空と風と、月と、星。

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先日、天皇皇后ご夫妻が慰問に訪れた、パラオのペリリュー島。ペリリュー島の戦いとは。

2015-04-24 18:00:00 | 日中・太平洋戦争のこと
こんにちは。間隔が開いてしまいました。(諸事情でなかなか、更新が進まず)


この間の、天皇皇后ご夫妻の、パラオ訪問について、
山梨日日新聞4月10日付の紙面、総合面記事冒頭記事を紹介。

--------------転載ここから。
戦争の全犠牲者を追悼天皇陛下パラオ訪問 皇太子期から強い思い
 天皇陛下は9日、皇后さまとパラオ・ペリリュー島を訪れ、日米双方の慰霊碑に拝礼された。8日の晩さん会では、苦難を経験したパラオの人々が戦後、慰霊碑や墓地の管理、遺骨収集に尽力したことに謝辞を述べた。全ての戦争犠牲者を追悼するとの考えは、陛下が皇太子時代から深めてきたものだ。平和を求める姿勢は、敗戦を経験した昭和天皇の間近に接する中で形作られてきたとも言えるだろう。
--------------ここまで。



太平洋戦争中、南の島々で激戦があった、といっても、
具体的に---それも、かなり具体的に知ることは、普段はあまりありません。

私も、先の大戦で米軍と日本軍が激戦をした「ペリリュー島の戦い」という悲惨な戦闘があったのを、天皇皇后ご夫妻の慰霊のニュースで知りました。

「ペリリュー島の戦い」について、NHKがドキュメンタリー番組で放送した内容を、ジャーナリストの江川紹子さんが、詳しく記事にしています。
全文を転載し、紹介させていただきます。

全文転載。ここから。-------------

Business Journal > 連載 > 江川紹子の「事件ウオッチ」第26回 > 両陛下ご訪問で注目のペリリュー島とは(2015.04.17)
両陛下ご訪問で注目のパラオ・ペリリュー島とはーー人々に意味のない死を強いた戦争の現実文=江川紹子/ジャーナリスト

 天皇・皇后両陛下の「慰霊の旅」で、アジア太平洋戦争末期に激戦が行われたパラオ・ペリリュー島の存在は、一挙に日本国民の誰もが知るところとなった。戦死者は日本軍が約1万人、米軍は約1700人。「太平洋に浮かぶ美しい島々で、このような悲しい歴史があったことを、私どもは決して忘れてはならない」との天皇陛下のメッセージは、多くの人に伝わったといえるだろう。戦跡を見学するツアーがにわかに人気を集めている、との報道もあった。戦後70年という節目の年に、多くの人がこの戦いに関心を持ち、そこでの犠牲者をしのぶ機会をつくられた両陛下の功績は大きい。

戦争のむごたらしさを映しだした『Nスペ』

 ペリリュー島の戦いがあったのは、すでに日本の戦局が悪化していた1944年9月15日からの70日間余り。日本軍が、それまでの自決覚悟で一斉突入して玉砕する“バンザイ突撃”をやめ、持久戦で時間稼ぎをするよう方針転換がなされた最初の戦いとなった。兵士らは塹壕に潜んでゲリラ戦を続け、約1万人が亡くなった。最後まで戦って生き残った日本兵はわずか34人。米海兵隊の死傷率も、史上最も高い約60%に上った。その犠牲の多さと過酷さから、ほとんど語られることのない、「忘れられた戦い」となっていた。
 各メディアとも、この戦いを生き抜き95歳の体を押して両陛下の慰霊に立ち会った元兵士の話や、今も残る塹壕の映像を紹介して、「壮絶な白兵戦」(4月4日付朝日新聞)、「凄惨な戦い」(9日付毎日新聞)、「過酷という言葉では表現できない戦い」(9日付読売新聞夕刊)のありさまを伝えようとしていた。ただ、その過酷さを具体的にイメージできるように伝えるのは、なかなか難しい。
 昨年、NHKがこの戦いを撮影したフィルム113本を米国立公文書館などで見つけ、両軍の元兵士らへのインタビューと併せて、ドキュメンタリー番組として放送した。約13時間の映像は、米軍のカメラマンたちが撮影したもの。銃弾が飛び交う接近戦の状況や、死傷した両軍兵士の姿、さらには当時は最新兵器だった火炎放射器で日本兵が籠もる塹壕を焼き尽くす様子なども、カラー映像で映し出された。この番組『NHKスペシャル 狂気の戦場 ペリリュー~“忘れられた島”の記録~』は、今でもNHKのサイトから見ることができる(視聴料は3日間で216円)。
 今回の両陛下のご訪問を機に、あらためて番組を見た。活字メディアや現在の映像ではなかなか伝わりにくい、戦争のむごたらしさを映し出した映像には慄然とさせられる。双方の軍人の死体、死体、死体……。すでに戦える状態でなくなった日本兵にも、容赦なく銃弾が撃ち込まれた。放置された日本兵の遺体にハエがむらがる。映像が映し出すこうした状況は、しばしば戦死を表現する時に用いられる「散華(=花と散る)」という美しい言葉とはほど遠い、無残なものだ。
 恐怖のあまり、精神状態がおかしくなった米兵の姿も映されている。精神が錯乱して大声を上げた兵士が、相手方に居場所を知られてしまわないよう、味方に射殺された、と語る元兵士がいた。手足を縛られ、自軍に殺害されたと見られる日本兵の遺体もあった。投降しようとして殺されたらしい。「投降は許されなかった」など、そうした制裁があったことを裏付ける日本兵生存者の証言もある。こうした映像や証言は、どれだけの費用をかけてつくった映画やドラマでも、とうてい伝えきれないほどの衝撃力を持っている。映像の力と体験者の証言の意味をあらためて感じさせられる番組だった。

