空と風と、月と、星。

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12月18日の死刑執行。12月19日の辺見庸・横浜講演会。津田寿美年死刑囚の裁判員裁判。

2015-12-25 22:30:00 | 死刑について
こんばんは。今日はクリスマスですね。(満月のクリスマス・・38年ぶりだそうです)
だから記事を更新、というわけでもなく・・偶然です。体調不良やいろいろ重なり、更新が開きました。

12月19日、私は辺見庸さんの講演会に行ってきました。まず、席がキャンセル待ちだったのと自分の体調が良くなく、行けるとは思っていなかったので急遽という感じで行ってきました。
その1日前、2名の死刑囚に対し、死刑執行がなされました。
私の、その時の最初の感想は・・多いな(執行される人数が)、・・と思いました。6月に1人執行され、今年は3人です。安倍政権中だと、24人だそうです。
人々はこれを、「仕方ない」と見るかどうとらえるのか・・・

その直後の辺見庸さん講演会ですから、辺見さんは死刑執行のことには必ず触れるだろうと思い、最初、聞き入っていました。

メモを取っていたのですが、あまり正確ではないですが大意を書きとめました。

辺見:
「このごろ、うつろな疲れを感じるが、(死刑執行によって)さらにうつろに疲れている」
「二人の男を税金で殺してしまった」「絶命までは15分ほどかかる」「新聞では『絞首刑』と書かない」
・・・・
「ぼくは死刑囚の中に二人、友人を持ちますが、・・・面会に行ったりします。
・・・収監されている死刑囚よりも私は(私のほうが)自由でなくてはならないのに、死刑囚のほうが澄んだ目をしているわけです。
ぼくは娑婆(しゃば)に生きているが、外にいるとうんざりする」
・・・・
「刑務官は、ぼくと死刑囚との会話のメモを取っているのですが、人間の持つ、切迫感を刑務官も帯びている。
その世界の原質(げんしつ)から遠ざかるのはよくない、と思っています」

だいたい、辺見さんが言ったのはこのような内容でした。

一般の人が、死刑囚の人と言葉を交わす機会は、ほぼ無いと言ってもよいでしょう。だから、直接死刑囚と話している辺見さんの言葉は重要なのですが、なぜ、『死刑囚の方が澄んだ目をしている』のか。
そりゃあ外の世界と一切関わりがないしその分情報も遮断されるのだから当たり前だろう、という見方もできますが、辺見さんが『死刑囚の方が澄んだ目をしている』と感じた、そのことを聴衆の前で話した、聴衆がそこから何を感じたのが大事だと私は思います。それになぜ、『外にいるとうんざりする』のか。

死刑囚に直接接する刑務官の仕事や日常について、私は「モリのアサガオ」という漫画をテレビドラマ化した物語で見たり、本で読んだりしました。けれど、死刑囚と刑務官、両方に接した人(辺見さん)の話を直接肉声で聞くのは、私はこれが初めてでした。
『人間の持つ、切迫感を刑務官も帯びている。』
辺見さんを介して、メモを取る刑務官の様子が頭に浮かびました。生々しいというか、緊張を感じるというか。

死刑執行の話の中で、あっ、と思ったのは、『二人の男を税金で殺してしまった』、というところです。
ネットの中でも、このようなことを何人かが発言しているのを見たことがあります(それだけでも勇気が要ると思う)。
税金といえば、消費税が上がってからは物価も上がってしまい、最近では私は税金払いに苦しんでいるという感じです。
『二人の男を税金で殺してしまった』
・・・そうだよね・・税金だったな・・だな。。と、私は辺見さんの話しを聞きながら考えていました。そのお金がどこから出てくるかといえば、税金しかないからです。私も死刑執行のために税金払ってるんだわ・・。「あっ」、と思いました。

