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梅ちゃんのガーデンブログ

コンコード環境デザイン研究所○ランドスケープデザインとまちづくりとマウンテンクライムのブログ

夏休み

2010-08-12 20:42:42 | 雑記
夏休み
明日から夏休みである。
しばらくブログをお休みしていたら、8月の夏休みになってしまった。
休みは明日からの3日間になる。

8月13日から15日まで熊本の老親のところに帰ることになる。
これが夏休みである。

子供の頃は学校に行かなくてもいい夏休みが楽しくて仕方なかったが
この年になると、夏休みになって催促の電話がかからないだけでもありがたい。

14日は久しぶりに九重に登ろうと思う。
昨年の11月以来だからおよそ10ヶ月ぶりになる。

それまで10ヶ月、仕事と正面を切って立ち向かった。
結果を出すために。
である。

若い頃は、仕事の責任も無くあれこれと楽しく過ごしていたが
といっても、子育てに追われていたといったほうが正確である。

子供が大学生になると、
そうも言っては居れない。

結果を出すということは、黒字を出すということである。
わが社の利益が、あの国策会社:日航よりはるかに高い利益を出しているのである。
これはまぎれの無い事実であり、わが社のほうがはるかに国に貢献している。
しかし、それが判らない人間が多すぎる。

長いものには巻かれろ。である。

背水の陣を組み、本気で挑戦をしている者など私の周りには一人も居ない。
みんなどこかで本気で取り組むことを避けている。
勝つことも負けることも避けている。
それが全てである。

親方日の丸と思っていれば、いつか第2の国鉄になる。

しかし、それが判らない人間が多い。多すぎる。

会社は大きければ良いと言う物ではない。
あれこれとやって、結果を残さないのも馬鹿である。
正確に言うと
利益を出さなければ、社会のお荷物である。

それはさておき、やっと明日から夏休みである。

九重に登ろうと思う。九重こそ九州の岳人の山である。
俺はこの山に100回は登ったなー













カウントダウンが始まった

2010-02-20 17:14:49 | 雑記
カウントダウンが始まった。

 娘が希望していた大学・日芸に合格した。
もし不合格だったら、地元の短大にいって保母さんになると言っていたのだが。
あっさり合格して4月から東京で一人暮らしになる。ちょっとさびしい気もするのだが、仕方あるまい。きっと財布のほうがもっとさびしくなるような気がする。

 娘は小学校5年生のとき中学受験がしたいと言い出し、筑紫女学園中学に通い高校受験はしないまま、大学も日芸だけ受験した。進路についてあまり思い悩むふうでもなく、黙々と受験勉強していたようだ。

 ま、私立の学校に行かせるというのはお金がかかるのだが、受験には失敗することなくすんなりきているし、ちょっとオチャラケタところもあるが素直に育ったので良かったのだろう。

 大切なことは、東京はその文化性、国際性、政治経済、などにおいて世界有数の都市であり、競争も激しいがチャンスも多いということである。そして、そこで学ぶことになった娘にとっては、将来を決める人生の大きな転換点にたっている。ということだと思う。
きっと鉄砲玉のようになるのだろうなー。

 ところで、年度末。
工期が迫っている。怒涛の3月が始まろうとしている。
昨年受験した技術士試験の発表。近づいてきました。
カウントダウンが始まった。今年の春は色々な事が起きそうである。

コンコード環境デザイン研究所 梅田和久

今年もあと1日

2008-12-30 20:12:15 | 雑記
今年もあと1日
年の瀬となり、今年もあと一日となった。
 色々なことがあったけど、答えを出すことなく、また出せずに今年も過ぎていく。
ま、人は何事かを引きずりながら生きてゆくわけで、今年も年の瀬となり強制終了のエンターが押されたことになるので区切りとしては一年はとても役に立つ。
年が明けたら、また課題と向き合い成長発展を目指していかなくてはならない。

 それまで家族と少しの間、休暇となる。来年は48歳だから健康にも注意しないといけない年だろう。どんどん年をとって一年一年が早い。
 山にも登りたいし、もちろんバリバリ仕事もしたい。アートも人も出会いを求めてゆきたい。
 あと少し、積極的にネットワークを広げてゆければそれなりに楽しいことが起こるかもしれないと思う。(昔は人見知りをして全然話せなかったのだが、年をとるとそんなことなど言っていられない)

挑戦と飛躍の年になることを願っています。

雨の植物園

2008-10-06 20:40:36 | 雑記
雨の植物園
久しぶりに休日が取れたので、南公園の植物園に行ってきました。この植物園、晴れた日だったら大入りなのだが、昨日は雨で人影もまばら。
歩きながら、木の名前を覚える。不思議なもので木の名前によって、樹が生きているような気がする。ま、少しアルコールが入っていたせいもありますかね。

写真はバクチノキ、ばくち打ちはこの樹をご神木としたらしい。樹肌が赤く樹皮がはがれてゆくので身ぐるみはがれるからバクチノキとなったという。

バザールではなくバーゲン

2008-09-27 00:15:51 | 雑記
バザールではなくバーゲン
チョット脱線ではあるが、この季節になるとバーゲンが懐かしい。
そう優勝バーゲンである。
今では死語になってしまったが、あの頃のホークスは強かった。
その頃の僕はダイエーではそんなに買い物をしなかったのだが、優勝バーゲンを機会にダイエーにも行くようになった。今はイオンである。それはさておき。

