日下部鳴鶴の書と言われているものですが、真贋のほどはわかりません。
日下部鳴鶴は明治の三筆の一人と言われた書家です。
激動の明治維新期は、生きる力強さが必要だったはずです。
日下部鳴鶴は彦根藩に生まれ、日下部家に養子として入ります。
父は桜田門外の変で亡くなった井伊直弼に仕えていて、殉死したそうです。
禄高が減らされて、槍術に長けていた日下部鳴鶴でしたが、上京し書に専念する事を決意したそうです。
新政府になると徴用され、内閣大書記官になったそうですが、当時仕えていた大久保利通が暗殺され、退官して書に専念したそうです。
日本の歴史に残る大きな暗殺事件に二回も関わってしまうとは、、、、
殺伐とした時代の空気は、日下部鳴鶴の書に大きな影響を与えたことでしょう。
彼は、全国に碑石一千基を書いたそうです。
現在でも三百基ほど残っているそうです。
中でも最高傑作と呼ばれているのが
青山墓地にある勅命によって建碑された
『大久保公神道碑』だそうです。
力強い書体ですね。
六朝の書体を学んで確立した楷書の書体と言われています。
扁額部分以外の楷書は、大久保利通と縁が深かった日下部鳴鶴に勅命が下ったようです。
財閥の別荘に半年住みながら、書き上げたそうです。
従者や弟子だけでなく、きっと監視する政府の役人などもいる環境で半年かけて書いたのでしょうね。
やりにくそう、、、
私とは違うか(^○^)
日下部鳴鶴の書法は、
懸腕法の一つである『廻腕法』
筆を持つ執筆法は4本の指を筆の前方にかける
『四指斉頭法』で羊毫の超長鋒で書いたそうです。
机の位置が高いですね。
普通はおへその高さが良いとされていますが、みぞおちのあたりまで高い机です。
机を高くしたのか、加齢とともに自身が縮んでしまったのか、、、
髭に墨を付ければそのまま書けそうな感じ、、、、
廻頭法、か、、、。
あ、失言でした。 反省、、、、
筆の下部を持った廻腕法には適した高さかもしれません。
机の高さも筆の持ち方や腕法も、どんな筆や紙を使うかとお 同じように、『何を書くか』によってて、自由自在に使えるようにしておくことが大切だよ、とい事をこの写真は伝えているように思います。
日下部鳴鶴先生、流石です!
多くの門下生を世に送り出した点でも功績の大きい書家で、現在での流れを組む組織は多いそうです。
日本を書によって立て直す事を決意した日下部鳴鶴の姿勢が心に染み入りました。