先輩たちのたたかい

東部労組大久保製壜支部出身
https://www.youtube.com/watch?v=0us2dlzJ5jw

映画「ドレイ工場」をみて  全金日本ロール闘争!  

2010年07月01日 22時19分29秒 | 動画・映画

映画「ドレイ工場」
全金日本ロール闘争!
日本ロール製造株式会社 東京江戸川区葛西 
鋳鉄・製鉄用各種ロール製造
1962年当時、自己資本5億円 江戸川工場1200名 大島工場120名 小松川工場50名
ワンマン社長 青木運之助 千葉の高額所得者番付の上位者 息子副社長、弟専務・・典型的一族私物化経営

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映画ドレイ工場をみて

2008年3月22日11時、カメリアプラザ・亀戸文化センターのホール。友人と映画「ドレイ工場」をみました。
405名の大ホールはほとんど席が埋まっています。上映前に俳優前田吟さんと日色ともゑさんのメーセージが紹介されました。
大画面で見るこの映画は本当に40年ぶりです。今までビデオでの鑑賞はありましたが、この日は、大ホールの大画面を400名の方(一日3回上映ですから、1200名)と一緒に見ることができて本当に良かったです。
映画がはじまってほどなく、あちこちから鼻水をすする音が聞こえます。僕の隣の年配の男性が泣き声を必死に抑えています。日本ロールの元全金組合員なのでしょうか、映画の中にいたかのような泣き方です。天井クレーンから少年労働者が墜落して死ぬ場面で、友人の隣の若い女性がすすり泣きだしました。

1962年10月18日全金日本ロール支部結成 決起のその瞬間。

広い工場の広場には、たったひとりで旗を持ち立つ組合員。しかし、工場の中からは誰も出てこない。しばしの静寂。観てる僕の中に動揺が起きる。突然各工場の騒音が止まる。そして扉から労働者の集団が一斉に歓声をあげながら、なだれをうって飛びだして来ます。その数600名。工場の外からは江戸川地区労と全金の支援部隊がデモで登場。館内の400名もどよめきます。この場面の「がんばろうの歌」では観客のみんなも一緒に声をあげたいだろうなと思いました。

実際の日本ロールの闘いで特筆すべきことは、裏切りものの御用組合・第2組合が、翌年の1963年には24時間ストライキ、64年には72時間ストライキ、67年には14日間連続ストライキで決起したことです。

日本ロール支部は「第2組合一般組合員を絶対に敵視しない、あいさつしよう、話しかけよう」という方針を貫き、第2組合一般組合員に共に闘うことを呼びかけ続けました。実際の活動の中ではこの方針は中々辛かったと思います。映画でも第2組合組合員をおもわずやっつけようとして仲間から諭される場面もあります。
また、映画では一人の活動家を工場に残し、第2組合に潜入させて内部から労働者決起の工作をします。本などにはこの潜入加入の話はでてこないのですが、本当の話ではないかと思います。

暴力団100名、警察機動隊250名で守られ、「過激派」全金を工場外にたたき出しての工場の中では、就労している第2組合員の労働者1000名がビビリにヒビッテいます。資本家の大勝利です。いまや資本家の天下です。
実はここにこそ、彼ら資本家のおごりと最大の弱点が生まれたのです。鉄棒をもった暴力団と外の機動隊に守られた資本は露骨に労働者の酷使・搾取を強めます。あくなき貪欲性、無慈悲性という資本家の本性そのままです。その対象は、会社側に寝返った労働者に対してもです。必然的に工場内労使の矛盾は極限に高まり、ついに再び労働者は立ち上がります。<労働者は必ず決起する>は真理です。

映画では宇野重吉の保守的な鋳物職工がその役を演じています。映画「キューポラのある街」でも解雇されても経営者に幻想をもち続ける保守的・頑固な鋳物職工の父親が娘吉永小百合ら子供から「個人主義だ」と糾弾されますが、「ドレイ工場」では労働組合はアカで嫌いだと反発していた宇野重吉ら鋳物労働者が最後の最後には工場前に座り込み闘争で決起します。

実際の第2組合の決起も劇的なものでした。64年春闘では、全金支部は家庭訪問や門前での連日ビラで第2組合への共闘をよびかけ、第2組合員200名は署名を御用組合執行部に叩きつけ、ついに302対43でストライキ権を確立し、3日間のストライキに決起します。第2組合は67年春闘にも無期限ストライキで14日間闘います。この時の全金日本ロール支部組合員の喜びはいかばかりでしょうか。しかし、このストライキも同盟本部(今なら「ゼンセン」ですね)と御用幹部の裏切りで敗北します。
しかし、この同盟による敗北以後、第2組合は事実上消滅の道をたどります。組合費を払うのももったいない。同盟にいても意味がないと69年には第2組合員はわずか80名となり、ビラすら発行できなくなり、現在では第2組合から脱退した若者らが第1組合で活躍しているそうです。

カメリアプラザ・亀戸文化センターのホールの席には年配者も多かったですが、あちらこちらに若者も多くいました。映画が終わってホールから出てくる若者たちも皆目を赤くしていました。この若者を見て「ドレイ工場」は決して過去の「映画」ではない、今も「現実」だと確信しました。

追感想
ホールで、DVDと一緒に買った書籍「もえひろがれ葛西の火」(日本ロール闘争を支えた力は何か69年刊行)の中に
「俺の友達があの映画を見てさ、なんで『ドレイ工場』っていうんだい。ありゃドレイじゃなくて普通じゃないかというんだよ。」
という箇所がありました。
実は僕も久しぶりにこの映画を見ながらそういう感じを受けていたのです。「ドレイ工場日本ロール」の全国化、日常化、一般化という状態が今の私たち労働者だからなのでしょうか。

だとしたら「日本ロール闘争」の全国化、日常化、一般化でこそ応えたいものです。それには谷山たちのように歯を喰いしばっての奮闘と労働者を信じ抜く確信があってこそでしょうが。


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3 コメント

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はじめまして (河合正文)
2013-02-16 15:07:35
同日夜に映画を見ました。
当時モデルになっていた「日本ロール製造㈱」
の浦安似あった社宅に住んでおりました。
浦安jから江戸川区に渡る橋で組合員から、会社に
行くことを止められていた父を思い出しました。
また映画の撮影で社宅を利用していたことも
覚えていますが、鮮明に記憶に残っているのは、
ギヤーに挟まれて転落するシーンです。
子供だった私は思わず目をそらしました。
当時日本ロールで働いていた方々で、未だに
工場経営などで現役でおられる方もいますよ。
この映画を記録に留めて頂いたことに感謝!
河合正文さんへ (管理者)
2013-02-17 11:41:29
貴重なコメントに感謝します。
動画・「先輩たちのたたかい「ドレイ工場」全金日本ロール闘争! 」も紹介します。
http://youtu.be/WA4iDMtSYMs
前田吟と日色ともえ (PineWood)
2015-06-19 18:49:43
神保町シネマで本作を初めて見ました。本作での前田吟を見た山田洋次監督が寅さんのヒロシ役に起用を決めたという。労働者魂は町工場でも活かされている。日色ともえとの(君の名は)タッチの淡い恋心も社会派映画を青春映画風に柔らげ見る者の興味を惹き付けた。冒頭シーンが際どくて、前田吟の変化が後で生きてきる!

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