先週は循環器内科を受診したときの T 先生との会話を記事にしました。同じ日にアルコール専門クリニックも受診したのですが、今回はその専門クリニックで交した S 先生との会話です。一日を有効活用しようと循環器内科の予約診療の日にはアルコール専門クリニックもハシゴすることにしています。こちらも2ヵ月ぶりの受診でした。
医療・介護に依存せずに自立して日常生活を送れるのが健康寿命であって、医療や介護にお金を掛けずに済む生活のはずと私は思っていました。健康寿命が延びればそれだけ医療・介護費用の伸びが抑えられるはずなのです。そんな私に健康寿命の延びが健康保険制度の破綻を来たすと問題提起した T 先生です。その話にどうにも納得いきませんでした。それで経過報告を兼ねて S 先生にそのことを話してみました。
「循環器といえば花形ですからねぇ、競争の激しい専門領域では変わった発想の医者もいるんですよ」とうまく煙に巻かれ、
「それより道のゴミ拾いはまだ続いていますか?」と逆に S 先生は話題を変えて来ました。
「もちろん続けています。毎日2時間以上・・・やり始めてかれこれ2年半ぐらいになります。もうクセですね。その意味では酒を飲んでいた頃とちっとも変わっていないんですが・・・。」
「そうねぇ、そう考えますか。で、糖尿病の方はどうですか?」
「ヘモグロビンA1cが6.2%前後で安定しています。」
「それは結構! 規則正しい生活リズムを守り、家に籠もらず毎日外出して動くのが一番なんですよ。」そこで私の方もこんなふうに話を振ってみました。
「外出して行動と言えば、ブロガーの中には同じアル症で釣り三昧の人がいます。この間読んだ記事では、釣りばっかりやっていてこのままでいいのだろうか(?)と心の迷いが書かれていました。」
「それは遊んでばかりいる後ろめたさ・・・つまり、社会参加したい気持ちが満たされていないということでしょうね。あなたの場合は、ゴミ拾いで社会奉仕ができているという気持ちがあるでしょう? それが社会参加です。釣り三昧の人にはそれがなくて、心に満たされないものを感じているのだと思いますよ。」
「社会参加? 別の見方をすれば承認欲求が満たされていない、そんな感じなんですか?」
「そうそう、そんなところです。断酒後しばらくは仕事再開に焦りがちですが、急いてもうまくいきません。情動が不安定のままなんです。
そんなときに一人で出来る趣味に夢中になるのもいいですが、一つのことに没頭するばかりでなく複数のものとうまくバランスを取ること、特に社会参加という点も加味しておかないといけません。
そういう意味からすれば、自助会のミーティングに出向くのも社会参加になります。自助会が社会参加の最初のステップという見方にも納得いくでしょう?
自助会で発言すれば承認欲求も満たされます。社会復帰のリハビリとしても最高なんです。徐々に社会参加を進めていくのがうまく回復が進む鍵なんですよ。」
社会参加という言葉に目を見開かされた思いでした。自助会が社会参加の場などとは考えてもいなかったのです。
自助会が自分の居場所と考えているアル症の人は多くいます。私は常日頃、居場所とは気兼ねせず寛げる隠れ家のような場ぐらいにしか考えていませんでした。自助会のミーティングではそれなりの緊張感が要りますから、居場所と言うにはチョット違うのでは(?)と違和感を持っていました。
またAAには、開催されているミーティング会場を探して連日ミーティング参加を続けている人がいます。なかには一日に何カ所もハシゴする人も・・・。“空白の時間” を埋めるためとは言え何もそこまでしなくてもと、私は少々冷ややかな目で見ていました。
そこに今回の話です。自助会を自分自身が一員として一体化できる社会参加の場とみれば、なるほど社会参加による満足感というのも理解できます。もちろんその前に、社会参加に向けたリハビリの場という見方にも納得がいきました。社会復帰のリハビリと見れば、連日のミーティング通いもアリなのかもしれません。
言うまでもなく、ある共通の目的を持った人々の集まりがコミュニティー(共同体)です。自助会は飲まない生き方を共通の目的にしています。なかでもAAは束縛の少ない緩いルールで運営されている共同体で、“言語化” の実践道場、聞き上手になるための訓練の場、さらに社会復帰のリハビリの場と良いことずくめです。我を通して自分の思い通りにしようとしない限り、AAは居心地の良い理想的な居場所ともなり得る、私はこう考えるに至りました。
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医療・介護に依存せずに自立して日常生活を送れるのが健康寿命であって、医療や介護にお金を掛けずに済む生活のはずと私は思っていました。健康寿命が延びればそれだけ医療・介護費用の伸びが抑えられるはずなのです。そんな私に健康寿命の延びが健康保険制度の破綻を来たすと問題提起した T 先生です。その話にどうにも納得いきませんでした。それで経過報告を兼ねて S 先生にそのことを話してみました。
