陸海軍青年将校ニ檄ス
永田事件以来頻々トシテ吾人ノ耳朶ヲ撃ツモノハ「遁ゲ出シタ人ガアツタソウデスネ」「憲兵隊長ハ腰ヲ抜シタトイフデハナイカ」「軍人モ近頃ハ余リ町人ト違ハナイ」等々ノ不快ナル嘲笑ナリ「永田伏誅ノ眞相」ナル一文ヲ接手シテ軍人腰抜抬頭ノ由来ヲ知リ痛嘆慷慨禁ズル能ハズ 偶々千葉市内○○○ニ相会セル有志十七名徹宵悲憤痛論自戒自奮ヲ誓ヒタリト雖モ皇国皇軍ノ為メ尚意ヲ安ンズル能ハズ 僭越ヲ顧ミズ敢テ陸海全軍青年将校諸賢ニ檄シテ憂憤ヲ漏シ奮起ヲ冀望ス
一、永田伏誅ノ眞相(全文 八月十九日入手)
時は昭和十年八月十二日午前九時稍々過ぎ勲章を帯び軍刀を佩いて陸軍省に現れた相澤三郎中佐は先ず調査部長、山下少将と整備局長。山岡部長の許に行き慇懃に臺灣赴任の挨拶を述べた。
整備局長室を辞する時、居合せた給仕に永田局長の在室を問ふた処給仕は小走して直ぐ帰つて来て『居られます』と復命する、中佐は莞爾として悠々迫らぬ歩調を以て軍務局長室に向かつた。(以下左図 〔上の写真〕 に就いて剣光一閃永田伏誅の顛末を説明する。)
(1) 整備局長室から軍務局長室へと向つた相澤中佐は此の附近で抜刀して局長室へ進入した。
一説には局長室へ入つた後左手の帽子掛に軍帽を掛けてから抜刀したとも云ふ。
(2) 相澤中佐は室内に這ると三名を圧倒する精悍な勢を以て永田に迫り椅子から立上つた永田の両肩を見事袈裟掛に斬つた。
〔以下、「説明」(3)から(7)は省略〕
以上の様な阿修羅の如き奮起は一瞬の間に終つたのである。相澤中佐は刀を型の如く納めて悠々と室を出て更に一二の先輩に転任の挨拶を述べ同期生某中佐と一会議室で快談した。此の前後神色自若として少しも平常と異なる所がなかつたと云ふ。相澤中佐は其後医務室を探し求め看護婦に左手の繃帯をさせ「とらんく」を片手に悠々表門まで来た。恐るゝ附いて来る憲兵が「中佐殿あちらへ参りませう」と云ふや「ヂャア行かふ」と軽く云ひ自動車で憲兵隊に行つたのである。
一、士風振起ヲ要ス
桜田門外落花ノ晨大老井伊ハ憂々ノ剣戟ノ中輿中ニ留リテ自若タリシニ非ズヤ 大久保甲東ハ刺客島田一郎ニ左腕ヲ斬リ落サルルヤ大喝一聲シテ島田ヲ辟易逡巡セシメ 犬養首相ハ拳銃ヲ擬セル闖入者ヲ制止シテ対談セルニ非ズヤ
然ルニ何事ゾ永田ノ醜状陋態子女走卒ニモ劣レルハ 然モ兇徒奉行ニ迫ルヤ與力ハ遁走シ目明シハ腰ヲ抜カス態ノ銀幕、舞台ノ悲喜劇其儘ナル山田、新見ノ醜ハ殆ンド聞クニ堪ヘザルモノアリ 嗚呼、昌平久シクシテ士風ノ頽廃弛緩茲ニ至レルカ
而シテ何ンノ奇怪事ゾヤ鯉口三寸ヲ寛ゲ得ザリンヌ懦夫ニ叙位叙勲ハ奏薦セラレ或ハ自決退官ノ引責ヲ厚顔免カレントシテ「体力及バズ」ト弁明是レ努メ又「事件当時在室セズ」トノ事実歪曲隠蔽ヘト百方奔走シツヽアリ、 此ノ二重ノ皇軍威信失墜事ヲ坐視放任シテ縦断的、横断的連繋ヲ禁ジ怪文書ヲ厳重取締ル等ヲ以テ抜本塞源ノ粛軍ヲ庶幾シ得ルヤ
