空と風と、月と、星。

fc2「空と風と、月と、星。」からの続きです。よろしくお願いいたします。             

友達は多い方がいいのかどうか。

2015-05-07 22:00:07 | 日記
こんばんは。
新緑がまぶしい季節になりましたが・・みなさん、お元気ですか?
我が家の庭では、ジャーマンアイリスが咲き始めました。





今日、物思いにふけっていて、ふと、思ったこと。

世の中には、男女問わず、
「この人、さりげなく優しくて明るくて、さわやかで・・素敵だわ(又は、カッコいい)。友達がたくさんいそうだなぁ」
と感じさせる人がいます。
私はそういう人に出会うと、友達になれたらいいな(※なりたい、という積極性はなく、「なれたらいいな」なのです)、と思います。ただ、変な方向に向く。友達になれたとしても、私の暗い性格では・・相手は退屈するだろうと先に余計なことを考え、近づきたい気持ちは引っ込める・・というパターンがほとんど。(そうじゃない場合もありますが)

・・私自身は、友達は何人いるだろうか。
友達だと思える人は、5本の指で数えられるくらい。かな・・。
人と会うと楽しいのですが(ここ数年は、親戚か、一人二人の友達・友人としか会っていないけれど)、
会うまでいろいろ考えてしまう、かな。考えなくていいのにね。。本当は。


学校に通っている学生さんでは、自分に友達が多くいるかどうか、というのはとても気になると思います。
「ともだち100人できるかな♪」という歌もあるくらいだし…。

私は1970年生まれですが、私くらいの年齢の人と学生さんや若い人とでは、友達の・・なんというのだろう、友達に何を求めるか、というのはずいぶん違うとは思いますが、例えば、遊び友達、飲み友達、相談友達、なんかは、若い人は必要だと感じるのだろうか。それとも、私のように人数はごく少なくても、心の底では、何だか、つながっているなあという友達を求めるのかな。

書きながら、いろいろ考え始めてしまいました。
一緒にいて楽しいのか、何か理由は分からないけどたまに会いたくなるのか、・・・
または、
どうしているかな・・と、自然に心に浮かぶ。そんな存在が友達なのかな。

用もないのに電話してみようかな、と思える人・・
中学~高校の時の友達と1,2年前、ホームセンターなどでバッタリ出会い、どうしてる?という話を少ししましたが、
今年の年賀状には、「またいつか、そのうち会おうね」とありました。
それを見て何となく寂しいなと思ったのですが、その友達はおそらく、私がいきなり電話しても、
「よく電話をくれたね。元気?」と言って歓迎してくれるでしょう。気さくな、そういう感じの人です。
彼女なら、会わない期間が長くても、一気に昔に返って話が弾みそうです。
昔仲が良くても、いきなり電話したら怪訝そうに思われるかなとか迷惑かな、と、自分が考えてしまう相手には、
相手がそんなことを思っていなくても、自分から壁をつくっているのかな。
この性格、何とかしたい・・。そんな風に思わないで、旧友と話せたらいいのにな。

では新しい友達は。

外へ出て行くような趣味があったら、そこで出会える可能性はあるかもしれないかな。

今の私の場合、インターネットの中の人とは気軽に話せたりするのですが・・・言葉じゃなく、文字でね。
けれど、ネットがきっかけだっていいと思います。
実際私は、ネットがきっかけで、とても貴重な出会いをした、と思える人はいます。

対人恐怖があるといっても、人と話したい会いたいという欲求は、なくならないですね・・
むしろかなり、強いかもしれない。

「友達は多い方がいいのかどうか。」ですが、
数の多少ではないと思う。
私の場合は、その人と一緒にいて、または話していて、時間が経つのを忘れてしまうかどうか、かなぁ。
別れる時間がきて、「あっという間だったね」と笑い合えるようなら、きっと、友達なのだと思います。



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4 コメント

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たいへんよくわかるどころか (TOMO)
2015-05-07 23:04:26
友達の定義について、最後の文章は、
とんでもなく美しく、素晴らしい。
よくぞ、こんな良い表現をしてくれたものです。
本当に、友とはこうでありたい。
自ら、こういう友になっていたい。

