春待草の独り言

日々思ったこと、感じたことを日記代わりにつづっていきたいです。昨日コブクロライブに行った記念に。

天国の筑紫哲也さんへ。

2009年11月07日 | コブクロ
今日は筑紫哲也さんの一周忌です。
昨年のことでした。
携帯のフラッシュニュースで突然、訃報を知らせる文字が流れてきて目を疑いました。

すぐにオフィシャルの交流掲示板に筑紫さんの追悼の記事を書き込みをさせていただきました・・・。

肺癌と闘病中でいつかNEWS23に復帰されると思っていました。
番組名にはずっと筑紫哲也のNEWS23となっていたような気がします。

筑紫さん。私はあなたがいなかったらコブクロに出会うのがずっとずっと後になっていたと思います。
2000年11月22日のNEWS23で関西の放送で好評だったということで、筑紫さんがコブクロのことを取り上げてくださったのです。

私は何気なくテレビをつけていて「こぶくろ」

名前の由来は二人の名前、小渕と黒田からきている・・。と紹介され、へーそうなんだ。面白いなあと思いました。そして、小渕という苗字が元総理大臣の小渕おぶち)恵三さんと同じ字ということで心に残りました。

不思議と黒田さんがとっても背が高くて小渕さんとの背の高さが違ってデコボコしていること、どんなお顔をされていたか・・などほとんど記憶に残っていません。

ただ関西でストリートをしていてあまりにも人が集まりすぎて、しょっちゅう警察の人に怒られ、なかなかストリートライブができにくくなってきているという風に紹介されていました。

京橋の歩道橋があまりにも人が集まりすぎて折れるんじゃないかって思ったことなど。

ある教会での50人ライブをしている様子が流れていました。
初めての方がほとんどなので何を歌うか曲順を練っている二人。
太陽を歌われていたような。

ナレーターの言葉が残っています。

「コブクロの魅力の一つにその歌詞の素晴らしさにあります・・」と桜の歌詞が唄のバックにテロップで流れました。

その曲がどんなメロディーだったのか全く覚えていなかったのですが、その歌詞がその時の私の心境にぽっかりはまって涙がスーッと流れてきました。

がんばれとかいう歌詞があるわけじゃないのに、背中をそっとなぜられたような気がしました。

その頃3人目の子供がおなかにいて、少し前近所の医院で看護師さんを募集しているよ、やってみない?と友人に誘われていて、自転車でその医院を見に行き、もう一度、白衣に身を包みキャップをつけた自分を想像して少しウキウキしていました。

面接を受けようとする前に妊娠がわかりました。
うれしくなかったわけではないけど、なんか社会からしばらくの間置いて行かれるような・・・そんな寂しさを感じている複雑な心境でした。

「桜」は大丈夫、今のままでいいんだよ。今までやってきたことで大丈夫って、今から思えばYELL ~エール~の歌詞のような見えないエールをもらったような気がしました。

筑紫さんはおっしゃいました。

この二人はある意味今の時代と逆走している。
複雑な音を使い録音をされる時代で、ギター一本と声だけ、マイクも使っていない。一度にできるだけ多くの人に聴いてもらおうとする人が多いのに、できるだけ少ない人数でと30人、50人ライブをしている。

歌詞もすごく大切にしている。
面白い。というようなことをおっしゃっていました。

あれからずっとコブクロのことを見守ってこられていたんですね。

2006年10月21日。NEWS23の金曜深夜便に再びコブクロを呼んでくださいました。

残念ながら筑紫さんは大分からの中継でスタジオでの共演は実現しませんでした。

6年前武道館が夢って言われていましたね、ある意味夢がかなったわけですが、
今後の夢はなんですか?」と筑紫さんが質問。

小渕さんが「武道館へ行くと言う夢を周りのスタッフ、応援してきてくれた人たちがずっともち続けてくれていたからだと思います。

その間にであった人たちは、かけがえのないものだったんだなと思います。

僕らが出会って8年。
これまでの8年間は決して簡単ではなかった。

これからの夢はこれからまず8年やり続けていることです。それは一番難しいことであり一番楽しいことでもあると思います。そしてもっと長く歌って行きたいです。」と小渕さんが言われました。

そこへ筑紫さんが。

「今日はそちらへうかがえなくて本当に残念です。正直、(2000年のNEWS23の時)とってもいいなあは思ったけど
まさかここまでブレイクするとは思いませんでした。

こういうとき黒田さんは、いつもうなづいているだけだね。実にいい組み合わせだ」

コブクロのお二人よりもずっとずっとずっと人生の先輩であられるのに、「小渕さん、黒田さん」と呼ばれていることがとても新鮮で、感動をしました。

あー筑紫さんはずっとコブクロをいろんなところで見ておられたんだなーってわかりました。
当時黒田さんは歌番組に出られてもあまりしゃべっていなくて黒田さんのことを無口って思っている方が多かったような気がします。

スタジオでは「風」を。アコースティックで。

秋の夜にしっとりとあう、素敵な選曲でした。
その放送がなぜか一番見ていただきたい人がおられる関西では番組の時間の都合で放送がカットされたんでしたね。
そしてその年の大晦日。NHK紅白歌合戦も「風」を歌われました。

今朝の「天声人語」には筑紫さんが今生きていらしたら、民主党の圧勝での政権交代をなんて言われただろう、せめてもう一年生きていてほしかったと綴られていました。

筑紫さん、コブクロに出会わせてくださってありがとうございました。
天国でいつか会えたら、絶対にお礼を言いたいです。コブクロに光を当ててくださらなかったら会えませんでした。ありがとうございます。と・・。


このブログの2006年10月21の記事に金曜深夜便の出られた時のテレビでの様子を書いています。

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2 コメント

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なつかしいなぁ・・・・ (hide)
2009-11-09 11:02:36
写真、見て、あの番組、思い出しました。 筑紫さん、もう一周忌なんですね。 2000年には、まだ、コブクロに出逢ってない私です。 2年先輩の、きょうちゃんとコブクロとの縁、筑紫さんが、とりもってくれたんですね。
そして、陰ながら、ずっと応援してくださってた筑紫さん! 2006年に、見れた、前に撮られた映像で、恥ずかしそうに、「いつか、武道館に出れたらなぁ・・・」って言っていた小渕クン! すごく印象に残っています。  そして、夢が叶ったときの、小渕くんのコメント・・・・
なんか、読んでいて、こみ上げるものが・・・きょうちゃんの書き込み、いつも感動してる私です。   ありがとう!    そして、筑紫さんにも、ありがとう! 
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hideさんへ (きょうちゃん)
2009-11-09 22:48:47
ありがとうございます。
小渕さんメジャーデビューまえは武道館なんてはるか遠い夢だったんでしょうね。

それが今回はファイルが武道館。

がんばりましたね。
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