悠翠徒然

画像中心

明日、休みという事が

2019-01-12 22:28:58 | Weblog
さっきわかってショック、、、

ま、スケジュール管理が甘かったという事で、自業自得でございます、、、

とほほ、、、

あっ!

都立大学駅に取り付けた看板、武田さんが発見してくださいました!



皆さんも、是非見つけてくださいね!

都立大学駅のどこかに

2019-01-12 20:05:18 | Weblog
和翠塾の看板が設置されました!

小さいので分かりにくいかも〰

最初に見つけて、私にご連絡いただいた方に、一号筆をプレゼントいたします!

一年間は外せない看板なので、最初で最後の
『和翠塾の看板を探せ!』
になります(^○^)

みんなで探してね〰

さらに、さらに、ありがとう!

2019-01-12 18:43:11 | Weblog



お土産ありがとう!

2019-01-12 16:36:55 | Weblog

スペイン人が考えるスタンダードな日本人の一日

2019-01-12 08:23:44 | Weblog
そんな記事が気になりました。


6:30 
朝食をとり、仕事に行く準備。

7:00〜8:00
ぎゅうぎゅう詰めのメトロか電車に乗って出勤。

8:30〜9:00
仕事を開始。始業時間の30分〜1時間前に会社に着いていることが正しいとされている。

12:00
会社の近くで昼食をとる。

13:00
午後の仕事がスタート。

17:00〜19:00
長時間労働が生産的でないと知りながらも、通常1時間30分〜2時間ほど残業する(ときには無償で)

19:00
「お疲れさまです」と言って、仕事を終える。これは、今日1日した仕事に対する喜びを表現する挨拶。「仕事をありがとう! たいへんだった!」と訳すことができる。

19:00以降
西洋と同様、帰宅する前に外食をしたり、映画を観に行ったりもするが、日本の特徴的な娯楽が4つある。パチンコ、カラオケ、ラブホテル、そして漫画を買うことだ。

19:00〜20:30
朝よりも空いているメトロや電車で帰宅。

21:00
夕飯を食べ、テレビを見たり読書をしたりする。

23:00
就寝。


『日本人を舐めんなよ!スペイン人め!』

とは言えないかも、、、

当たらずとも遠からずって感じかも、、、


パチンコ、カラオケ、ラブホ、漫画、、、

こりゃ違うでしょ〰と言いたいけれど、じゃ私がスタンダードなスペイン人の一日を想像できるかと言われると、難しいなぁ、、、、

テキトーな時間に起きて、ゆっくりと朝食
自転車に乗ってふんわりと時間ギリギリか少し遅れて出社
でもみんなそうだから誰も気にしないし怒られない
そしてあっという間にお昼
ランチタイムもテキトーで、ワイワイとランチビールかワイン飲みながら二時間ぐらいはかけちゃう
話題多分闘牛かサッカー
ほろ酔い加減で午後の仕事は3時ごろからなんとなくはじめる
プライベートなメールやラインのやりとりで忙しく、明日やれる仕事なら今日はやらない
で、6時ごろテキトーに退社
退社後はバーに行って遅くまでワイワイとやる
話題は多分闘牛かサッカー
帰宅は午前様
故に朝起きるのも遅くテキトー

『スペイン人をなめるなよ!杉山め!』って言われる事間違いなし!(^○^)

失礼いたしました!


訴え合戦?

2019-01-12 08:07:44 | Weblog
元日産会長ゴーンとJOC竹田会長のニュースが、殆どの放送局で連続放送されていました。

口には出さないけれど、関連性を示唆しているのでしょうね。

つまり、報復?

まさかね、、、、


この件も、静観しようと思います。




少し窮屈にして、緊迫感を出してみました。








頂き物のイノシシ

2019-01-12 08:02:14 | Weblog


よく見ると、可愛い瓜坊ですね〰

毎年いただいているのですが、これで4つ目です。

もうそんなに経つのか、、、


色々あってもなくても、時が経つのははやいものです。

良い記憶に残る日々を過ごしたいものですね。


今日飾ったのは

2019-01-12 06:47:16 | Weblog


日下部鳴鶴の書と言われているものですが、真贋のほどはわかりません。

日下部鳴鶴は明治の三筆の一人と言われた書家です。

激動の明治維新期は、生きる力強さが必要だったはずです。

日下部鳴鶴は彦根藩に生まれ、日下部家に養子として入ります。

父は桜田門外の変で亡くなった井伊直弼に仕えていて、殉死したそうです。

禄高が減らされて、槍術に長けていた日下部鳴鶴でしたが、上京し書に専念する事を決意したそうです。

新政府になると徴用され、内閣大書記官になったそうですが、当時仕えていた大久保利通が暗殺され、退官して書に専念したそうです。

日本の歴史に残る大きな暗殺事件に二回も関わってしまうとは、、、、

殺伐とした時代の空気は、日下部鳴鶴の書に大きな影響を与えたことでしょう。

彼は、全国に碑石一千基を書いたそうです。

現在でも三百基ほど残っているそうです。

中でも最高傑作と呼ばれているのが
青山墓地にある勅命によって建碑された
『大久保公神道碑』だそうです。



力強い書体ですね。

六朝の書体を学んで確立した楷書の書体と言われています。

扁額部分以外の楷書は、大久保利通と縁が深かった日下部鳴鶴に勅命が下ったようです。

財閥の別荘に半年住みながら、書き上げたそうです。

従者や弟子だけでなく、きっと監視する政府の役人などもいる環境で半年かけて書いたのでしょうね。

やりにくそう、、、

私とは違うか(^○^)


日下部鳴鶴の書法は、
懸腕法の一つである『廻腕法』
筆を持つ執筆法は4本の指を筆の前方にかける
『四指斉頭法』で羊毫の超長鋒で書いたそうです。



机の位置が高いですね。

普通はおへその高さが良いとされていますが、みぞおちのあたりまで高い机です。

机を高くしたのか、加齢とともに自身が縮んでしまったのか、、、

髭に墨を付ければそのまま書けそうな感じ、、、、

廻頭法、か、、、。

あ、失言でした。 反省、、、、


筆の下部を持った廻腕法には適した高さかもしれません。

机の高さも筆の持ち方や腕法も、どんな筆や紙を使うかとお 同じように、『何を書くか』によってて、自由自在に使えるようにしておくことが大切だよ、とい事をこの写真は伝えているように思います。

日下部鳴鶴先生、流石です!


多くの門下生を世に送り出した点でも功績の大きい書家で、現在での流れを組む組織は多いそうです。

日本を書によって立て直す事を決意した日下部鳴鶴の姿勢が心に染み入りました。