あまりに良すぎて、泣きそうだ。
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友達は多い方がいいのかどうか。 ()
2015-05-08 01:04:56
女性は社会の中で生きるから、そういうことを特に意識し易いのかも。

もちろん、友人の数は、数の大小ではないよね。ほとんどの人は数に靡いて生きる手段を選択するから、友人の数が多ければ多いほど、その大多数に一瞬で裏切られる。今の女性同士はそういう関係に成らざるをえない社会構造になってる。

でも今の人は「今の日本が一番進んでて幸福だ」「昔の日本人は不幸だった」とかマジで思い込んでるから、討論しても意味ない。言うだけムダで、個々人で自己完結するしかないみたいな。

タイトルに対する結論だけ先に言うと、友人は「数」じゃなくて「質」だから、多くても少なくてもどっちでもいいけど、「質」が高い人が多いとよいんじゃないかなと思います。逆に言うと、質の為に数をないがしろに出来る自分がいなきゃダメで、それは結構な覚悟を要するし、先方が必ずしも質を大切に出来る人とは限らないので、、、、、その判断を自分自身一人だけで出来ないと、多くは社会に呑まれてしまう。。。。
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TOMOさん (ゆうこ)
2015-05-09 17:55:24
コメントありがとう!


>よくぞ、こんな良い表現をしてくれたものです。

ありがとう。
実際に、友達と会っていてこんなことがあったのです。
名残惜しくなる、というか。

会う回数とか、問題ではないような気がします。
ふと、どうしてるかなと思ったり。U´・ー・`U

私とは違う部分を持っていて、頼もしい人なのだろうと想像する、
どんな環境でも・・ユーモアを忘れなかったり。
尊敬します。
返信する
勇さん、 (ゆうこ)
2015-05-09 18:22:27
コメントありがとう!


>女性は社会の中で生きるから、そういうことを特に意識し易いのかも。

(最近ツイッターでもつぶやきましたが)私は(私事になりますが)、自分の心の病気を甘く見ていた・・ということにようやく気づき、自分のような「引きこもり」またはそれに近い人は毎日をどうやって過ごしているのだろうと思い、ネットで探してみました。

そうしたら、「ママ友づきあい」に悩んでいる人が多いのだなと思い、そのようなブログを読んでみました。
お互いの心の中の探り合いに終始しているような人もいて、大変だな・・と思いました。
それがきっかけで、このような記事を書いてみました。


>今の女性同士はそういう関係に成らざるをえない社会構造になってる。

今の女性同士、なのか、昔からなのか・・。
私が女性で友達だと思える人は、裏表がないと感じる人です。
直感ですね。。
自分と同じような人、というわけではなく、
私を見下さない人、かな。
それは男女限らず、です。
友達としてではなく、自分の支配下に置きたがる人は、すぐに分かります。
何か通じ合えるものを持っている・・けれど自分と違う部分もかなり持っている・・それでも尊重し合える人なら、友達といえるかな。


>でも今の人は「今の日本が一番進んでて幸福だ」「昔の日本人は不幸だった」とかマジで思い込んでるから、討論しても意味ない。言うだけムダで、個々人で自己完結するしかないみたいな。

そういうの、あるね・・。
「『昔の日本人は不幸だった』と思い込む」・・・
それあるね。。私も、そう思い込んでいる部分はある。
でも、じゃあ今はどうか。
そのためにはやはり、歴史を知らないと、かな。←これは勇さんからの影響を受けています。(笑)
歴史といっても、「俯瞰的に見る歴史」がいいのかな。

だから、女性同士の関係で言うと、
昔は、自然と井戸端会議的な場があって、今のようにわざわざ作り出さないと友達(や気軽に話せる人)ができない、という状況ではなかったと想像します。そういう点では、昔の方が良かったといえるかもしれないですね。。


>逆に言うと、質の為に数をないがしろに出来る自分がいなきゃダメで、それは結構な覚悟を要するし、先方が必ずしも質を大切に出来る人とは限らないので、、、、、その判断を自分自身一人だけで出来ないと、多くは社会に呑まれてしまう。。。。

これは、とても同意です。
『その判断を自分自身一人だけで出来ないと』
ですね。。
それができる人同士が友達になったら、素敵な関係・・というか、良い友達になれると思う。
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