蔵書目録

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「米国から帰朝した閨秀洋琴家」 小倉末子 (1916)

2012年11月21日 | ピアニスト 2 小倉末子

 □米国から帰朝した閨秀洋琴家
  =小倉スヱ子女史が昨日鎌倉丸で=
    ◇東京音楽学校の教授となり華族会館で音楽会◇

 郵船会社の鎌倉丸は去る二十一日横浜入港の予定であつたがシヤートルを出帆して一週間目に二日続きの時化に遭ひて船尾の方に少し許り破損を生じた位で予定より二日間遅れ、二十三日の未明に横浜へ着いた
 ▽積荷は鉄材が 重である為め赤腹はウント水に浸つて船客も満員で其内には三浦環女史と共に日本音楽家として米国の楽壇を騒がし、義姉のマリヤ夫人に伴はれて五年振りで帰朝した閨秀洋琴家小倉スヱ子女史がある。記者は女史を船室に訪うて土産話を聞いた、女史は身に紫紺地の服を着け真珠の首飾りを掛け雪を欺く白毛のボーアと同じマツフを手にダイヤの指環光らせつゝキツと引締まつた口元を綻ばせて語る、『私は今から

   □鎌倉丸甲板上の小倉季子〔小倉末子〕女史 〔上の写真〕


 ▽五年以前に シベリヤ経由で一直線に伯林〔ベルリン〕へ行き、王立音楽学校の入学試験を受けました、試験の科目はピアノと音調でしたが、受験者は五十四名で、合格したのは僅かに十四人でありましたが幸ひに私も合格者の一人に数へられました、私の教師は同校の教頭であるパールト博士で、博士は非常に親切にしてくれました、私も熱心に勉強して居ましたが、恰度一昨年の八月日独戦争が始まりまして同じ月の十五日に伯林を退去し倫敦〔ロンドン〕に渡りました、夫れから米国へ行つて紐育〔ニューヨーク〕に半年市俄古〔シカゴ〕に一年居りました、市俄古ではメトロポリタンコンサバトリー学校の高級教授となり一時間
 ▽四弗の俸給 で教授をしました、独逸と米国との楽界を比較して見ますと、独逸の方が無論立優つて居ります、今米国へは欧洲から音楽家が非常に多く入り込んで居まして楽壇は中々盛んな者であります、米国の音楽界は紐育と市俄古が其中心となつて居る様であります、東京音楽学校の校長さんから私を教授に頼みたいと云ふ通知が来て居ります、又華族会館の音楽会からも出るやうにとの通知を受け承諾をしまして既にプログラム迄送つてあります、夫れはバーク、シヨーパン、ベート及びリストであります』と女史の言葉に次ぎ、同席の義姉マリヤ夫人は、『環さんのコンパニーは皆白人でありますが
 ▽環さんが一番 評判であります、元来彼地の人は日本人には西洋音楽は出来ないものと信じて居ましたが三浦さんの独唱や洋琴を聞いて日本人も西洋音楽が出来ると云つて非常に感心して居ります』

 上の写真と文は、「大正五年 〔一九一六年〕 四月二十四日 第一万一千七百四十号」の「時事新報」に掲載されたものである。

 

 欧米婦人の音楽趣味 新帰朝者 小倉末子


 △婦人の音楽

  欧米では音楽の発達して居ない国は真の文明国でないと申しますから、男女を問はず一般に音楽を尊重致しますが、婦人には特に密接の関係があるやうに思はれます。男の方でも音楽に対する趣味の深い人は多くありますけれども、一般には如何 どう しても婦人の方が男子よりも熱心であるやうで御座います。独逸の歌劇 オペラ の作者リヒアルト・ワーグネルと言へば、今日では子供でも知つて居る位有名で、其作は他の歌劇よりも確かに優れたものと認められて居りますが、其ワーグネルが当時の楽壇を風靡して居りました伊太利の歌劇から脱して、初めて自己の歌劇ー独逸の歌劇を創造した時には、非音楽的であるとか、気狂染 きちがいじ みた音楽であるとか、世間からは様々の酷 きび しい悪評批難を蒙つたので御座います。其当時ワーグネルは友人に手紙を寄せて、「婦人は天性感情に富んで居るから、私の音楽即ち私を男子よりも能く理解してくれる。」といつたことがあります。これは男子よりも婦人の方が一層遥かに音楽に対して鋭敏な感受性を持つて居ると云ふことを、ワーグネルが裏書して呉れた訳で御座います。

