父一人を施設に入所できても、残った母の生活が成り立たないのが現状です。
施設が無理となると、週に何日かヘルパーさんを入れ、ショートステイなどで
乗り切るしかないみたいです。

今直面している両親の生活のことを考えると、自分たちの老後も本当にお金が必要だなと痛感します。
世の中、やっぱりお金なんですかね…
なんかやりきれない。



コメント (2)
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