ヒゲジイのアル中よもやま話

断酒を始めて早7年目。このブログは回復プロセスの記録と脳のリハビリを兼ねて綴っています。やはり、まだチョット変ですかネ?

“認知のゆがみ” 回復の最難関にどう向き合う?(上)

2017-02-07 05:57:02 | 病状
 アルコール依存症の回復に立ちはだかる最大のハードルは “認知のゆがみ” と言われます。今回は “認知のゆがみ” にどう向き合ったらよいのか、私の通っている専門クリニックの院長の教えを取り上げてみようと思います。

 院長は私と同年代のベテランの精神科医です。自身の臨床経験から、回復への第一歩が生活リズムの立て直しと喝破し、毎日の外来通院と教育カリキュラムの組み合わせを治療の柱とした実績の持ち主です。

 思えば、院長の治療構想通りに断酒生活を続けてきたのが私だと自負しています。口数が少なくいつも無愛想な印象の院長ですが、ここぞと言うときは的確な指導をしてくれる人物です。

「(回復には)書くのが一番」と “言語化” の継続を強く後押ししてくれたこと、自助会ミーティングで経験する “気づき” が回復に必須の自己洞察そのものと教えてくれたこと、etc. その都度、ただ一言で私の迷いに答えてくれたものです。その院長の教えのエッセンスをご紹介しようと思います。私がなるほどと腑に落ちた教えです。 

 認知=外界を認識すること。
院長流に言うと、認知とは外界の刺激を自分独自の翻訳機で解釈することだそうです。現代風に言うと、個々人には自分流にカスタマイズされた翻訳機が搭載されているということでしょうか。

 さらに院長は続けます。認知とは、その時代々々、世の中で当たり前とされていたものの見方・考え方、つまり親の躾(しつけ)、地域のシキタリ、世間の常識、学校教育、時代の風俗・流行などによって育まれるものだそうです。

 これを私流に言えば、認知とは外界からの情報を自分流に解釈するクセのこと、と考えます。さらに言い換えれば、認知とは習性化した認識のし方ということであり、その習性化は外界の情報によって幼少期から刷り込まれたものということでしょうか。こう考えれば、世間から自分がどう見られているか気にしがちなのも、このことの裏返しということがわかります。ですから、認知そのものは根が深く、もし認知に “ゆがみ” があればその矯正はとてつもなく手強いものと覚悟しなければなりません。

 院長によると、“認知のゆがみ” とは、部分的な拒絶体験に過ぎないものを、自分全体が拒絶されたと短絡的に翻訳してしまうこと(=思い込み)で、即座にマイナス感情へと誘う偏った習性のことだと言います。アルコール依存症者では、この偏った習性がたとえ酒を断ったとしても続き、それが回復に立ちはだかる最大のハードルだそうです。何かにつけ白か黒かで決めたがる “白黒思考”、つまり二者択一を好む思考傾向も “認知のゆがみ” のせいだと言います。

 怒りや恨み、嫉妬が代表的なマイナス感情ですが、ウツウツした気分、つまり気分の落ち込みもマイナス感情に含まれるそうです。マイナス感情に囚われた人に周りの人は近づこうとはしません。性格の悪い人物と傍は見做し、下手に近づけば面倒なことになるからです。承認欲求を満たしてもらえないことが疎外感と孤立感を生み、“認知のゆがみ” がさらに増幅されるという悪循環に陥るわけです。こんな悪循環では人間関係がますます難しくなるのも当然です。その行き着く先は・・・。

 私がかつて、なぜ酒に手を出したのか? かつての私も、トントン拍子に昇進する先輩社員に嫉妬するなど、身近な人へのマイナス感情を紛らわすために飲酒していたと思えてなりません。言い換れば、マイナス感情による過度の緊張や興奮をなだめるために酒の麻酔作用にすがっていた、これが私の下した結論です。

 マイナス感情に陥ったきっかけというのも院長の指摘通りでした。ほんの些細なことであっても思い通りにならなかったら、まるで自分が全否定されたかのように受取ってしまい、すぐ頭に血が上っていたようなのです。しかもそれが脊髄反射のようだったと思えてなりません。その習性は、断酒歴4年目を迎えた今でも依然として残っているようです。
(次回に続く)


“認知のゆがみ” を具体的に例示して説明しています。
“認知のゆがみ” って何?」もご参照ください。


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