死刑執行されたうちの一人の、少し詳しい話になりますが、津田寿美年死刑囚(63)(09年5月30日、川崎市幸区の自宅アパートで大家の男性ら3人を包丁で刺して殺害した殺人の罪で、11年6月に横浜地裁の裁判員裁判で死刑が言い渡された。
(中略)同年7月に本人が取り下げ、裁判官のみで裁く高裁や最高裁の判断を経ずに確定した。朝日新聞http://www.asahi.com/articles/ASHDL33XRHDLUTIL00L.html?iref=comtop_6_01 2015年12月18日より。)
の場合、 「弁護士 猪野亨のブログ」様(よりリンクさせていただきました)によると、
『被告が自ら控訴を取り下げ、死刑が確定していたものです。 この最高裁の審査を経ていない死刑判決は大いに疑問のあるところであり、』と、裁判員裁判の問題点を指摘しています。さらに、『この事件では高裁の判断も最高裁の判断も経ていない死刑判決が執行されたことになりますが、まさに裁判員の判断が死刑執行に直結しているものです』とも指摘しています。
私は、この死刑執行の件を、自分がブログ記事を書くことによっていまこの瞬間初めて詳しく知ったのですが・・・裁判員裁判のみで死刑判決が出て、死刑執行したという流れ・・ということですね・・。驚きです。裁判員裁判の仕組みには問題があるのではないか、と、今あらためて思いました。私も、裁判員裁判の仕組みをすべて理解しているわけではないですが、そういう感想です。上記の『弁護士 猪野亨のブログ』様を参考に、私のブログの読者の方々、考えてみてくだされば、と思います。(今日のタイトルですが、タイトルで検索順位が決まる傾向があるようなので、裁判員裁判のことを知ってもらいたく、長くなりました。)

辺見庸講演会の話に戻りますが、辺見庸さんは講演で自身でも言ったように死刑制度に反対の立場です。だからこの件に触れるのは当然といえば当然なのですが、辺見さんはさておき、私ですが、まったくの一般人ではあるけれど私も死刑制度に反対の立場なので今回、辺見庸横浜講演会のことを書くにあたって、講演会直前にあった死刑執行のことは書かないとならない、と思いました。
これは私がいつも思っていることですが、死刑制度反対の立場となると、とても自分の意見を表明しにくい、(日常では話題に上っても、死刑執行や重大事件の時に例えば「人を何人も殺せばまあ死刑でしょ」くらいの世間話の一端であるのではないか。そのくらい話しにくい話題ではある)、とネットの中で感じています。辺見さんの講演の中で、中核をなしていた(と私は感じた)、「ものが言いにくい」雰囲気、それは最近、以前よりもっと強まっている(辺見さんも言っていたが)と感じ、死刑制度の話をブログにアップするのはとても難儀なことです(裁判員裁判のことは、2014年5月に山梨日日新聞で特集があり、そのことをブログメモノートにスクラップしておいて、そのままになっています。選ばれた裁判員も苦悩があるのだという内容の記事です)。ですが、こうやって細々ですが書いています。記録の意味もあります。読んでくださる方々、ありがとうございます。

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5 コメント

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税金で行われる国家暴力 (他称 非国民)
2015-12-28 12:20:03
 はじめまして、黒本金平太といいます。旧社保庁公僕などには、他称”非国民”と言われていますので、そちらをここでは名乗っています。

