先輩たちのたたかい

東部労組大久保製壜支部出身
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東京市電従業員自治会の除名騒ぎ 1926年の労働運動(読書メモ)

2023年04月19日 07時00分00秒 | 1926年の労働運動

上・東京市電自治会「共産党一派除名に関する声明書(1926.8.31)」(手書きの写し)

東京市電従業員自治会の除名騒ぎ 1926年の労働運動(読書メモ)
参照「東京交通労働組合史」発行東京交通労働組合(1958年)
  「協調会史料」  

東京市電従業員自治会で左派幹部・支部の除名と復帰問題
 1924年(大正13年)に5月に創立された東京市電従業員自治会において、1926年8月21日組合員約1千名を除名する騒ぎが勃発した。社会的背景としては、治安維持法等の権力側の弾圧の強化、総同盟の左右の分裂などがあり、自治会においても権力の弾圧に動揺した右派が左派排除に乗り出し、左右の激突が開始された。

一、自治会の組織
 東京市電従業員自治会は組合員約1万2千人を擁した東京市の電車、自動車、工場、車庫、電燈、電口、軌道、水道、郊外の10部門の全てを組織・網羅した日本交通総聯盟の中核となる最大労組であった。

 電車部は、三田、青山、新宿、広尾、赤坂、早稲田、大塚、巣鴨、神明、三ノ輪、本所、錦糸堀、青南。
 車庫部は、三田、青山、新宿、広尾、早稲田、大塚、巣鴨、神明、三ノ輪、本所。
 軌道部は、札ノ辻、春日町、芝浦、青東、新宿、大塚、横網、本所。
 郊外部は、京王、目蒲、玉川、高円寺、王子、城東。
 水道部は、淀橋、鍛治部。
 他に芝浦工場、信号等にも組織がある。

二、労働農民党支持を巡る対立
 1926年6月の大会で、左派は、「全力で労働農民党を支持し、無産階級の歴史的使命の完全なる遂行を期す」と提案し、激論のすえ多数決で可決された。方針の具体的行動として、
(一)全自治会員は労働農民党に入党する
(二)労働農民党支部設立は、原則として各地域の未組織労働者、他の労働団体、中間・下層の仲間と共に地域的合同支部を組織する
等が決まった。

 ところが7月21日の中央委員会において、右派は、まずは各地域の自治会員のみで労働農民党支部を設立にしようと主張した。これに反対する左派との間で殴り合いすら起きる対立が起きた。8月上旬、左派の秋和松五郎は、自治会員だけでなく、地域の左派系労働者を含めた労働農民党城西支部を組織した。同じ頃、左派の自動車部は、自治会本部幹部の不正財政を理由に会費の不納同盟を組織し、右派幹部糾弾運動をはじめた。

三、左派除名決議
 8月21日中央委員会の当日、会場である芝烏森の本部付近には左右両派の組合員が続々とつめかけ、たちまちいたるところで、もみ合い殴り合いがはじまり、ついに流血事件まで引き起こす有様であった。

 また田村町交差点方面には杉浦啓一率いる評議会の一団が、反対側の新橋駅方面には望月源治率いる総同盟の一隊がそれぞれ陣取って相対峙し、双方共動員された「前衛隊」は数百名にも達した。両派陣営の間を警官隊がサーベルの音も物々しく駆け回り、さながら市街戦でもはじまるかのような様相を呈した(「東京交通労働組合史」98ページ)。

 官憲により傍聴者は禁止となったこの日の中央委員会は、
自動車部目黒支部
同  桜田門支部
同  業平支部
同  上富士支部
同  車庫支部
の除名を決議し、続いて本部提案として「共産系個人4名の除名」の緊急動機がだされ、秋和(新宿)、小林(大塚)、室田(三ノ輪)、横尾(錦糸堀)の4名の左派リーダーの除名を47対23で可決した。また、直後に本部書記北田一郎も共産派として除名した。26日には交通総聯盟が市電自治会の今回の除名決定を承認すると共に、交通総聯盟本部書記の島上善五郎を解任した。

「共産党一派除名に関する」自治会本部の声明文(1926.8.21)
除名の理由
その一、
「意を決して共産分子を除名した。」
「労働農民党結成の動きの過程で、共産派島上善五郎君は、自治会の統制を乱す行動を敢えてした。労働農民党支部を組織する時、すでに労働総同盟が共産派4団体排除を決めているにもかかわらず、左派・共産派は、「(共産派4団体を含めた)一般的合同支部」結成を独断で行っている」

その二、
共産派の会費未納問題
「桜田門支部選出の篠田八十八君(共産派)は、突如として上着を脱ぎ、中央委員宮井昌吉君に対し、罵声を浴びせ暴行を加えた。そのため議場は大混乱に陥り、官憲が出動しようやく沈静化した。」
「(会議中の外の)街路において傍聴者が争闘をはじめ、新宿支部の石川理事は頭部に裂傷を負わされた。」
「彼らは共産党の手先である。彼らは日本共産党の指揮を受け、共産系団体と行動を一にして、自治会を共産党の支配下に置かんとしている」

四、交通総聯盟は島上善五郎を解雇
 交通総聯盟は、空想的革命論、左翼小児病一派の妄動により自治会が攪乱されてきたとして本部書記島上善五郎を解雇した。

(分裂反対同盟)
 8月23日、除名された側は桜田門支部で分裂反対同盟結成大会を開催し全支部に向けて運動を開始した。また、右派幹部の会費の不正使い込みを徹底暴露し、本部費不納を申しあわせた。分裂反対同盟は本部を三ノ輪支部に置き、あくまで右派と抗争する態勢を示した。

(和解と復帰)
 9月上旬、自治会内部に「内訌(こう)反対革新同盟」が組織され、たちまち自治労内にこの運動が広がり、左右対立の内紛を止め、自治会本来の姿にたち還るべきだと主張した。この左右の和解を求める声が日ごとに大きくなった。ついに10月11日の自治会執行委員会はこの動きを承認することを決定した。10月26日、和田前電車課長からも調停案がだされ、10月29日自治会中央委員会はこの調停案を承認し、分裂反対同盟との組織合同が決定した。
調停案
一、大自治会中心の統制の尊重
二、政党問題は自治会の統制を乱さない範囲で自由問題とする
三、自動車部など除名支部と除名者の新入会を承認する。ただし滞納会費即納の事
四、北田一郎を書記として再採用する。ただし事務のみで他に関与しない
五、島上善五郎は総聯盟に一任(その後総聯盟に復帰)

(自治会1926年冬の争議)
 1926年秋の自治会執行部改選は左派の圧倒的勝利となり、自治会の実権を左派が握った。次回報告する自治会1926年冬の争議は左派が主導権を持った時の闘いであった。

(第二次分裂)
 しかし、ほどなく左右の抗争は再び激化した。1927年(昭和2年)8月17日、右派は市電自治会現実同盟の確立大会を開催した。市電自治会第二次大分裂である。



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