蔵書目録

明治・大正・昭和:音楽、演劇、舞踊、軍事、医学、教習、中共、文化大革命、目録:蓄音器、風琴、煙火、音譜、絵葉書

『中日文化』 第一号 (1936.5)

2024年02月20日 | 清国・民国留日学生 2 著作、出版物、劇

    

      一九三六年五月十三日  納本
      一九三六年五月十五日  發行

  中日文化
      

      (主要内容)
  説苑
  中國の靑年に寄す          ‥‥ 室伏高信
  東亞と其の環境           ‥‥ 杉森孝次郎
  從敎育上觀察的中日問題       ‥‥ 學廉   
  東洋的改造與東洋文化的再認識    ‥‥ 程伯軒
  研究
  日英米の在支貨幣戰爭        ‥‥ 原勝
  日本人觀察之「共産軍進撃山西」問題 ‥‥ 炁明
  日蘇間諸問題檢討          ‥‥ 王珏
  随筆   
  五月薇薔              ‥‥ 錢雲淸
  讀「中日外交調整論」後       ‥‥ 李學軒
  
  本誌啓事
  
  中日文化
   第一巻 第一號
    (五月號)

     孝經

    中日文化社

    本誌目次
 
  創刊詞               ‥‥ 編者
  日英米の在支貨幣戰爭        ‥‥ 原勝 
  中華留學生與排日問題        ‥‥ 尼格老
  中國の靑年に寄す          ‥‥ 室伏高信
  東亞と其の環境           ‥‥ 杉森孝次郎
  讀「中日外交調整論」後       ‥‥ 李學軒
  日本人觀察之「共産軍進撃山西」問題 ‥‥ 炁明
  從敎育上觀察的中日問題       ‥‥ 學廉
  日蘇間諸問題檢討          ‥‥ 王珏 
  五月薔薇              ‥‥ 錢雲淸
  日本婦人的貧困           ‥‥ 西明
  漢文拉丁化與日文假名        ‥‥ 羅茜
  蓬勃進展下的中國新聞業       ‥‥ 名忠
  東洋的改造與東洋文化的再認識    ‥‥ 程伯軒

   
    創刊詞
  
     (原文)   
 記得孫逸仙曾對當時日本故總理大臣桂太郎氏,拿「中國是老兄,日本是弟‥‥‥」等的比喩來説明中日兩國是如何的親密,是如何的非親密不可。這並不單是一片的世故話,也不是孫氏個人的見解。二千年來的歷史事實,已是這樣證明。 
 然而,應該是兄弟的在東洋的中日兩國,他們的關係,現在是處於怎樣的狀態?那只要觀最近滿洲,上海,兩事變以來兩國間的情勢,也可知道是壊到怎樣的地步。
 若一任這樣的狀態繼續下去,那末,東洋和平的維持,固不可能,即因此招致兩國自身的滅亡,也難説。
 在東洋,有中國才有日本,有日本,中國也才能強大。所謂唇齒之邦。許多的歷史事實都可證明。如法德兩國,有許多歷史的因果關係,和地理的關係,終於彼此打破首都,不絕的演着復仇戰;中日兩國間,並沒有像德法兩國的因果關係。總之,在過去兩國相扶相助的事,不問爲政者是否意識着,幷不是沒有。然而今日是忘却唇齒相輔的關係,而互相仇視!!
 演成這樣的情勢,固然,有種的原因存在。中日兩國的國民,沒有眞誠的研究,深刻的認識,眞正的理解,却是最大的原因。
 世間常高呼「中日親善」,固然是很好。可,是「親善」究是指什麽?
 無理解無認識的兩人之間,有何親善可言?眞的親善,是要從互相眞正認識和理解出發的。 
 現在「第二世界大戰」的聲調,在任何地方都可聽見。到底是那國和那國開戰,固無由知之。總之,在第二世界大戰,沒有勃發之前,中日兩國的識者,眞誠的檢討兩國間的問題,毫無忌憚的來討論,俾中日兩國國民,能因此深認識,理解,使中日兩國民,互相握手,再進而使中日文化,光耀世界,這就是本誌唯一的使命,也是最希望的一点。
     (譯文)
 孫逸仙は曾て當時の日本總理大臣桂太郎氏に對して「中國は兄であり、日本は弟である‥‥‥」といふ比喩を以て中日兩國の如何に親密であり,如何に親密であらねばならぬかを述べ聞かせて遣つたといふことを私は記憶している。これは只だ一片のお世辭でもなければ孫氏個人の見解でもない。事實、二千年來歷史の事實が之を物語つてゐるのである。 
 然るにこの東洋に於ける兄弟である筈の中日兩國の關係は今,如何なる狀態に置かれてゐるか?それは最近滿洲上海兩事變以來の兩國間の情勢を見ても,その関係の甚だ面白くない所がある事を知る。
 この狀態の儘に任せるや、東洋の平和維持の不可能は勿論軈この兩國自身の破滅を招來しないとも限らない。
 東洋に於いては中國があつての日本であり、日本があつての中國である。所謂唇齒之邦であることは幾多の歷史的事實が之を裏書してゐる。佛德の如きは歷史的幾多の因果關係があつて而も地理的關係から、遂に首都まで攻破したり攻破されたり復仇戰のイタチごつこをして止まないのであるが、中日兩國間には德佛の如き因果關係はなかつたのである。これは爲政者が意識的であつたか否かは別としても兎に角、相助て來たやうな過去が無かつたでもない。然るに今は唇齒輔車の關係をも忘れて相睨み合つてゐる!
 こういふ狀態を馴致するに至つたのは無論種々の原因が存在するであらうか?これは中日兩國の國民が眞劒に研究して深く認識し眞に理解してゐないことがその最大な原因ではないかと思ふ。
 世にはよく「中日親善」の聲があるが、それは固より結構な事である。だが、「親善」は何を意味するか?
 理解なく認識なき二人の間に親善なんか存在すべきであらうか?眞の親善は互に眞の認識と理解から出發しなければ有り得ない筈である。 
 今は「第二世界大戰」の聲が何處に於ても聞える。固よりそれは何國と何國の戰であるか知る由もないが、兎に角、第二世界大戰の勃發しない前に、中日兩國の識者が兩國の問題を眞劒に檢討し忌憚なく討論し、以て中日兩國々民の認識と理解を深め、中日兩國々民を強く握手するに在らしめ、延いては中日文化を世界に輝かせるといふ事は本誌の唯一の使命であり切望する處である。