諸賢ヲ、吾人ハ利己主義ノ権化ナル青瓢譚式中央部幕僚ト其ノ二、三ニ操縦駆使セラルヽ張子将軍トニヨツテ軍ノ統一、士気ノ振作ヲ期待シ得ベカラズ 相澤中佐ノ神的一挙ハ正ニ是レ昭和武士道ノ開闢ナリ 吾人青年将校ハ宜シク此ノ風ヲ学ビ昭和ノ薩長土肥的下級青年武士トシテ旗本八万騎ノ浮薄軽佻ヲ猛撃一蹴シ、武士道精神ノ高揚ニ努力スルヲ要ス
一、巷説妄信乎、非。
維新ノ烽火也
陸軍当局ハ曩ニ盲旅行ト称シテ水郷潮来ニ新聞記者團ヲ伴ヒテー当時新聞班ハ記者一人当リ五百圓ヲ準備携行シ中四百圓ハ金一封トシテ贈與セリト云フー眞崎、荒木等ノ純正将軍ニ統制撹乱者ノ悪名ヲ以テ筆誅ヲ加ヘシムルニ成功シ今ヤ往年草刈海軍少佐ヲ狂死トシテ葬リ去リタル故智ニ学ンデ相澤中佐ヲ巷説妄信ノ徒トシテ抹殺セントシツヽアリ 当局ー恐クハ数名乃至数十名ノ幕僚群ーノ迷妄救フベカラザルハ素ヨリ多言ヲ要セザルベシ
相澤中佐ノ超凡的行動ニ驚駭シテ狂ト呼ビ愚ト目スル者ハ中佐ガ剣禅一如ノ修練ヲ其ノ純一無難ノ天性ニ加ヘテ神人一体ノ高キ精神界ニ在ルヲ理解シ能ハザル自己ノ蒙昧愚劣ニ自ラ恥ヅベシ
相澤中佐ノ一挙ハ實ニ天命ヲ體シ神意ニ即シテ昭和維新ノ烽火ヲ挙ゲシモノ 是レヲ部内派閥闘争ノ刃傷的結末ト見ルハ無明癡鈍宛モ現下部内ノ諸動向ヲ以テ往年軍閥時代ノ藩閥的相剋視スルト同一轍ノ愚ナリ
〔中略〕
天皇機関説的思想、 行歳ヲ以テ 皇威ヲ凌犯シ万民ヲ残賊スルコト茲ニ年アリ国運民命將ニ窮マラントシテ神剣一閃維新ノ烽火挙ル永田ノ剄血ヲ祭庭ニ灑イデ天神地祗ノ降霊照覧ノ下皇民蹶起ノ秋ハ到ル
烽火一炬 嗚呼待望ノ機ハ来レリ 慎ミテ憂国慨世ノ義魂ニ訴ヘ奮起ヲ望ムモノナリ
昭和十年 〔一九三五年〕 八月二十一日暁天ヲ拝シテ黙禱
在千葉陸軍青年将校有志
在舘山海軍青年将校有志
〔蔵書目録注〕
『昭和十年以降頒布セラレタル不穏文書調』の「三、永田軍務局長事件ニ関スルモノ」には、次の記載がある。
番号 題名 納本又ハ届出ノ有無 発行責任者ノ住所氏名記載ノ有無 印刷形式 内容ノ概略
4、永田伏誅ノ真相 ナシ ナシ 謄写
永田事件ノ現場並ニ犯行ヲ揣摩臆測シテ記述シ更ニ犯人ヲ賞恤セルモノ
7、陸海軍青年将校ニ檄ス ナシ 在千葉陸軍青年将校有志 在舘山海軍青年将校有志 活版
第四号「永田伏誅ノ眞相」ノ全文ヲ掲載シ更ニ「士風振起ヲ要ス」「巷説妄信乎非維新ノ烽火也」ノ二項ニ付軍ノ統制ヲ撹乱スルガ如キ言語ヲ弄シ一部軍人ニ対シ直接行動ヲ煽動セルモノ
また、『秘 昭和十年中に於ける 出版警察概観』 内務省警保局 には、さらに発行月日「八、二一」〔八月二十一日〕、禁止月日「八、二七」〔八月二十七日〕の記載がある。
さらに、『日本革新運動秘録』 昭和十三年八月 には、下の記述がある。
永田事件の發生するや逸早く其兇行現場の見取圖迄附した『永田伏謀〔誅〕ノ真相』と稱する詳細なる文書(明かに陸軍省高官より取材せること明瞭なるもの)其他が巷間に飛び後には活版刷のものさへ横行するに至つた