 ペリリュー島には東洋一といわれる飛行場があった。アメリカ軍が攻撃を始めたのは、フィリピン奪還のため、日本の抵抗を排し自軍の拠点にすることが目的だった。最初は3日もすれば、日本軍は“バンザイ攻撃”で全滅するとふんでいたが、日本側がゲリラ戦で抵抗したため、過酷な戦いが繰り広げられた。その間に、米軍はフィリピンを奪還する。米側にとってペリリュー島の戦略的意義は失われていた。日本側にしても、すでに日本兵の大半が死傷し、戦車や戦闘機は壊滅し、巻き返しは不可能な状態だった。この時点で、日本兵に投降が許されれば、助かった命もあったはずだ。
 それなのに、戦闘がやむことはなかった。米軍による殺りくは続き、日本兵は投降も玉砕も許されず、最後まで抵抗を余儀なくされた。両軍の兵士は何のために、最後まで闘ったのだろう。そこでの死は、何の意味があったのだろうか。

戦後70年の今ーー無意味な死を直視すべき

 戦いは、始めるより、終わらせるほうが難しい。終わらせようとすれば、それに伴うさまざまな批判や問題に向き合わなければならないからだ。その責任を取る者がいなかったために、多くの兵士が意味のない死を強いられたのではないか。
 日本は硫黄島、沖縄などで同様の持久戦を展開。本土を守るための捨て石とされた沖縄では、民間人の死者が約9万4000人に上った(当時の沖縄県の人口は約50万人)。さらに、原爆や空襲でも、何十万人という人々が亡くなった。特攻作戦によって失われた命も何千にも上る。
 そうした死が、意味のない死であったと認めるのは、極めて心苦しい。遺族に対する心遣いもあって、人は戦争で失われた命に何らかの意味を見いだそうとしていく。祖国を守る盾となった、愛する人を守るための戦いだった、戦後日本の礎となった、今の平和があるのは亡くなった人達のおかげ……と。私たちは、そんなふうに死に意味づけをして、戦争で失われた命に敬意を払ってきた。戦争による死を意味づけることで、それは美しい物語にもなり、書籍や映画やドラマなどで人々を感動させてきた。
 人々が戦争のむごたらしさを実体験として共有し、戦争で死ぬむなしさを実感していた時代には、それでよかったのだろう。物語は、遺族にとってはせめてもの慰めにもなり、多くの生き残った人々の傷ついた誇りを癒やしもしただろう。しかし、2013年10月1日現在の人口推計で、戦後生まれは79.5%に達し、現代人のほとんどは戦争を体験していない時代だ。しかもマスメディアは、人の死体のようにむごたらしい映像はほとんど伝えない。
 その一方で、美しい物語は今も盛んに流布されている。作られた話もあれば、実話もある。特攻隊員を題材にした小説が大ヒットし、映画にもなった。そのような作品は、何も戦争を賛美するために作られたわけではないだろう。また、靖国神社遊就館などに展示された、死を前にした兵士が家族に宛てた手紙などは、見るたびに心打たれずにはいられない。その死になんらかの意味を与えずにはいられない気持ちになる。
 そうした感動を否定するつもりはないけれど、これで戦争の実相が伝わるだろうか、とも思う。私たちは、「悲しくも美しい物語」や「崇高な自己犠牲の物語」だけでなく、人々の意味のない死を強いた「無残な現実」を、もっと継承していかないといけない。
 そのためには、とても心苦しいことではあるけれど、戦争での死について、ことさらに意味づけをするのは、できるだけやめたいと思う。戦争によって、人々は狂気に駆り立てられ、意味のない死へと追い立てられた。その究極の姿が、ペリリュー島の戦いだと思う。そこでの死の無意味さを直視し、戦争とは何かを考えることによって初めて、彼らの死にも意味が出てくるのではないか。
 感動的な物語は商業ベースにも乗りやすく、多くの人たちに届く。けれども、無残な現実は、できれば見たくないのが人情。したがって、戦争のむごたらしさは、よほど努力をしないと置き去りにされがちだ。そのうえ、実際に戦いを経験した人々は、みな90代と高齢で、証言者がいなくなる日もそう遠くない。だからこそ、この番組のような過去の映像や証言が、これからも多くの人の目に触れるような機会を意識的に作っていくようにしなければならない。教育の場でも、積極的に活用してもらいたい。

 両陛下の訪問によって、ペリリュー島の存在は多くの人に記憶されることになった。この機会に、無残な現実を含めて、記憶を継承できるような方策を考えたいものである。
(文=江川紹子/ジャーナリスト)


