何かにつけ、「・・・でなければならない」「・・・すべき」という思いが過(よ)ぎってしまうことありませんか? こういう思いに駆られるのは先入観のせいで、言い換えれば “認知のゆがみ” が自動的に誘導する偏った思考パターンなのだそうです。この “認知のゆがみ” が露わになるのが性格です。
性格は、無理に変えようとしてもなかなか変えられるものではありません。ところが行動なら、ほんの少し向きを変えることで容易く変えられます。それを繰り返せば、無理をしなくても自然に思考パターンが変わり、性格も変わってくれるのではないでしょうか。最近、そう思えるようになりました。
私は今、あれほど苦しめられていた「・・・でなければならない」病(?)からほぼ解放されています。私自身の過去を客観的に見直し、自分なりに整理できるようにもなれました。何よりも「先ず考えてから・・・」という慎重過ぎた発想が変わりました。今では、「動き出さなきゃ何も始まらない」という発想になりつつあります。こんな前向きの発想は飲酒時代にはなかったことです。
転機となったのは、何と言っても断酒を始めたことと、その10ヵ月後に起きた “憑きモノが落ちた” 体験の二つだったと思います。どちらも “底着き” に当たる体験で、私はこれら二つの体験をそれぞれ “身体的底着き”、“精神的底着き” と呼んでいます。上で述べた内なる変化は、自分から意図して変えたというよりも自然に変わってきたように思えてなりません。
断酒ですっかり体調が戻ったと実感できた頃、特に意識もせずに変わったのが毎日通院のための歩くコースと駅でした。
それまで体力的に20分の歩行がせいぜいだったのに、もう少し距離を伸ばしてもいいかと、試しに行き先を一駅変えてみたのです。ひと駅と言っても自宅から歩いて30分、それまでの駅と比べ10分しか違いません。(ちなみにバスを利用しても15分かかります。)各停電車しか利用できない駅から、乗り換えなしで直接、特急・快速電車が利用できます。やってみると体調の方も益々快調になれ、自然にこれで決まりとなりました。歩いてたった10分の違いだけで、一石二鳥の儲かった気分でした。
断酒10ヵ月後の “憑きモノが落ちた” 体験は、自助会AAの言う霊的体験だったように思います。
それまで物の怪のように取り憑いていた性的妄想と、薄物のヴェールを被ったような脳のシビレ感とがパッタリ消え失せ、「酒を絶対に飲んではいけない / 何としても断酒を続けなければならない」という強迫感も薄れていきました。アルコールが完全に抜け切ったと実感でき、早くも回復したのではと勘違いしたほどでした。重い荷を肩から下ろしたような、とても楽な気分になれました。
このブログに自分史を投稿し始めたのは丁度その頃からです。患者仲間が「自分史を書いてみようと思う」と語った話に触発されて始めたこととは言え、これも自然な成り行きだったように思えます。決して無理して始めたことではありません。
このように精神的復調も体調の回復に加わりました。それで何が変わったのかと問われれば、外の世界の見え方だったように思います。ありのままが自然にありのままに見えてきたように思うのです。(この項つづく)
「“底着き”は2度ある ― 再び“精神的底着き”について」(2016.9.16投稿)もご参照ください。
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性格は、無理に変えようとしてもなかなか変えられるものではありません。ところが行動なら、ほんの少し向きを変えることで容易く変えられます。それを繰り返せば、無理をしなくても自然に思考パターンが変わり、性格も変わってくれるのではないでしょうか。最近、そう思えるようになりました。
私は今、あれほど苦しめられていた「・・・でなければならない」病(?)からほぼ解放されています。私自身の過去を客観的に見直し、自分なりに整理できるようにもなれました。何よりも「先ず考えてから・・・」という慎重過ぎた発想が変わりました。今では、「動き出さなきゃ何も始まらない」という発想になりつつあります。こんな前向きの発想は飲酒時代にはなかったことです。
転機となったのは、何と言っても断酒を始めたことと、その10ヵ月後に起きた “憑きモノが落ちた” 体験の二つだったと思います。どちらも “底着き” に当たる体験で、私はこれら二つの体験をそれぞれ “身体的底着き”、“精神的底着き” と呼んでいます。上で述べた内なる変化は、自分から意図して変えたというよりも自然に変わってきたように思えてなりません。
断酒ですっかり体調が戻ったと実感できた頃、特に意識もせずに変わったのが毎日通院のための歩くコースと駅でした。
それまで体力的に20分の歩行がせいぜいだったのに、もう少し距離を伸ばしてもいいかと、試しに行き先を一駅変えてみたのです。ひと駅と言っても自宅から歩いて30分、それまでの駅と比べ10分しか違いません。(ちなみにバスを利用しても15分かかります。)各停電車しか利用できない駅から、乗り換えなしで直接、特急・快速電車が利用できます。やってみると体調の方も益々快調になれ、自然にこれで決まりとなりました。歩いてたった10分の違いだけで、一石二鳥の儲かった気分でした。
断酒10ヵ月後の “憑きモノが落ちた” 体験は、自助会AAの言う霊的体験だったように思います。
それまで物の怪のように取り憑いていた性的妄想と、薄物のヴェールを被ったような脳のシビレ感とがパッタリ消え失せ、「酒を絶対に飲んではいけない / 何としても断酒を続けなければならない」という強迫感も薄れていきました。アルコールが完全に抜け切ったと実感でき、早くも回復したのではと勘違いしたほどでした。重い荷を肩から下ろしたような、とても楽な気分になれました。
このブログに自分史を投稿し始めたのは丁度その頃からです。患者仲間が「自分史を書いてみようと思う」と語った話に触発されて始めたこととは言え、これも自然な成り行きだったように思えます。決して無理して始めたことではありません。
このように精神的復調も体調の回復に加わりました。それで何が変わったのかと問われれば、外の世界の見え方だったように思います。ありのままが自然にありのままに見えてきたように思うのです。(この項つづく)
「“底着き”は2度ある ― 再び“精神的底着き”について」(2016.9.16投稿)もご参照ください。
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自分は認知の歪みは強い方です。
特にパニック障害になってから、恐怖の対象が多くなりました。
今は、「マズは行動を」「習うより慣れよ」「考えるより感じろ」を自分なりに実践しています。
とは言えまだまだ人並みの事は、遠い事もありますが。
断酒も最初の頃は「酒を絶対に飲ん
ではいけない 」的に思ってました。
今は気楽に?断酒出来てます。
もしスリップしたら、またそこから始めようと思います。
いい心がけと思います。
私も出来るだけ自分を突き放して見るように努めています。
SLIPはあからさまな飲酒欲求が引き金ではなく、
どうやら心の隙に魔が差すことの方が多いようです。
SLIPを無難にやり過ごせても、それがクセになるそうですから
ご用心!