ヒゲジイのアル中よもやま話

断酒を始めて早7年目。このブログは回復プロセスの記録と脳のリハビリを兼ねて綴っています。やはり、まだチョット変ですかネ?

“生病老死” について

2018-10-19 06:42:49 | 雑感
 先々週の週末から先週にかけて、生後9ヵ月の孫が入院するという出来事がありました。赤ん坊は悪くなるのも速いし善くなるのも速いものですが、それでも発熱のせいで5泊6日の入院となりました。

 こんなときにチットモ役に立たないのがジイジなので、何かあったときに備えた補欠要員としてノホホンと自宅で留守番するだけの役目を仰せつかりました。せいぜい私がやったことと言えば、直ぐ上のお兄ちゃんを幼稚園に付き添ったぐらいのものでした。

 それでも日中の私の活動プランは、AAのミーティングを含め大幅に変更を余儀なくされました。言ってみれば、プチ “空白の時間” みたいなもので、AAのミーティング欠席は姉の葬儀以来のことでした。

 こうして大したことにならなくて済んだものの、病気というものは大なり小なり周りを苦悩に巻き込むものと改めて思い知らされました。このことで改めて考えさせられたのは、仏教の言う “生病老死” についてでした。

 “生病老死” とは「生まれること」、「病気をすること」、「老いること」、「死ぬこと」の四苦のことで、この世で人間が避けることのできない4種の苦悩だとされています。この四苦は本人よりも、むしろ周りの人々が被ることではないかと、ふとそのとき考えさせられたのです。

 先ず “生” ですが、親にとって子どもの誕生は嬉しいことではあるものの、“苦” の側面も強いのではないでしょうか。呼吸のために鳴き声を上げはしますが、誕生する子どもに “苦” などあるはずはありません。むしろ “苦” を味わうのは、陣痛に繰り返し悩まされる母親の方ですし、健やかに育てていかねばならぬという重い義務と責任を負わされた父親の方だと思うのです。

 次に一つ飛んで “老” ですが、身体が言うことをきかなくなる老いは当たり前のことと受け容れればいいだけですし、意識がまともでなくなるボケとなったら “苦” などあるわけがありません。これらの場合、本人よりよっぽどシンドイ “苦” を味わっているのは実際介護に当たる家族の方のはずです。老人性うつや妄想を患っている場合なら本人も辛い思いをするでしょうが、それは老人性うつや妄想という “病” のせいなのです。

 最後に挙げた “死” ですが、意識がなくなっての “死” ですから、本人にはちっとも “苦” ではあり得ません。その苦しみを味わうのは、むしろ生きて後に遺された周りの人々のはずです。

 結局、本人が真に “苦” を味わうのは “病” だけなのかもしれません。“病”は、それを患う本人自身が直に味わう “苦” ばかりでなく、看病や諸々の世話をする周りの人々をも巻き込む意味で最も重い “苦” と思われるのです。

 以上は、当たり前と言われれば至極当たり前のことです。四苦とは本人よりもむしろ周りの人々が被る苦悩の意で、そう考えれば、如何に我を張らずに周りの人々と折り合って生きていくかが肝要、ということですね。痛感しました。



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