 税金でまかなわれるものにうるさい個々人の多くは、国家によって税金で行われる暴力というものに疎かったり、興味がなかったりという場合が多いです。私が耳にしたことのある話では、「刑務所が一杯や。口減らしに死刑囚をさっさと片付けて税金支出を抑えさせなあかん」というものもありますが、多くは死刑についてはふれません。もちろん、死刑が”法の下に”、”その執行を行う刑務官によって”行われる代理殺人を強制してなされるものであるという視点など特別天然記念物ほどに少ないでしょう。
 死刑は当たり前という日本列島で次々と生まれてくる死刑志願者への対処法を、死刑を当たり前と考える個々人が見出せないで望み通りに死を与える意味不明を見るとき、死刑志願者には生きる苦しみこそが必要で、望み通り殺す事は何ら刑罰となっていないという事を忘れるわけにはいきません。
 ともかく、死刑に限らず、惜しみなく奪われる税金で行われる暴力は、昨今の大日本帝国情報部門の生き残りなどが安心して死んでいけるような統治機構によって行われる統治の総てに散りばめられており、そちらも忘れてはなりません。
 多くの個々人にとって絶対必要とは考えにくい上陸作戦用水陸両用武装装甲車両(1台5億円なり)を27台しつらえるとか、着々と建造されて就役している新鋭艦船(大型ヘリ空母の出雲は100億円以上)だとかのその分の取り立てによる暴力や、ウチナー本島での基地増設にともなう暴力、その他離島で行われる警備強化にともなう暴力、そして必要のない経営者の意に沿った労働者イジメを許す暴力、老人、女性、障害者などをも税収というカツアゲのために稼がせる暴力…なんかもです。
 もちろん、トルコ国家やベトナム国家などで岸の孫が鳴り物入りで商談をしにいった原発による現地民への間接的暴力やその後の廃棄物の責任に伴う暴力も忘れてはならないでしょう。
 この日本列島を実効支配するだけの政府が、カツアゲした税から勝手にそれらを行っている暴力を少なくとも忘れないでいたいものですね。
裁判員は多数意見の死刑判決に反対できるか (せみ)
2015-12-31 22:44:30
はじめまして、団塊世代のしっぽに属する爺サマです。
辺見庸の国会前デモ批判に対する反応を検索して以来、貴ブログを拝読しています。
死刑制度についての辺見庸の発言、興味深く読みました。国民は皆、死刑囚を吊るす手伝いをしているのだよ、自らは意識することもなく安全な場所から、と言いたいのでしょうか。
裁判員制度は国民を死刑制度の真ん中に引きずり出しました。 懸念されるのは死刑制度廃止論者が多数意見の前に何の主張も出来ずに死刑判決に流されてしまうことです。
なお自分は辺見庸と同様に、死刑制度は戦争と同様に国家による殺人と考えますが、それでもなお殺人者は、死者に対する倫理的義務として自分の命を差し出すべきと考えます。 但し、それは自裁であるべきだし、自裁の決意ができるまで終身禁固乃至は終身懲役に服するべきと考えます。
最後に、国会前デモ清掃活動の件、絶対にクソッタレです。自分も30万分の1の主役のつもりで参加しましたが、SEALDSやそのとりまきにとっては観客、サポーターでしかなかったのでしょう。警察と事前打ち合わせ済みの台本通りのSEALDS劇場の観客です。ミンシュシュギテナンダー・コレダーの唱和は、かつての小泉劇場より醜悪です。
もうすぐ2016年、穏やかで良いお年をお迎えください。
Re:税金で行われる国家暴力 (ゆうこ)
2016-01-06 23:43:10
他称 非国民さま、コメントありがとうございます!(ブログの読者になってくださっている方ですね!)

>「刑務所が一杯や。口減らしに死刑囚をさっさと片付けて税金支出を抑えさせなあかん」というものもありますが、

その説は、私の周囲の人間と話していても、ネットの中でも見聞きします。たしかに、死刑囚1人の経費として、300万円ほどかかると聞いたことがあります。しかし、税金の無駄遣いという目線で見ていいものだろうか?と思います。人間一人を国家が殺すか殺さないかということは、重大なことなのですが。

