春待草の独り言

日々思ったこと、感じたことを日記代わりにつづっていきたいです。昨日コブクロライブに行った記念に。

加藤和彦さんありがとう。

2009年10月18日 | 音楽のこと
携帯に流れてくるフラッシュニュースを読みびっくりしました。

加藤和彦さん。いつもおシャレでかっこよくて。

たくさんの名曲を残されました。
私が好きなのは、「悲しくてやりきれない」
「花のように」「あの素晴らしい愛をもう一度」
「家を作るなら」←♪家をつくるなら 家を作るのなら 草の燃えるにおいのするカーペット敷きたいと思うのであります…♪有名なハウスメーカーのコマーシャルでした。

「白い色は恋人の色」
フォーククルセダーズ時代、北山修さん、端田のりひこさんらとグループをくみ「帰ってきたヨッパライ」で一躍有名に。

MEN'S CLUB
という雑誌に「バンドを組みませんか?」と加藤さんが載せた募集投稿に当時京都府立医大生だった北山さんが訪ねてきてグループ結成のきっかけになったとか。

友人の松山猛さんが中学時代近くの朝鮮学校にサッカーの交流試合を申し込みに行ったときに流れてきた「イムジン河」の美しいメロディーと歌声に惹かれ、辞書や友人に聞いて訳し作詞もされたたイムジン河。

フォーククルセダーズはこの歌をレコーディングされたそうです。

それを知った朝鮮総連から忠実に歌詞を訳されていないと発売は中止、テレビやラジオでこの曲を流すことも禁止され、それを破った関係者は処分っされるという厳しい曲でした。

急きょ別の曲をレコーディングすることになり、

若かったフォークルのメンバーはこの気持ちを何とか歌詞にしたいとサトウハチローさんに歌詞を依頼しました。
加藤さんある部屋にこもりイムジン河のテープを逆回転で再生をし、参考にしたもでわずかな時間でメロディーつけられたそうです。

その曲が「悲しくてやりきれない」です。

イムジン河は数年前20数年の時を経てやっと発売の許可がおりました。

加藤さんは「音楽の世界でやることがなくなった」ということを遺書に書かれていたそうです。

まだ62歳。これからももっとたくさんの曲を聞かせてほしかったです。

奥様(安井かずみさん)を大腸がんでなくされたことで最近では確か大腸がんの撲滅キャンペーンソングを杏里さんや今井美樹さんと歌っていらっしゃいましたよね。 。[手と手手と手・作詞はきたやまおさむさん)


友人北山修さんは精神科医。
今回のことは北山さんにとってもとてもショックだったことでしょう。

加藤さんどうぞ安らかに。

でも音楽ってすごいですね。
素晴らしい曲は時代を経てずっと歌い継がれていくんですから。

ありがとうございました。

私の知っているたった少しの加藤さんの思い出を書きました。

ほんの30年くらい前自由に歌を歌えなかった時代がこの日本にあったんですね。

そういえば、昨年の秋。コブクロともゆかりのある、緒形拳さんや、筑紫哲也さんも亡くなられました。
一年って早いですね。

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