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ドストエフスキー【死の家の記録】-死にそうな囚人に足かせをする必要があるのか-「わたし」の疑問

2015-10-14 16:00:00 | 日記
こんにちは。
記事をアップしたら、消えてしまいました(泣)。どこか間違えたようです。急いで書き直し・・・


気になる諸問題は山積みなので、時事がいいかとも思ったのですが、
・・・このことも重要なことなので、書きます。

この夏、ドストエフスキーの「死の家の記録」(1862年)を読みました。

ドストエフスキーは、シベリアに送られて、監獄生活をしたことがありますが、その時の記録です。

「わたし」は病気になり、自分が収容されている監獄(要塞と呼ばれる)のちかくの陸軍病院に入院します。

私が、特に心に残っている部分を紹介します。
第二部〔病院〕の一の項です。

まず、「わたし」が入院した病院の状態ですが、囚人病棟は状態がいいとはいえません。『囚人用の病室は二つしかなく、いつもいっぱい』だと。
不衛生だな、と分かる部分。
・・・・
『わたしは不信の目でこわごわにらみながらガウンを着たものである。わけでもいやでたまらなかったのは、ガウンによくついている大きなころころとふとった虱(しらみ)だった。囚人たちは虱をとるのを楽しみにしていた。だから囚人の厚いぶこつな爪の下で、ぷつっと虱の死刑が行なわれるとき、その囚人の顔を見ただけで、その満足の度合いが推しはかれるほどだった。南京虫も毛嫌いされていて、長い退屈な冬の夜など、よく、病室じゅうがみんなで南京虫退治をすることがあった。病室は、重苦しい臭気のほかは、外面的にすべてがかなり清潔そうに見えたが、内面、つまり見えない部分は、清潔というにははるかに遠かった。病人たちはそれに慣れていて、それがあたりまえだとさえ思っていたし、それに制度そのものが清潔を主目的とするようにはつくられていなかった。』

そして、警備は厳重です。とくに、夜。

・戸口には、銃を持った警備の人間(衛兵)が居る。
・便所に行くときは衛兵がトイレまでついてくる。
(・便所には窓がひとつだけで鉄格子がある。)
・囚人の病室の辺を、夜中じゅう、(囚人が脱走しないように)警戒している。
・『衛兵のすぐそばには病室の看守たちが寝ており、十歩ほどのところに他の囚人病室の戸口があって、そこにも銃を持った衛兵が立ち、そのそばにも交代の衛兵と看守たちがいるのである。』

ひどいなと思うのは、ただでさえ二部屋しかない囚人病室に「用便桶」が置かれる(外に便所があるのに、夜間用の用便桶が置かれる)というところ。
『しかし、これが規則なのである』と、「わたし」。
『ちゃんとした便所が戸から二歩ばかりのところにあるのに、この桶が一晩中ここにおいておかれるのだと知って、わたしは唖然とした。しかし、これが規則なのである。昼のうちはまだ囚人は病室から出された。もっとも、それとて一分以内に限られていた。しかし夜間はどんな理由があろうと病室を出ることは許されなかった。囚人病室は普通の病室とはちがっていた。そして囚人は病気になっても罰はまぬがれなかった。だれが最初にこの制度を定めたのか---わたしは知らぬ。わたしが知っているのは、ここには制度の生きた行使はみじんもなく、形式主義の無益な本質が、この例にほど大きくあらわれたことは、かつてなかったということだけである。』 
(トイレ(便所)に行くのは、何かよほど理由のあるとき、ということか)
(『』部分は、本からの転載です)

『----病人に対するこのものものしい圧迫、おそらくもう何日か何時間かしかもたない、健康な者よりももっともっと新鮮な空気が必要な病人に対する、このような非情な迫害は、何のためなのだ?わたしはぜったいにそれが理解できなかった……』