そうですね・・。殺人をした後に、「死刑でいいです」と言った若者がいました。望みどおりに死刑になったわけですが・・・
そういう、死刑志願者には「死刑よりも終身刑の方がより重い罰になる」のでしょうが、そういう論も分かる気がするのですが、そこには人間の存在・・尊厳・・という面も加えた方がいいのではないかと思います。社会がどのように解決しようとするか、ですよね・・
死刑を無くして終身刑なのかはちょっと置いておいて・・
具体的には、被害者の遺族が希望した場合、死刑囚と面会して、「なぜ殺したのか」を聞いたり、話をすることによって、場合によっては被害者遺族が少しでも心情的に救われるかもしれないとは思います。ただもちろん、そういうケースばかりではないでしょう。そういうケースは、稀でしょうね・・。弟を殺害された原田さんという方は、長谷川死刑囚の死刑執行停止を求めたり面会をしたりしました。    (http://blog.goo.ne.jp/19931106/e/b8149132e569cc07c19d085310c23090 昨年7月、私はこのような記事を書いています。原田さんのことについて、参考になさってください)

>この日本列島を実効支配するだけの政府が、カツアゲした税から勝手にそれらを行っている暴力を少なくとも忘れないでいたいものですね。

まったくそうなのですよね。カツアゲですよ。特に、8%に増税された消費税は来年4月に10%に増税されることが決まっていますが、これはもう、「暴力的」としか言いようがないです。たとえば、母子家庭で子どもが二人いて、母親が働いて生計を立てているという場合、手取りが16万円くらい(新聞やネット等で見聞きした額は、母子家庭は収入が少ない場合が圧倒的な感じです)だったら消費のお金も同じくらいと考えられ(これで貯蓄できるとは思えません)、それだと、今の場合、消費に14万8千円で消費税は約1万2千円です。これが、10%になったら払う消費税は3000円ほど増え、使えるお金はもっと少なくなってしまいます。切り詰めなければならないという点では、我が家も同じです。「しょうがない」で済むレベルだろうかと思うのです。酒税や車関係の二重税にも問題があるし、他に所得税も住民税も取られている。ひどいです。ただ、抵抗を試みようにも、お店で買い物をして「消費税を払いません」というわけにもいかない。とはいえ、消費税の仕組み自体もおかしいです。おかしいのを引きずりながら運用しているわけで、国家の会計がデタラメ、ということもあります。これも暴力です。

私の夫の話ですみませんが、私の夫は良い人だし尊敬しているし、私よりもよほどよく世の中のことを知っていると思います。考えも少し似ています。けれども、「ここが違う」というのは、税金の使い方の話です。オスプレイが配備されたり、ライトニング(高い戦闘機だったと思います)が配備されるのは、「仕方がない」と言うのですよね・・。それが世の中の多くの人の考えなのかな。
首相の掛け声のもと、庶民の巨額の血税で、「美しく」「力強い」「見栄えの良い」日本を演出することができるでしょう。でも、その影で、涙を流したり自殺したり病気になったり、それが「自己責任」だ、と、「生活保護に頼ってもいけない」と庶民同士が叩き合う世界など、どんな最悪な世界でしょうか。1%の輝く人を見せびらかし、世界に対して見栄を張るのでしょうか。

>もちろん、トルコ国家やベトナム国家などで岸の孫が鳴り物入りで商談をしにいった原発による現地民への間接的暴力やその後の廃棄物の責任に伴う暴力も忘れてはならないでしょう。
私は、「ゴミ」の存在ってとても気になるのですよ。それは、核のゴミも同じです。そして、普通のゴミとはわけが違います。オンカロのように、10万年も保存できる場所があれば、ですが(その前に事故の危険があります)、否あっても現実的ではないです。結局先送りなのです。ましてや、福島第一原発があの状態で、トルコやベトナムに原発を売るなど・・・ しかしそれも、「現地の雇用が増える」という一時的な理由でごり押しされるのでしょうか。

他称 非国民さま、まとまらないし、長くなりました。
コメントありがとうございます!
Re:裁判員は多数意見の死刑判決に反対できるか (ゆうこ)
2016-01-09 18:14:54
せみさま、はじめまして。コメントありがとうございます!返信が遅くなってしまい申し訳ないです。

