ヒゲジイのアル中よもやま話

断酒を始めて早7年目。このブログは回復プロセスの記録と脳のリハビリを兼ねて綴っています。やはり、まだチョット変ですかネ?

アルコール依存症へ辿った道筋(その3)生き残りを賭けた最初の本格的な仕事は・・・?

2014-10-18 06:11:29 | 自分史
 まず、医薬品の臨床開発業務に関する用語を簡単に説明しておきます。

治験薬
国から未承認の医薬品の卵のことで、国に届出ることで仮免許=治験で臨床的に患者に使用可能となる、例外的に認められた薬のこと。
治験
国の承認を得るために実施する臨床試験のこと。医療現場では、医師が同意を得た患者に治験薬を実際に使用し、その結果得られる安全性(副作用など身体への不都合の有無)と有効性(病気を改善させるか)を調査します。手続きとしては、製薬会社が国に届出をした後、第三者機関による実施の承認を得て、製薬会社が医療機関(病院)と医師と三者契約を交わして実施されます。通常、ひとつの治験は医療現場側との契約開始からデータ回収終了までに実地で1年程度を要します。
臨床開発
治験計画の企画・立案、国へ治験の届出、医師へ治験依頼、治験の契約締結、治験中の実施状況の情報収集(特に安全性情報)、治験データの回収・解析、その解析結果を総括報告書にまとめることが一つひとつの治験の通常業務。複数の治験を実施し、さらにそれらを簡潔にまとめた概要を作成して、国への承認申請資料を作成します。これらが臨床開発業務の柱です。

 私が34歳、N先輩がグループリーダーになったころ、私にも本格的なPMの仕事が回ってきました。それまでは比較的暇なプロジェクトを兼務していましたが、今度は専任です。自社開発治療薬1号品Cの作用持続時間を長くし、1日1回だけの服用で十分とした新剤型薬(改良品)LAの臨床開発で、後発薬(ジェネリック)対策のプロジェクトでした。特許が切れて後発薬が市場に出る前に国の承認を得、発売まで漕ぎ着けることが課せられたノルマです。

 対象となる臨床分野はN先輩がかつて格闘していた高血圧、狭心症という同じ循環器領域です。改良を加えただけの新剤型薬でも臨床開発に要する人手と時間の手間は本格的な新薬と何ら変わりません。治験の依頼先となる病院数は全国で総計100余にもなる大規模なもので、経験豊富な専門医師を相手にコミュニケーション力をはじめ、度胸と体力と細心の注意力が要求されます。許された時間はあまりなく、逼迫していました。会社で生き残るために、失敗が絶対に許されない仕事でした。

 実施チームのメンバーは実質3人だけです。経験したことのない強烈な重圧が懸ってきました。散々苦労した大学入試の入試前夜や当日朝の緊張など比ではありません。失礼、大学入試とは全く質が違いますよね。

 新剤型薬LAの対象となる臨床分野はかつてN先輩が格闘していた高血圧、狭心症という同じ循環器領域でしたので、具体的な業務上の指導があるものと期待していました。最も期待していたのが対象領域の医師の人脈情報です。

 研究会を組織するにあたって、最も相応しい代表世話人(chair)と幹事役の中心メンバーは誰かが最重要ポイントです。これが決まれば、治験を実施する病院がほぼ決まります。まず幹事役に関連病院を紹介してもらい、営業部門と相談して調整し、決定するだけでよいことになります。ここがシッカリしていれば、よほどのことがない限り依頼先から断られることはまずありません。

 しかし、N先輩からは大雑把な一般的助言しか得られませんでした。それが当初は不満でした。オピニオンリーダーの世代交代がすでに進んでいたので、肝心の医師の人脈部分が変わっていて、もはや指導できなかったのです。それは無理もないことと、仕事を進めていくうちに納得できました。結局、営業部門の上級幹部も交えて相談し、当時の最高権威と考えられていた超大物医師を代表世話人の候補に選び、口説き落としに成功しました。これで新剤型薬LAの臨床開発は半分以上成功したに等しいものでした。

 治験の依頼先の病院数が全国で総計100余に上り、それらを少人数でカバーするのは文字通り大変な仕事です。全国に散らばる支店にも臨床開発に協力してくれるスタッフが配置されてはいましたが、自分たち臨床開発部門の管轄ではなく、営業が主眼の各支店長の管轄でした。ここぞという時は必然的に自分たちで出向かざるを得ず、出張が多くなりました。

 面談の約束をとってから行動するので、同じ地域の医師に会うにしても、どうしても都合がつかず別々の日になってしまうこともザラにありました。面談時刻の関係や別の面談先との調整で宿泊した方が効率的な場合以外は、全国どこでも可能な限り日帰り出張が原則でした。月曜日に出社し、翌日から出張、次の出社が翌週の月曜日ということがしょっちゅうでした。

 出張続きだったことから、溜まった内勤業務をこなすため休日出勤が度々必要になり、土日が全部つぶれたこともありました。正直、体力的にも精神的にもキツイ仕事でした。二日酔いで身体がだるくてシンドイ時には、医師との約束のない日であれば、ズル休みを決め込むことがありました。医師との約束は絶対です。二日酔いは大体朝10時過ぎぐらいになると身体がシャキッとしてきます。ズル休みなどしたことのない妻からは不審の眼で見られ、嫌味を言われていました。

 医師は超多忙です。医師との面談は最初の1~2分が勝負です。相手の勘所を押さえることに全神経を集中し、相手に合わせた話し方で簡潔に訪問目的を伝えます。これに成功した後は、10分ほどの時間で肝心の依頼事項を正確に伝え了解してもらいます。運がよければさらに30分~1時間ほど時間をもらえることもあります。そんなときは、親しい医師仲間の近況を報告したり、他社の治験薬の開発状況を聞き出したり、医学的に難しくて分からない点をじっくり相談したりするのです。

 やや前屈みの姿勢でゆったりと和やかに構えながら、そのくせ一言も聞き漏らすまいと耳をそばだて神経を張り詰めての会話です。これが臨床開発の大事な仕事のひとつです。これが出来るようになれば臨床開発スタッフとして晴れて一人前となります。相手の医師が歓迎してくれるようになったらシメタものです。

 日帰り出張では、仕事を済ました達成感や解放感と興奮した神経を鎮めるため、帰路の車中ですぐに缶ビールです。1缶では済みません。帰宅しても再び一人で飲み直しです。そのうちビールだけでは満足できなくなり、ウイスキーの水割りも追加するようになりました。

 アルコールに耐性が出来たんですね。心配になった妻が、ウイスキーの瓶にマジックでその日の残り量の所に印をつけるようになりました。そのマジックの印の間隔はだんだん広くなって行きました。宿泊が伴う場合は、現地のスタッフと飲食しながら情報交換し、ホテルに戻って一人になってからも再び部屋で缶ビールの飲み直しでした。飲酒が習慣化してしまっていました(習慣的飲酒)。

 体重が70Kgを超え、最悪の時には75 Kgにまでなりました。入社時はたったの58 Kgだったのです。検診で血圧もじわじわ上がり始めていました。仕事のストレスで神経が緊張し続けていたこととタバコの吸い過ぎが原因だろうと考えていました。肝機能の悪化ならばアルコールが原因と察しがつきます。肝機能は正常でした。血圧の上昇がアルコールによるものなどとは夢にも思いませんでした。


アルコール依存症へ辿った道筋(その4)につづく


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コメント (1)
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