梅ちゃんのガーデンブログ

コンコード環境デザイン研究所○ランドスケープデザインとまちづくりとマウンテンクライムのブログ

合格 登録ランドスケープアーキテクト

2008-11-24 13:22:22 | ㈲コンコード環境デザイン研究所
合格 登録ランドスケープアーキテクト
 今年の9月に受験した登録ランドスケープアーキテクト(RLA)の試験に合格していました。なにはともあれ「ほっ・・」です。
 みんなそうだろうけど試験はどうも苦手で、このときも設計試験の解答用紙を取り違えるという、初歩的なミスを犯し「コリャドーナルカイ」と思ったのですが、何とか挽回できたのでしょう。結果よければすべて良し。
 そう、この試験会場でかつての仲間と心に残る再会もありました。
 これまで、いくつかの資格をとってきたが、現在私のやっている公園や緑地、オープンスペースの計画・設計という仕事からから考えればぴったりの資格だと思う。(これは合格したから言える)名刺に活用させてもらって営業に結びつけたいし、今後も公園緑地、オープンスペースの計画・設計、そしてアートランドスケープ・アートプロジェクトに邁進してゆきたいと思います。
 つけ加えるならば、今現在技術士補で止まっている試験を再チャレンジして、今度こそ(もう後は無い合格するのみ)技術士になりたい思っているところです。(ガンバルゾー)
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日之影町

2008-11-20 21:05:26 | Weblog
日之影町
朝7時30分 日銀前を車が出発すると3時間で宮崎、日之影町に到着する。
この町は、ほぼ全域を森林に覆われ、農林業と観光で生きている町です。
鉱山の歴史があり、外国人技術者のクラブハウスが保存され観光資源にもなっています。もちろん鉱山ですから多くの労働者とともに遊郭もあり、山の名前にはお化粧山など、山に売られてきた娘達と鉱山労働者の悲しい歴史もあるところです。
このあたりは先日行った田川となんとなく似ていますね。
またここは日本のフライフィッシングの発祥の地だそうです。英国人の技師たちは鉱山近くの渓流でフライを始めた記録が残っていて、その道具も展示されています。
ところで、この町昔は高千穂鉄道が通っていたのだが今は無く、その名残だけが残されています。それを何とかしましょうというのが今回の仕事です。
隣町高千穂は、高校が剣道日本一になったこともあり、全国的にも有名で今は神楽の季節で大変賑わっているとのこと。日之影もドゲンカセントー、イカン
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根子岳

2008-11-17 22:53:41 | 
根子岳
先日仕事で、阿蘇に行きました。
天気がすばらしく、阿蘇の山並みが美しく根子岳がとても印象的でした。

現在一般の人の縦走は困難で、ザイルを操るその筋の人しか縦走できません。

この風景が見える食堂で食べた手打ちそばは大変おいしかったです。
地鶏の肉はコシがある。紅葉もすばらしかった。
月廻り公園といいます。
ちなみに阿蘇高岳には月見小屋という避難小屋があります。ここで観る月もすばらしいのです。筆者は一度だけここの小屋に泊まったことがあります。
ところで、
以前高岳への登山道を韓国の人たちが軽装で歩いていたのを覚えています。
きっと簡単に紹介されているのでしょう。山をなめたらイカン。
たまに噴火しますよ。
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アートバス 田川炭坑

2008-11-11 22:46:27 | ㈲コンコード環境デザイン研究所
アートバス 田川炭坑
今回のアートバスは筑豊、田川のアートスポットを廻る旅です。
実は私、田川に今回はじめて行きました。
かつては12万の人々がここで暮らしていたという。
炭都である。
街のいたるところに石炭の歴史が染み込んでいました。
日本の工業化は多くの犠牲によって産まれたんだなー
ああ野麦峠という映画があったが、それに負けず劣らない歴史がありました。
それはさておき
地元のアート関係の方々はよく頑張っていました。
きっとアートで人は人生を見つけることができると思いました。
以前、山野校長の天神芸術学校で同級生だった女性もいました。
再会は楽しいものです。
この日、ボタ山に登りました。なかなか手ごわいのぼりで、私の前の人は、ロープにぶらさがったのでした。
この前にアオギリでボタ山チャーハンという、オリジナル料理を堪能した、加えて黒ダイヤという羊羹を見た。しかしなんとなく喰う気にはなれなかった。
それはさておき、
山頂でヤッホーとは叫ばなかったけれど、2~3万人も坑道に埋まっていると聞くと、なんとも言えない気持ちになったのでした。
(写真はボタ山の急斜面で悪戦苦闘する人たち)
コメント (1)
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