春待草の独り言

日々思ったこと、感じたことを日記代わりにつづっていきたいです。昨日コブクロライブに行った記念に。

佐渡三日目~新潟へ

2010年08月23日 | 思い出
前の日の晩のデザート。一人にひとつという大盤振る舞いでした。
食べきれなかったから、朝食べました。
早めに旅館をでて金山にいきました。

金を採掘していた洞穴はすごく大きく気温はなんと10℃!
サム~!

ろう人形が当時の鉱夫を再現していました。

想像を絶する重労働です。
綺麗に輝く金もこの方たちの大変な苦労で発掘していたんですね。
売店では金箔をトッピングしたコーヒーやソフトクリームがありました。

両津港と新潟港を結ぶ佐渡汽船が一艘の船が故障したため、一艘だけの運航でまかなっているため、12時の便になりました。
お昼は船のなかの食堂で食べました。

変わった冷麺を頼んだけど、これまた今ひとつ(涙)

早めに駅の近くのホテルに移動しました。

ホテルのへやからレインボータワーがみえます。

結局うまくとれなかったけど、新潟の信号は雪の重みで折れないよう縦に並んでいました。

夜は知り合いの人に教えてもらった県庁近くの酒蔵・やどというお店にいきました。

日本酒が沢山おいてあり、主人と義理兄はテンションあがってました。

茶豆、十全茄子の漬物、お刺身、岩牡蛎のフライ、焼きおにぎり、など美味しいお料理でした。

出た!新潟でバーベキューに続きました。美味しいご飯!



ここでちょっこし不思議なことが。

今となっては確かめるすべもなく(福島コミュニティーFM)に問い合わせればわかるかもしれないけど。
今はパーソナリティーをされてないようだし。

確かめるにはあまりにあやふやなので、ここにちょっこしかかせてください。

以前、森山直太朗さんのさくらに関する、15さいという、短い一生をいきた、みさとさん。という女の子の記事をここのblogにかきました。

スタジオパークからこんにちは。でも、あの直太朗さんへの手紙をかかれた方のお名前は紹介されていました。
珍しいお名前だったのでためしに検索してみると、当時福島コミュニティFMのでパーソナリティーをされている方でした。

2008年にはフリーアナウンサーとしてこの方が視覚障害のある方のために朗読ボランティアをされている、という記事があり、一般の方ではないので、はじめてお名前を書かせていただきます。

馬場二三子さん。

新潟の食事をしている時となりのテーブルには8人くらいのお客さんがいて、話が弾んでいて、自然に耳に入ってきました。

「急に○○さんの都合が悪くなってさー、ばばふみさんにピンチヒッターをおねがいしたんだよ」と男性がはなされました。

ばばふみさんて、もしかして馬場二三子さんのことではないんだろうか。

私は馬場さんの番組で紹介されたお手紙があまりに感動的で、みさとさんと言う方が、あまりに出会う人が少なく、この世を去られ、少しでも多くの方の心の片隅にでもみさとさんのことを住まわせてほしい。

そういう思いで番組に手紙をだされた馬場さんの想いにすこしでも寄り添えないだろうかと、当時わたしのblogのURLをコブクロの交流掲示板に貼り付け(当時はオッケーでした。)させてもらいました。

後日、事後報告になりましたが、福島コミュニティFMのホームページに掲示板があったので、馬場さん宛に私のblogをしょうかいさせていただき、コブクロの交流掲示板に書かせていただいたことを書き込みさせていただきました。

だからもしかして馬場さんが私のblogを見てくださったことがあるかも知れません。

座っているなかのお一人がパソコン検索で一枚だけあった馬場さんのお顔ににているようなきもしました。

しかし、すべてあやふやで。

でももし隣のグループの方が馬場さんにゆかりのある方、もしくはご本人がいらっしゃったなら、これはすごく偶然なことではないか。

みさとさんが会わせてくれたのではないか。
と考えるととても不思議な気がします。

あくまでもわたしの想像で書きました。

そんなことあるかもしれないなって。

こうして新潟の夜は更けていきました。

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