 もう5年以上も前になってしまったが、職場が博多駅にあり構内で流れるホークス音頭を毎日聞いた。優勝のときは駅で鷹正宗の振舞い酒が出た。広場には大型テレビが出て実況をやっていた。だからではないが、山に入り長いトレイルに疲れれると「ゲンカイナーダノー・・」と口ずさむ。

王監督が辞めるという。去ってゆく人が多い季節である。次の監督は秋山だろうか?そうなると私と同年代となる。

4月になりました。

2008-04-03 12:49:54 | 雑記
 4月になりました。
気持ちを変えて、テンプレートも替えて見ました。
昔見た、卒業という映画(といってもテレビで見たのですが)でサイモンとガーファンクルがバックで歌っていたあの歌(エープ-リルからはじまったような?)をなぜか思い出しました。

春は桜、自生種だけで100種以上。園芸品種は300種以上にのぼる。

 この桜、花見の時だけはチヤホヤされるのだが、他の季節では見向きもされない。花が散ってしまえば、後は毛虫が多いとか、落葉が邪魔といわれるのである。
しかも花が咲いていなければ見分けがつかない人がほとんどである。

咲いて散るのは桜です。

(写真は長崎港水辺の森公園でバグパイプを演奏する乙女)

卒業式

2008-03-18 18:48:31 | 雑記
卒業式

 忙しい間をぬって、息子の卒業式に出かけました。
 娘もこの学校を卒業したので、ちょうど10年間私もこの学校に通った事になります。と、言っても運動会ぐらいしか行かなかったからたいしたことはありませんが。

 校長先生が、子供たちに送られた言葉は「希望」
 ヘレン・ケラーが生きたように、人生には多くの困難が待ち受けています。辛いこと悲しいことのほうが多いかもしれません。でもそのとき忘れていけないことは「希望」です。ヘレン・ケラーは奇跡の人と呼ばれました。

 うちの会社も、厳しいことばかりだが、希望を持ちひるむことなく頑張ってゆきたいと思いました。

 帰りにレストランにより、それから嫁さんとバアさまと息子は中学準備の買い物に出かけたのでした。

コーヒーロック

2008-03-04 13:02:04 | 雑記
コーヒーロック

 私はグルメでも食通でもありませんが、コーヒーは良く飲みます。もちろん生来の事でインスタントコーヒーでも全くOKです。

 思春期の頃、同級生の女の子に「私、インスタントなんて飲まん。」といわれたことを覚えています。

 無論それから、コーヒーは豆から淹れるということをするようになるのにそう時間はかからなかったのですが。

 ま、それも20年ぐらいで、いまはまたインスタントコーヒーを飲みます。思春期のうちの娘さんにはインスタントコーヒーは泥水に見えるらしいのだが。

 30年前に初めて入った喫茶店のHPです。今もこのお店には私が若かりしころの油絵が飾ってあります。シンプルなHPをご覧ください。
http://www.coffeerock.info/index.html

辛味入り汁掛け飯 その3

2008-02-25 21:37:04 | 雑記
辛味入り汁掛け飯(カレーライス) その3

 戦争中、英語が敵性語として忌避されるようになったが、「カレー」という語そのものは問題にならなかったらしい。

 野球のストライクが「いい球」ボールが「悪い玉」となった時代のことだ。カレーがカレーでまかり通ったことは、カレーがいかに庶民に親しまれていたかを示している。

 もっとも、ズボンを「軍袴」、パッチを「袴下」などといかめしくよんでいた陸軍では、カレーのことは「辛味入り汁掛け飯」といっていたということだ。
(カレーライスがやってきた:日本たべもの事始より)

 でもなんとなく、いいネーミングですね。昭和を感じます。
子供の頃、カレーがとっても好きで、夕食にカレーを食べた後、次の日の朝食べるのも好きでした。きっとみんなそうかな。

 そー言えば、初めて家族につくった料理もカレーだった。切って煮るだけなのだがあのにおいはステキだった。

 以前住吉に居候していた時も、事務所の下はカレー屋、30m行ったらまたカレー屋。雑餉隈でもカレー屋さんがあった。

 アイランドシティでもカレー屋さんができるのだろうか。幻のしまんちゅうカレー。

(写真は長崎、大浦の旧香港上海銀行長崎支店ここでカレーが食されたのかも)

有限会社 コンコード環境デザイン研究所 梅田
福岡市東区香椎照葉3-2-1 シーマークビル





辛味入り汁掛け飯 その2

2008-02-24 13:04:06 | 雑記
辛味入り汁掛け飯(カレーライス) その2

 日本人が「カレー粉」と呼んでいるところのものは、インドのカレーとはだいぶちがっていて、インドがイギリスの支配下にあっていた時代、駐屯軍の兵隊のあいだでカレーの研究がさかんになり、イギリス人向きのレシピができたらしく、母国に帰るイギリス人などによってイギリスにもたらされ、やがてヨーロッパにもたらされたというのが通説で、船員と東インド会社の奴隷達のためにつくられたものだという説もあります。

 イギリス人の嗜好に合わせて商品としたのがクロス・アンド・ブラックウェル社で、「C&Bカレー粉」(日本では「CBカレー」と呼んだ)として有名になったそうです。
          (カレーライスがやってきた:日本たべもの事始より)

 前述のCBカレーはイギリス生まれで、私達がいつも食べているカレーはじつはイギリスじこみということになりますね。

(写真は長崎港、多くの文化がここから入りました。ひょっとしたらカレーを最初に食べたのは長崎の人?)


有限会社 コンコード環境デザイン研究所 梅田
福岡市東区香椎照葉3-2-1 シーマークビル