 △子供の時からの音楽的教養

  欧米の婦人が常に音楽に対して、深い趣味と鋭い鑑賞力を持つて居ることに就 つ きましては、索 もと めたら種々の原因もありませうけれど、其著しいものは次の二つであらうと私は思ひます。其一つと申しますのは、小供時代からの教育にあるので御座います。外国では中流以上の家庭ですと、音楽は必ず普通教育に伴ふべきものとなつて居ります。ですからピアノやヴアイオリンのお稽古は、外国語とか歴史とか云つた他の学科と並行して行はれて居ります。それで子供に音楽の才能でもあるとすれば、更に家庭に良い教師を招くとか、或は専門の学校へ通はせるとかするので御座います。それに人間の一生は何時 いつ 迄も長閑 のどか な春が続くとは限られませんし、又何時如何 どん な変化が其境遇を襲ふか分りません。それですから万一 もし 一旦境遇に変化が起つて、自活の必要に迫られた場合などにも、少しも差支へを来たさないやうに、平常 ふだん から娘達に何か一廉 ひとかど の芸を授けて置きたい、それには音楽などは一番婦人の性情に適して居るからと言ふやうな訳で、ますゝ音楽が普及されるので御座います。貴族の令嬢の中より音楽の専門家となられる方が往々御ざいます。斯 こ うして一般の家庭では音楽を奨励いたしますから、子供衆のニ三人も御座いますお家では、一人がピアノを弾けば、一人がヴアイオリン、も一人はセロを奏すると云ふ風に、一家内で楽しく合奏が出来る有様で御座います。ですから必然音楽の趣味が培 つちか はれ、発育して行きます。

 △交際上に欠くべからざる音楽

  も一つの著しい理由は、只今申しました通り家庭で音楽が盛んに行はれて、子供の時分から音楽的な雰囲気 アトモスフエア の中に生 お ひ育つて居ります外に、交際上の必要から音楽の教養が是非無くてはならないものとされてゐます。御承知の通り、西洋では芸術を最も高尚な、最も尊いものとして居りますが、わけても音楽は眼に見ることの出来ない極めて神聖なものと思はれて居ります。そんな理由 わけ で音楽は上流社会の最大の娯楽で、又交際の中心となつて居ります。それ故 ゆえ 欧米の交際時季と時を同じく致します音楽時節は実に華々しいもので御座います。夜毎にオペラを始め種々な音楽会や大家の演奏が御座いまして、何処 どちら の奥様でも其等の一つに出席いたしませんのを恥辱のやうに心得て居られます。平常左程 さほど 音楽に趣味をお持ちでない婦人でも、争つてオペラや音楽会へ出掛けになり、次第に面白味を有 も たれる様になられるので御座います。又午後の婦人の客室 ドローイング の会話 はなし と云へば趣味に関する事が多く、取りわけ音楽のとが其主なる話題 サブゼクト となつて居りまして、例へば昨夜のXX歌劇へはお出席なさいましたかとか、一昨夜のダルビアの演奏をお聞きになりましたかとか、イザエの演奏は何と思ひでしたとか云つた風で御座います。恁 か かる話題は単なる無駄話でないのみならず、会話が卑俗な世間話に陥るとから遠ざかることが出来ます。欧米の社会で歌劇や音楽会 コンセルト の絶えた時季、つまり音楽季節 ミュージカルシーズン でない時は、都会の生活も物淋しいものとなつて了 しま ふので御座います。
 亜米利加では音楽は欧羅巴 ヨーロッパ ほど一般に発達はして居りませんけれど、それでも近頃では随分盛んなもので、戦争の影響を受けて渡米される欧洲大家の音楽会は毎日の如く御座います。又婦人が熱心に音楽の普及に力 つと めて居るやうで御座います。唯単に趣味を持つと云ふ許りでは御座いませんで、盛んに活動して音楽倶楽部などを組織したり音楽教修団 ミューヂカル、エヂュケーション、リーグ などを設けたりして、自分の研究に尽くす上にまた、天才があつてもそれを充分に磨き上げて行く程の資力のない子供の為めに多くの便宜を與 あた へて居ります。又沢山のお金を払つて音楽会へ出掛けられない人達のために、大きな会を開いて大家の演奏を聞かせる事も度々御座います。
 要するに欧羅巴でも亜米利加でも、音楽が最も婦人に適 ふさ はしい趣味の一つであると認められて居るので御座います。尤 もつと も茲 ここ に音楽の趣味と申しましても、必ずしも自分で弾ひたり唄つたりしなければならないと申すのではなく、音楽に関する書物を読むとか、有名な楽人の演奏を聴くとかして、兎に角音楽と云ふものに対する智識を養はうとするのが一般の傾向で御座います。西洋では婦人として一通り音楽の智識を有て居りませんでは、教育が未だ充分でないやうに自分でも感じますれば、人からも然 こ う思はれますので、厭 いや でも音楽の一般的智識を得やうと努力 つとめ るので御座います。実際欧米では有名な曲や偉大な音楽家や、殊 こと に歌劇の名前や其内容を一通り知らないやうでは日常の会話にさへ差支えるので御座います。

 上の文は、大正五年九月一日発行 の『婦人公論』 九月号 第一巻 第九号 に掲載されたものである。



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