「循環器といえば花形ですからねぇ、競争の激しい専門領域では変わった発想の医者もいるんですよ」とうまく煙に巻かれ、
「それより道のゴミ拾いはまだ続いていますか?」と逆に S 先生は話題を変えて来ました。
「もちろん続けています。毎日2時間以上・・・やり始めてかれこれ2年半ぐらいになります。もうクセですね。その意味では酒を飲んでいた頃とちっとも変わっていないんですが・・・。」
「そうねぇ、そう考えますか。で、糖尿病の方はどうですか?」
「ヘモグロビンA1cが6.2%前後で安定しています。」
「それは結構! 規則正しい生活リズムを守り、家に籠もらず毎日外出して動くのが一番なんですよ。」そこで私の方もこんなふうに話を振ってみました。
「外出して行動と言えば、ブロガーの中には同じアル症で釣り三昧の人がいます。この間読んだ記事では、釣りばっかりやっていてこのままでいいのだろうか(?)と心の迷いが書かれていました。」
「それは遊んでばかりいる後ろめたさ・・・つまり、社会参加したい気持ちが満たされていないということでしょうね。あなたの場合は、ゴミ拾いで社会奉仕ができているという気持ちがあるでしょう? それが社会参加です。釣り三昧の人にはそれがなくて、心に満たされないものを感じているのだと思いますよ。」
「社会参加? 別の見方をすれば承認欲求が満たされていない、そんな感じなんですか?」
「そうそう、そんなところです。断酒後しばらくは仕事再開に焦りがちですが、急いてもうまくいきません。情動が不安定のままなんです。
そんなときに一人で出来る趣味に夢中になるのもいいですが、一つのことに没頭するばかりでなく複数のものとうまくバランスを取ること、特に社会参加という点も加味しておかないといけません。
そういう意味からすれば、自助会のミーティングに出向くのも社会参加になります。自助会が社会参加の最初のステップという見方にも納得いくでしょう?
自助会で発言すれば承認欲求も満たされます。社会復帰のリハビリとしても最高なんです。徐々に社会参加を進めていくのがうまく回復が進む鍵なんですよ。」
社会参加という言葉に目を見開かされた思いでした。自助会が社会参加の場などとは考えてもいなかったのです。
自助会が自分の居場所と考えているアル症の人は多くいます。私は常日頃、居場所とは気兼ねせず寛げる隠れ家のような場ぐらいにしか考えていませんでした。自助会のミーティングではそれなりの緊張感が要りますから、居場所と言うにはチョット違うのでは(?)と違和感を持っていました。
またAAには、開催されているミーティング会場を探して連日ミーティング参加を続けている人がいます。なかには一日に何カ所もハシゴする人も・・・。“空白の時間” を埋めるためとは言え何もそこまでしなくてもと、私は少々冷ややかな目で見ていました。
そこに今回の話です。自助会を自分自身が一員として一体化できる社会参加の場とみれば、なるほど社会参加による満足感というのも理解できます。もちろんその前に、社会参加に向けたリハビリの場という見方にも納得がいきました。社会復帰のリハビリと見れば、連日のミーティング通いもアリなのかもしれません。
言うまでもなく、ある共通の目的を持った人々の集まりがコミュニティー(共同体)です。自助会は飲まない生き方を共通の目的にしています。なかでもAAは束縛の少ない緩いルールで運営されている共同体で、“言語化” の実践道場、聞き上手になるための訓練の場、さらに社会復帰のリハビリの場と良いことずくめです。我を通して自分の思い通りにしようとしない限り、AAは居心地の良い理想的な居場所ともなり得る、私はこう考えるに至りました。
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アルコール依存症のちぃ~暴と申します。
今回の記事を拝見させていただきまして、「これはもしや私のことでは?」と思いコメントさせていただきました。
確かにヒゲ爺さんの通っておられる病院の先生のおっしゃる通り、社会的貢献をしていない焦りと、満たされていない承認欲求はあると思います。
ミーティングに行くと、釣りとは違う"満たされた"…みたいな感覚も味わったりしますね。
ブログにしてみても、私だけではなく個人ブログを書かれているような方は、多かれ少なかれ「誰かに自分の行動、思いを誰かに見てほしい。」……という承認欲求の表れのようにも感じます。
私のブログは不定期更新ですが、また覗いてもらえたら嬉しいです。
コメントで仰っていること、ごもっともです。
私のブログ投稿は、承認欲求を満たすための自己表現でもあり、
ステップ10の棚卸しの継続でもあります。
貴殿のブログは毎回欠かさず拝見しております。
是非、これからも続けてください。
いつも拝見いただきありがとうございます。
正直、はじめにこの記事を読んだときにはイラッとしました。
なぜなら、その先生に私の今感じている想いがダイレクトに言い当てられていたからです。「情動が不安定」
……確かにそうなのかもしれませんね。
返信ありがとうございました。なんとなくスッキリしました。これからもヒゲジイさんのブログを楽しみにしております。