春待草の独り言

日々思ったこと、感じたことを日記代わりにつづっていきたいです。昨日コブクロライブに行った記念に。

沈まぬ太陽を観てきました(ネタばれしています)

2009年11月05日 | 風景
先日中学が振替休日の日。
気持ちがちょっと楽でかねてから観てみたかった「沈まぬ太陽」を観てきました。





ここからはネタばれが含まれていますのでご注意くださいね。








以前から書いていたのですが、日航機の事故に関しては、思い入れみたいなものがあって、検死に立ち会った方の手記を読んだりクライマーズハイ(これは新聞社の立場から見た日航機の事故のお話でした。)の映画を観たり・・。

実は以前、この関連のことで感動をしたことを新聞の投稿欄に初めて送ったらビギナーズラックっていうんでしょう。新聞社の方からお電話があって「とてもうなずける投稿ありがとうございました」って載せてもらったことがあります。謝礼に3000円いただいちゃったりして・・。自分の考えを他人さまが読んでくださる実感をこの時初めて感じました。そういえば…。

沈まぬ太陽は3時間22分というとても長い映画です。ちょうど真ん中辺で10分間の休憩が入ります。

おトイレに行かれるのも一服されるのもご自由です。ただこの休憩時間に流れるバイオリンの曲。
実はこの日航機の事故でお父様を亡くされ、その一か月後に生まれたというバイオリンにストさんが演奏されているのです。
あったことのないお父様。そして事故で亡くなった方への鎮魂歌となるようにと心をこめて弾かれています(渡辺謙さんが徹子の部屋で語られていました)
ダイアナ湯川さんというきれいなお嬢さんが弾かれています。この鎮魂歌も映画の一部として流していますとおしゃっていました。

あの映画はフィクションと断りがありますが、実際の事故を元に書かれた小説。
変えてはいけない表現、事実があります。
そこをとても丁寧に描かれているなあと思いました。

急降下している機内でメモ帳に家族に向けて遺書を書かれた男性の方、ボイスレコーダーに残る機長の最後まで機首を上げようと努力されている様子。
管制塔とのやり取りが途中から日本語に変わります。それだけ緊迫していた様子がわかります。それを忠実に再現されていました。

酸素マスクが天井から下りて急降下している機内で最後まで「大丈夫です。頭を低くして下さい。膝と膝の間に頭を入れてください。小さなお子さんはだいてあげてください」と最後まで乗客を励まし続け最後まで乗務員としてのお仕事をやられいたスチュワーデスさん(当時の呼び方です)
乗客の遺品のカメラに残っていたものを現像してみるともの時の様子が映っていたそうです。

123便という便数。乗客の数、生存者の数。すばらしいなあと思いました。

映画には描かれていませんが、

検死に立ち会われた医師やスタッフの方はマスコミのカメラを避けるためクーラーのない体育館で暗幕を張り作業をされていたそうです。

想像を絶する臭気。おびただしい数の棺桶、頭だけになった幼い子供さんのご遺体を毎晩抱っこしてくださっていた看護婦さん(当時の呼び方です)

電車に乗るとみんなにくさいといわれ乗れなかったこと。
きっとひどい匂いを放っているのに、遺体安置所の近くのラーメン屋さんはお店の人もお客さんも何も言わずお店に入れてくれたこと・・・など多くのご苦労されたエピソードが検死を担当された方の手記に記されていました。

だから映画が始まり乗客の方の様子が描かれているのを見ると、手記で読んだ方のエピソードと重なり、最初から涙があふれました。

遺族の方のおうちの様子を見に訪問する渡辺謙さんの手に虎屋の羊羹の袋。
田舎のおじいちゃんであろう宇津井健さんへのお土産。
いろいろ考えて東京の高級な羊羹を持って行かれたんだなあと、細かく作り上げられた映画だなあとそこに注目しまいました。


あの雄大な景色は映画館でないとだめだなあと思いました。

今日の写真は二日前にとった沈みゆく太陽です。
このあとあっという間に夜になりました。
マジックアワーです。

すぐ横のほうに座っている女性の方が終始ビニールをシャリシャリ言わせながらおせんべいを抜き取りゆっくりと食べられるのですが、その音が・・。休憩時間にはお昼に合わせてラン○パックを召し上がっていました。(リラックスしてに観れるような映画ではないんですが…。)

どこかでは携帯が鳴るし。ちょっと勘弁してほしかったです。


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3 コメント

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いろいろ考えさせられました (sachi)
2009-11-06 20:38:30
きょうちゃん こんばんわ

長くなりそうなのでこちらにコメント書かせてもらいますね

沈まぬ太陽の題材となった日航ジャンボ機墜落 当時は毎日TVでニュースが流れていましたね

あの事件は昨日のことのように思い出されます
 父は入院中でした。私がやっと外出が出来るようになって、生まれて1ヶ月の長男を連れて父の病室に見舞いに行った日に、飛行機が消息不明になったというニュースが流れていました。山の中に墜落し 夜があけるのを待って捜索が開始になり、それから時間が経つにつれて流れてくる悲惨な事故現場の様子

人が入ることのできない山中での捜索の大変な様子がテレビで流れたり、週刊誌で徐々に機内の最後の様子が明らかになっていくたびに心が痛みました。
初めての子育ての不安 父親の病気、いろんなことが重なってこの出来事は当時の重く暗い日々を思い出します

このブログを教えてもらった時、ブックマークの「日航ジャンボ機の記事てなんだろう」と読ませてもらっていました。
大勢の方が亡くなったけど乗客を守ろうと最後まで努力した乗員の方々のことや、この事件に携わった方々の苦労知ることが出来ました

当時の事件が話題になるとあのときの暗い病室の思い出と重なり心が重くなっていまいしたが、このブログを読ませてもらってその裏にあった事実を知ることが出来てよかったです
きょうちゃんのように流れるような文章になりませんが、あの事件の私の思いを語らせてもらいました

主人はその日菅平で会社のラグビー部の合宿中で「多くの自衛隊の人が山の中に入って行ったから何かあったのかなと思った」と帰ってから教えてくれました

長々とごめんね


突然話は変わって質問です、
以前山陽新聞に投稿したことがありますか
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映画、行きます! ()
2009-11-07 10:31:15
あの事故の数週間前に日航ジャンボ機に乗った、ということもあり心から離れない出来事でした。ずいぶん前ですが原作を読み今回映画になると知ったとき、どうしてか観ようという気持ちになれなくて、、、
でも観に行こうと思います。
ありがとう。きょうちゃん、背中をおしてもらいました。
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ありがとうございます。 (きょうちゃん)
2009-11-07 17:53:16
sachiさん、日航機の事故のことを思い出すとお父様の大変だった時のことを思い出すんですね。
力作のコメントありがとうございます。
ちなみに投稿は山陽新聞ではなかったです。

心さんぜひ時間をつくって観にいってくださいね。
私はせんべいの音が気になったし、一分ほど遅刻したのでもう一度、観てみたいと思います。
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