みそこぶし山(県境三山縦走記その3)
頂上は雲の中だった。眺望は何もない。
けれど、さっきまで喘いでいた登路から開放され、頂上に達した達成感から自然と笑みがこぼれる。ちょっとした至福の時だろう。
おそらくこの達成感こそが山登りの魅力と言っていい。低山でも自分で歩いてきた道は貴重なものである。
山登りは人生に似ている。何故山に登るのか?答えは各人が見つけなければならない。誰も教えてはくれない。けれど懸命に登れば、高い低いにかかわらず頑張った分だけ達成感も味わうことができる。
頂上には何もない。けれど、ここまで登ってきた時間の充実によってとらえ方が変わるということである。
それはさておき、涌蓋山の頂上は長細くナガイは無用。軽く口にたべものを入れただけで下山を開始する。さっき出会ったお年寄り達も到着していた。
下山を開始すると、さっき見えていた霧氷はもう消えていた。ほんのわずかなチャンスだったに違いない。ここも1月2月の厳冬期には霧氷の花が咲くのだろうなー。
そう思いながら、さっき来た縦走路を歩き返し、風のよけれる窪地で三+七さん特性のラーメンを食べると5時間半で縦走完了。
最後は筋湯の打たせ湯で汗を流したのである。
(写真はわずかに見えた霧氷・県境三山縦走記終わり)
次回また山登りを計画します。皆さん一緒に登りませんか。
コンコード環境デザイン研究所 梅田
頂上は雲の中だった。眺望は何もない。

けれど、さっきまで喘いでいた登路から開放され、頂上に達した達成感から自然と笑みがこぼれる。ちょっとした至福の時だろう。

おそらくこの達成感こそが山登りの魅力と言っていい。低山でも自分で歩いてきた道は貴重なものである。

山登りは人生に似ている。何故山に登るのか?答えは各人が見つけなければならない。誰も教えてはくれない。けれど懸命に登れば、高い低いにかかわらず頑張った分だけ達成感も味わうことができる。

頂上には何もない。けれど、ここまで登ってきた時間の充実によってとらえ方が変わるということである。

それはさておき、涌蓋山の頂上は長細くナガイは無用。軽く口にたべものを入れただけで下山を開始する。さっき出会ったお年寄り達も到着していた。
下山を開始すると、さっき見えていた霧氷はもう消えていた。ほんのわずかなチャンスだったに違いない。ここも1月2月の厳冬期には霧氷の花が咲くのだろうなー。
そう思いながら、さっき来た縦走路を歩き返し、風のよけれる窪地で三+七さん特性のラーメンを食べると5時間半で縦走完了。

最後は筋湯の打たせ湯で汗を流したのである。

(写真はわずかに見えた霧氷・県境三山縦走記終わり)
次回また山登りを計画します。皆さん一緒に登りませんか。

コンコード環境デザイン研究所 梅田