先輩たちのたたかい

東部労組大久保製壜支部出身
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農民・小作争議 1926年の労働争議

2023年05月22日 07時00分00秒 | 1926年の労働運動


写真・立入禁止反対デモ(山陰連合会、奈良県連合会)1926年9月

農民・小作争議 1926年の労働争議
参照「日本労働年鑑第8集/1927年版」大原社研編
  「小作農民の証言-秋田の小作争議小史」野添憲治・上田洋一著(秋田書房)

地主と小作の階級的対立
 日本労働年鑑第8集/1927年版はこの年の小作争議を〈帝国主義時代における資本家階級としての地主及び無産階級としての小作人は相対立せる両階級意識を益々明確にし〉と書いている。その代表的農民の闘いの一つに、銅山公害と闘う農民の決起秋田県小坂銅山煙害反対闘争とこれに連帯して立ち上がった加害企業内の労働者の闘いがあった。また、この年の小作争議で歴史的に有名な新潟県の木崎村争議は次回報告予定です。

全国の小作争議数と参加農民数(労働年鑑第8集)
1917年(大正6年)     82件
1918年(大正7年)   256件
1919年(大正8年)   326件
1920年(大正9年)   408件
1921年(大正10年) 1,980件
1922年(大正11年) 1,578件
1923年(大正12年) 1,917件
1924年(大正13年) 1,532件 
1925年(大正14年) 2,206件   84,404人(労働年鑑第7集のこの年の小作争議数は1,303件で前年比43件増とある)
1926年(大正15年) 2008件  106,546人(社会局発表の小作争議件数は1,853件)

小作争議の原因
 農民・小作争議は年々普遍化し、1926年度も、兵庫336件、大阪306件、新潟185件、奈良160件、岐阜157件、埼玉83件、香川62件・・・等々と全国に拡大した。
 小作争議の背景には<近代思想に目覚めた小作人自身の社会的地位を確認する〉(労働年鑑第8集)があった。具体的な要求としては、小作料のその年の減額と永久減額が約9割を占めている。

争議の手段
 小作側の要求方法は、かつての個人的懇願から団体的抵抗の態度となり、争議が紛糾した時に暴行脅迫的一時的強要手段を執ることもあったが、近年はむしろ「小作料不納同盟」、「小作米共同保管」、「小作地不還申し合い」等で闘い、地主側が訴訟を提起する場合は、農民組合の弁護士をおいてこれに抵抗すると共に、大衆の示威行動や児童の同盟休校、消防団員辞職、公租公課滞納などで社会の輿論に積極的に訴え地主を地域的・社会的に孤立させる闘いを続けた。

地主の手段・巻き返し
 地主側も地主団体を組織し、まず小作料請求の催促状に応じない農民に小作料請求訴訟を起こし、現物・稲立毛の仮差押を執行し、また耕地返還請求訴訟で土地立ち入り禁止処分で官憲や在郷軍人団などの暴力団を背景に小作農民の運動を潰さんと巻き返しをはかってきて農民組合と衝突した。

争議の結果
 小作料の減額を実現した地主側、農民側の妥協・妥結で解決したものが最も多く、1924年(大正13年)、1925年(大正14年)は7割、1926年(大正15年)は4割であった。農民側の全面勝利(要求貫徹)も24年75件、25年92件、26年57件と決して少なくない件数があり、争議全体を通じて農民側が一定の改善を勝ち取ったと言えるのではないか。

小作調停
 1924年12月1日から実施された小作調停法に地主・農民双方からの申し立ては増え、調停成立は1925年1,160件(62.50%)、1926年1,186件(42.35%)であった。両者の協議合意などの示談による取り下げも25年236件、26年479件あった。

以上



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