>国民は皆、死刑囚を吊るす手伝いをしているのだよ、自らは意識することもなく安全な場所から、と言いたいのでしょうか。

普段は、意識することもないと思います。「普通の人は意識することがない」、とも言います。安全な場所から、ですね・・。私も、その中に入っています。死刑制度が存続する中、税金を払っているのですから、それからは逃れられないのです。

>懸念されるのは死刑制度廃止論者が多数意見の前に何の主張も出来ずに死刑判決に流されてしまうことです。

多数意見の中の、「被害者遺族の気持ちを考えてみれば反対などできないはずだ」とか、「じゃあ遺族はどうなるんだ」とか、一見正しそうな意見が幅を利かせていると私は感じていますが、死刑制度は人権に関わることだという意識が、日本人の教育の幼少期から培われていないような気がするのですよね・・。「一見正しそうな意見」というのは、被害者の味方をして「溜飲を下げる」役割はするかもしれないですが、解決にはならないです。
そして、どうして死刑を廃止すべきなのか、死刑制度廃止論者は、そこを論理的に説明できるかどうか、賛成・維持論者と議論できるか、でしょうか。。(しかしそこで、死刑制度賛成派は、原発問題の「反原発というのなら、原発電源以外の対案は?」というような、ただの対案論になってしまってはいけないと思います。)
 『被害者にも加害者にも人権などない』という言説をご自身のブログに書いたのは犯罪被害者の兄弟の方(リンク先の原田さん)ですが、それも考えさせられます。今では、犯罪被害者や遺族の相談窓口は、山口光市母子殺害事件の以前に比べたら、充実しているようです。死刑制度に反対・賛成にかかわらず、そういうことも知ったほうが(または周知)良いと思います。


>なお自分は辺見庸と同様に、死刑制度は戦争と同様に国家による殺人と考えますが、それでもなお殺人者は、死者に対する倫理的義務として自分の命を差し出すべきと考えます。 但し、それは自裁であるべきだし、自裁の決意ができるまで終身禁固乃至は終身懲役に服するべきと考えます。

せみさまの『それでもなお殺人者は、死者に対する倫理的義務として自分の命を差し出すべき』というのは考え抜いてのことだとお察しします。
マスコミは、「死刑制度存置派が国民の8割」などと簡単に伝えていますが、果たしてそうでしょうか。
被害者遺族の感情が「転移」して、裁判員裁判で死刑判決が増えるようなら、私はとてもよくないと思います。メディアは、人権よりも、「被害者感情」という言葉をたくみに使い、政府に予しているように思えます。

更新は、ぼちぼちと続けようと思います。せみさま、コメントありがとうございます!励みになります。
死刑廃止を願い続けて (未優)
2016-08-07 11:31:21
 パソコンを新しくして、やっとネットにつなげて、原田正治さんとは昵懇?の仲なので、彼のブログを読んでいて、このブログに行き当たりました。
 一般の方が死刑を残酷で在ってはならないと考えてくださっていること、私も一般人としてうれしいです。友人と話してもたいていは「自分の娘が殺されてもそういうの?殺したら殺されるのが当然」と言われることがほとんどです。
 それでもこちらの言葉に正面から向かってきてもらえればいいのですが、剣もほろろというか、「こんな話題は友達関係がおかしくなるから」と言われてしまいます。
 そこで対話をあきらめる私もだめですが、この問題においての溝は深いなあと感じ入ります。自分は人を殺さないと思っている人が大部分。もちろん私は死刑とその方法について耐え難いほどおぞましいと思っているので、そんな自分も人を殺さないとは思っていますが、たまたま殺さなくて済む場所にいるからであって、教育、愛、一部では宗教に恵まれなかった不幸な人だっているのだと思います。そんな人が犯罪を犯したとき、社会や私たちにも責任があると気づけば、死刑にしても仕方ないと言えないのですが。
 今月原田さんに数年ぶりに会います!

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