  

  歡迎華北思想家梁漱溟(上) 
         室伏高信
  
 四月廿七日午後之意外事ー改造社山本實彦氏以電話来,由多年未相往之人,打來電話,已屬意外;而一就電話更出意表。蓋余多年亟欲一晤之人,突來東京,欲與余相會也。
 此珍客。即此處所欲述之梁漱溟君。此君在日本鮮有知之者,即在本國亦不似胡適魯迅等之廣爲大衆所知;然彼乃獨自的及獨創的思想家,可視爲東方思想家之一典型;亦爲思想之實践家;在華北頗占地步,其思想與人格的力量均極影響。可謂爲現代中國之甘地。至少能成爲甘地其人。  
 余初識梁君之名,乃昭和五年,由上海赴北平遊歷之時。在北平書店街,尋覓書籍,發現梁君特色之著述。又發現君等所創辦之機關雜誌,故大體得知其思想與事業。此即因村治派之名,而盛行之思想與其運動是也。
 村治派之運動,創始于國民黨之名士孫鴻一之手,王君沒後,由梁君主辦。一團思想家,以北平爲中心而結合。河南之馮玉璋,及山西之閻錫山等,對此共鳴,於河南村設立學校,於華北進行改造運動。
 去夏,負讀賣新聞之使命游華時,欲晤梁君,兼訽此種運動,現狀何若,但偶因他故,致本可相晤而竟未能。 
 此君現來東京聞主要爲視察日本之農村。余受山本氏之電話後,立即經訪。于改造社之社會室初次與梁君握手。
 『室伏先生嗎?』
 『是的,多年前就想和先生會晤。』
 『去年夏天等着先生了,固爲聽説你要到濟南來。』
 『啊!是打電報給韓復渠的時候嗎?』 
 『是的,大家都等候着了,韓先生也很想見面。』
 梁漱溟君現兼山東省長韓復渠之最高顧問,在山東省内設立學校,敎養子弟,指導郷村建設運動。此運動因梁君之思想與人格及韓之權力,於山東省内,着進行,頗舉實蹟。雖經黄河幾次氾濫,然山東省内農村,仍能有模範的成績,爲全中國注視之焦点。此由于吾梁君努力之處實多。「村無訟,家有餘」,今日似已由山西移于山東。

  

 中華民國二十五年五月十五日出版
        東京市神田區三崎町一丁目一ノ一
         伯軒日語學院内
  編輯所     中日文化社 
  編輯兼發行人  程孝慈   
        東京市神田區神保町ノ四二
  發行所     成光堂

  
 
〔蔵書目録注〕
  
 本誌の掲載文は、漢文と日本文の両方である(ただし、「日本婦人的貧困‥‥西明」や「歡迎華北思想家梁漱溟(上)‥‥室伏高信」等は漢文のみ)。
 わざとなのか、「歡迎華北思想家梁漱溟(上)‥‥室伏高信」等は、目次には無い。
 なお、青字は、原文では全て「々」であるが、中国語では使わないので変更した。 
 また、赤字の「二」は、活字の「三」が二重線で消されて訂正されたものである。
 
      

 上左と中の写真は、『支那』 著者 山本實彦 昭和十一年九月十一日發行 改造社 に掲載された「梁漱溟氏と署名」と「梁漱溟氏書簡(著者宛)」である。 
 上右の写真は、『現代中華民國滿洲國人名鑑』 外務省情報部編纂 東亞同文會調査部發行 昭和七年十二月二十二日發行 にある梁漱溟の履歴である。
 下がその履歴。

  梁漱溟 リヨウソウメイ 字煥鼎 カンテイ (Liang  Shu-ming  字 Huan-ting)
    現住北平 廣西省桂林縣人 一八九二年生
   哲學者(殊ニ東洋哲學ノ權威者)
   經歷 一九一八年任北京政府司法部秘書。一九一九年任國立北京大學印度哲學敎授。一九二八年任國民黨廣州政治分會委員、廣東省政府委員。一九二九年任廣東省立第一中學校長兼廣西省政府顧問。一九三〇年辭任シ爾來北京ニ在リテ專ラ攻學著述ニ從事ス。著書ー「印度哲學概論」「東西文化及其哲學」「漱溟卅前文錄」「漱溟卅後文錄」其他



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