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「再び支那に遊びて」 竹内栖鳳談 (1921.8)

2021年04月19日 | 人物 作家、歌人、画家他

 

 再び支那に遊びて
                竹内栖鳳

 蘇州は昨年平亂の爲め見る事を得なかった爲め本年悠っくり見物したが支那は至る處吾々に取っては好個の畫題である。殊に一等面白く愉快に感じられたのは何千年の永い年月を經た風物の廢頽せる色其物であって全く自然の色に歸したかの樣に美しい人工を加へない人物も山河も渾然とした畫題は色鉛筆を以てして見たがトウゝ完全に寫し取る事が出來なかった。是迄自分は支那畫も隨分澤山描 か いたが百聞は一見に如かずで今度二囘の巡遊に依って大 おほい に得る處があり之に依って新生面を開きたいものだと思ってゐる。蘇州では虎丘と云ふ處に行ったが爰 こゝ は昔千人斬って埋た處が忽ち白虎になって現はれたと云ふ傳説とからんで面白い景色の好い處であった。北京では昔の宮殿の一ツを美術陳列所に宛 あ て他の一ツを美術工藝館として名畫を収め一年一囘節句に見せる事になって居るが丁度節句の日であったから見る事を得たが何樣傍 かたはら に守衞が附添ふて嚴重に監視して居るので落款等も寫す事も出來ぬ位であったが能 よ く見ると殆ど僞物計りで眞物 ほんもの は例へば一斗の水の中の二三滴が保存されて居る位なもので保存が不十分の爲め殆んどスリ換られて仕舞って居て見るべき價値はない。古名畫も今では散逸して纏まって居ない富豪の邸宅にも保存されて居るものが甚だ尠 すくな いとの事である今日では古名畫を見るよりも外部に出れば何千年を經過して居る自然の名畫が至る處に展開され居るのでそれを見る方が餘程面白く愉快である。(談)

 上の文は、大正十年八月一日發行の雜誌 『繪畫淸談』 第九卷 八月號 に掲載されたものである。



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