ここから先が、この本の中で一番、心に残った部分です。

人間の尊厳とは何か。なんだろうか。そう思いました。

ずっと考え続けなければならないことのような気がしています。


328ページおわりから、331ページ行目まで、転載。

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ところで、一たび『何のために?』という質問を出したからには、言葉のついでとして、わたしはいまもうひとつの疑惑を思い出さないわけにはいかない。これも長年のあいだもっとも不可解な事実として、わたしのまえに執拗に立ちふさがっていたのだが、どうしても解答を見いだすことができなかったのである。わたしはこの記録を続ける前に、ほんの数言でも、このことにふれないではいられないのである。それは、徒刑囚がどんな病気になっても、まぬがれることのできない足枷(あしかせ)のことである。肺病患者さえ、わたしの目のまえで、足枷をつけたまま死んでいった。ところが、みんなそれに慣れてしまっていて、既定の事実で、もうどうにもならないことだと考えていた。だれにもせよ、それを考えた者があったかどうかさえ、疑わしい。無理もない、医師たちでさえ一人として、この何年かのあいだただの一度でも、重病の囚人、特に肺病患者の足枷をはずしてやることを、当局に進言しようと思いたつ者はいなかったのである。足枷はそれ自体としては、それほど重いものではないかもしれない。重さは八ポンドから十二ポンドぐらいである。十ポンドぐらいのものを身につけていることは、健常者にはつらいことではない。しかしわたしは、足枷のために何年かすると足がやせ細ってくるらしい、と聞かされた。それがほんとうかどうかは、知らないが、しかし、ある程度の真実性はあるようだ。足にしょっちゅう重いものをくくりつけていれば、たといそれがわずか十ポンドほどであっても、やはり足を常態よりも重くしているわけで、説きがたつにつれてある有害な結果があらわれてくるかもしれない……しかし、普通の健康な者には何でもない、と仮定しよう。だが、病人にもそうだろうか?普通の病人には何でもない、としよう。だが、くりかえして言うが、重病人にもはたしてそうだろうか、そうでなくてももう手足がやせ細って、一本の藁(わら)も重く感じるような肺病患者にも、そういうことが言えるだろうか?だから、実際、医務局がせめて肺病患者だけでも楽にしてやるために奔走してそれを実現したならば、その一事だけでも真の偉大な恩恵と言いうるであろう。囚人は悪人だから、恩恵など受ける資格がないと、だれか言うかもしれない。だが、それでなくてももう神の手がふれている者に、罰の追討ちをかける必要が、はたしてあろうか? それに、罰だけのためにこういうことがなされているとは、信じられない。肺病患者は裁判のときでも体刑を免除される。とすると、ここにもまた有益な用心という形で、ある秘密の重要な掟がかくされているわけである。でも、どんな?---理解に苦しむ。肺病患者が逃亡するなどと、まじめに心配するほうがどうかしている。特に症状がかなり進んでいることを考えたら、だれがそんな心配をする者がいよう?逃亡するために、肺病を装って、医師をだますことは---不可能である。そんな病気ではない。それは一目でわかるのである。なお、ついでに言っておくが、囚人に足枷をはめるのは、囚人が逃げないため、あるいは逃げるのをさまたげるため、ただそれだけのためなのだろうか?ぜんぜんちがう。足枷は---恥辱をあたえる一つの罰なのである。恥辱と苦痛、肉体と精神に加えられる罰なのである。すくなくともそう考えられている。足枷はけっしてだれの逃亡もさまたげることができない。どんなのろまで不器用な囚人でも、たいして苦労もなくやすりで切るとか、接(つ)ぎ目を石でたたき割るとか、手早くやってのける。足枷はまったく何の予防にもならない。とすると、それは徒刑囚に罰だけのためにはめられるものだとすると、ここでまたわたしは問いたい。死にかけている者まで罰する必要があるのか?
=========================転載ここまで。


最後の一行、「死にかけている者まで罰する必要があるのか?」 ですが、

上の文章の後に、若い、ミハイロフという、重い肺病にかかった囚人の、臨終の様子が書かれています。
ミハイロフは、骨と皮だけにガリガリにやせ細って、毛布や着ているものまで重く感じるのか、胸をかきむしっています。
そのような者にまで、足枷(あしかせ)がはめられていて、ミハイロフが死んだ後、足枷が外せないので"鍛冶工"を呼んで外さねばならなかった・・・

私が「死の家の記録」のこの部分を読んでまっさきに思い出したのは、辺見庸さん著「たんば色の覚書」に出てくる、
日本の、車椅子の老人死刑囚のことです。刑は執行されました。
次回に書こうと思います。


表紙。(新潮文庫・工藤精一郎訳)10月14日撮影。


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