-------------------------------転載ここまで。
(下線は、ブログ管理人による。特に、読者の皆様に読んでほしい重要な部分です。)


新聞の紙面ではもちろん、ネットで、「ペリリュー島の戦い」がどのようなものだったのか、「激戦地だった」という曖昧なことしか分からなかったのですが、NHKでドキュメンタリーを放送していたのですね。

江川さんが、ご自身の思うところを書いているのですが、特に、記事の4分の1くらいのところに、
戦争によって、人々は狂気に駆り立てられ、意味のない死へと追い立てられた。その究極の姿が、ペリリュー島の戦いだと思う。そこでの死の無意味さを直視し、戦争とは何かを考えることによって初めて、彼らの死にも意味が出てくるのではないか。
という文章があるのですが、また、その後。
感動的な物語は商業ベースにも乗りやすく、多くの人たちに届く。けれども、無残な現実は、できれば見たくないのが人情。
同感です。そうなんですよね。作家の百田直樹さんの「永遠の零」(映画化もしました)に泣けた、という人は多いでしょうが、戦争はとてもじゃないけど、美化できるようなものではないですよね・・。
それに比べて、現実の、その現時間の映像は、音声がなくても胸に迫るものがあります。
この前の「戦後70年」のNHK特集(NHKスペシャル|戦後70年 ニッポン)(4月18日・19日放送)の肖像では、日本で唯一、米軍との地上戦になった沖縄の映像(米軍が保管していたもの)が流れました。
着物の前をはだけた老婆が、孫に手を引かれて、あるいは孫の手を引いて、泣きそうな顔で歩いている映像・・を、見ました。言葉がありませんでした。老婆の表情は苦悩だったような。その孫の表情は、あどけない。その後、あの老婆と小さな子たちはどうなったのか。


ペリリュー島の戦いについて、記事にした下さった江川紹子さんに対し、深く、感謝します。



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2 コメント

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お久しぶりです (小沢冶三郎)
2015-04-25 03:37:58
今年は戦後70年と言う節目の年です
私はこれをチャンスと捉えました。
何故かと言うと先の戦争についてもう一度よく考え、学ぶ
のに相応しいからです。戦後70年という事もあって8月頃には戦争に関するドキュメントを各TV会社が放送するでしょうそして金曜ロードショウではきっと「火垂るの墓」を放送するでしょう。その映像の中には各島、各国、各海、の戦いの名前が出てくるはずです、その戦いの名前を全部ではなくても良いので少しだけでも頭の中に叩き込みそれをインターネットで調べてみるのです。一部の戦いは資料が少なかったりすることでしょうでもそれでもいいのですこの国とほかの国が何処で戦ったかだけでもわかればいいのです。どこで戦ったか解れば、そこで戦い亡くなった人の事を思う事が出来ます。この国を守るため必死で戦った人たちの事を思う事が出来ます。そして終戦の日にその人たちにも向けて黙祷が出来ます。歴史を少しだけでもいいので振り返り、国のために戦い散って逝った何千何万と言う人たちの思いを少しだけでも感じ取っていただけたらなと思います
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Unknown (ゆうこ)
2015-05-04 18:04:54
小沢冶三郎さま、こちらこそ、お久しぶりです。
ブログを訪問してくださり、コメントもいただき、ありがとうございます。
コメント返信が遅れてしまいました。申し訳ないです。


>今年は戦後70年と言う節目の年です
私はこれをチャンスと捉えました。

>その映像の中には各島、各国、各海、の戦いの名前が出てくるはずです、その戦いの名前を全部ではなくても良いので少しだけでも頭の中に叩き込みそれをインターネットで調べてみるのです。一部の戦いは資料が少なかったりすることでしょうでもそれでもいいのですこの国とほかの国が何処で戦ったかだけでもわかればいいのです。


同意です。私も、それはとても意義のあることだと思います。
天皇皇后夫妻がペリリュー島を訪れたというニュースに接するまで、私は、悲惨な戦場だったということを知りませんでした。

なんていうかな・・・
戦争体験者は、当時10歳の少年少女だった人ですら、今は80代を超えています。
実際に戦地へ行った人となると、さらに上の世代です。
その人たちから話を聞くことができる時間は、もう限られています。
さらに、あの戦争の風化もあります。

そこで、私にできることですが・・・。

このように、個人ブログで吹けば飛ぶような存在ではありますが、微弱な電波でも、飛ばし続けることが私の役割のような気がしています。

安倍政権の暴走以外にも、無関心というよりも、それ以上の何か・・国民に経済的精神的余裕がないことが、「戦争を二度とするべきでない」という教訓を遠ざけてしまっています。それが安倍政権の狙いだと言う人もいますが、そうも感じます。

例えば、私がここでブログをやめてしまったとしたら。

何百万のうちの、たった一つなのですが、このブログから、一人でもよいから、「ペリリュー島の戦いがあった」ということを知ってもらいたいと思いました。

小沢冶三郎さま、いつもありがとうございます。
コメントをいただくと、とても励みになります。
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