先輩たちのたたかい

東部労組大久保製壜支部出身
https://www.youtube.com/watch?v=0us2dlzJ5jw

三日戦争

2024年07月12日 19時47分44秒 | 大久保製壜闘争

写真・1987年ついに職場の仲間が立ち上がった! 

三日戦争(杉田育男さんをしのんで) 長崎広 
2024年7月12日

 杉田育男さんが2024年2月15日になくなる数日前、私と東部労組委員長の菅野さんと東部労組大久保製壜支部委員長の金沢さんの3人で杉田さんの病床にかけつけました。杉田さんは自力ではまぶたもあけられない状態でしたが、私たちの問いかけにはうんうんとうなずいてくれ、こちらの冗談には声もだして一緒に笑ってくれました。別れる最後に私が耳元で「杉ちゃん本当に長い間ありがとう。僕だけでなくて全国の多くの障害者や労働者も杉ちゃんに希望や勇気をもらったと感謝している人々が一杯います。本当にありがとう」と言い、菅野さんが大声で「杉田さん本当にそうですよ。杉田さんが先頭にたった大久保製壜闘争は素晴らしい闘いでした。どれほど多くの労働者を励ましたかはかり知れません」と言います。金沢さんも「つい最近職場で大労災事故の闘いに勝利しました。杉田さんたちのおかげです。本当に長い間ありがとうございました」と叫びました。それまで目をつぶって頷いていた杉田さんのまなじりからその時どっとたくさんの涙がこぼれました。

 杉田育男さんの思い出をひとつ紹介します。

(三日戦争)
 1975年のキリスト教会ろう城闘争の半年前のことです。長崎、橋本さん、黒崎さんの3人が御用組合の会議で「毎日起きている職場での障害者への暴力や虐待を許していていいのか。労働組合なら労働組合らしくちゃんとやれ」と発言した翌日、会社から3人のアパートに解雇予告通知が送られてきました。一ヶ月先の解雇です。幼い子供もいて困った私は、3人で当時から地域では骨太で有名な東京東部労組に駆け込み、「これこれこういうことでクビを切られたので、明日からどうしたらいいですか?」と相談しました。てっきり東部労組が会社に団体交渉を申し入れたり、会社前に押しかけたりしてもらえると思っていた私たちに、事情をしっかり聞き終えた東部労組初代委員長の足立実さんは、「君らは職場の障害者や労働者のために声をあげてクビを切られたのだから、彼らは必ず立ち上がってくれる。障害者や労働者の家を一軒一軒たずね、真剣に訴えなさい。」と言います。私たち3人は予想とは違って少しがっかりしましたが、こっちも相談に行った手前、足立さんの助言に従うことにしました。

 私は夜勤中でしたが、昼間寝ないで障害者や知的障害者のアパートや寮を一軒一軒たずね訴えました。誰も立ち上がりません。一日目、二日目、三日目。全然動きはありません。丸まる3日間ほとんど寝ないで、障害者の仲間の家を訪問しました。3日目の夜、ビン詰めの立ち仕事でフラフラになり「これは倒れる。もう限界だ!」と工場の塀を乗り越え近くの公園の電話ボックスから足立さんに電話をかけます。工場入口にも電話器はあるのですが、守衛さんに聞かれるので公園まで行きました。夜中の11時か12時ごろです。「足立さんの言われるようにやったけど、誰も立ち上がりません。それより僕はもう体がもたないので今から早退します。いいよね。」と言うと、てっきり分かったと言ってくれると思っていた足立さんが「駄目だ」と言います。なんでですかという私に足立さんは、「今君らが帰ったら、職場の仲間たちはどう思うだろうか。君らが逃げ帰ったと思うだろう。倒れるなら職場の中で倒れなさい」と。正直とんでもない人に相談したと思いました。しょうがないので、職場の中で倒れようとまた工場の塀を乗り越えて工場に戻ります。そのまま深夜の肉体労働をします。
 全然倒れなくて朝まで仕事をしてしまいます。朝7時になり、これでようやく帰れると二階の休憩室に行くとそこに杉田育男さんを先頭とした30名の身体障害者と知的障害者の仲間たちが座り込んでいます。互いに腕を組み、真っ青な顔をして、中にはブルブル震えている人もいます。誰かが課長に「長(ちょう)さんたちのクビをやめてほしい」といいます。課長らは「お前ら! すぐに帰れ」と怒鳴りちらします。しかし30名は頑としてそこを動きません。大久保製壜会社始まって以来の労働者の決起です。杉田さんが指揮した職場闘争です。団体行動です。大衆闘争です。実力闘争です。昨日まで奴隷だった者が、突如人間としてあらわれたのです。その真剣な気迫に会社は腰を抜かし震えあがります。

 この時の闘いは、当時の東部労組では三日戦争と呼んでいます。搾取と抑圧のあるところ仲間は必ず立ち上がる。仲間を信じる方針を出して闘っていこう。これが私たちの教訓となります。職制や暴力に怯えて黙々と働く労働者の表面だけをみていれば、あの時の僕らのように、仲間が立ち上がるわけがないと思い込み、仲間に真剣に声をかけたり、働きかける努力もしないで、たたただ外の機関や支援の動員だけに頼り、外からの闘いだけで解決しようとしてしまいます。これではいつまでたっても職場内での大衆運動は起きません。杉田さんたちが示してくれたように職場の仲間たちには団結する力も、勇気をふるって困難な闘いを長期にわたってやりつづける素敵な知恵も能力も持っていることを教えてくれた三日戦争でした。

(仲間を大切にしよう!)
 三日戦争は、私の思想を根底から変えた最初の出来事でした。社会福祉施設職員出身の私にとって、障害者は私が助けてあげる対象でした。しかし、実際は助けられたのは私たちのほうでした。杉田さんたちは自らの運命は自らの闘いで切り開く、労働者自身が闘う、障害者自身が立ち上がると生涯をかけて私たちに見せてくれました。

 杉田さんの好きなスローガンに「仲間を大切にしよう!」があります。これは仲間たちを心底信じるからこその思想だと思います。自分の心の中にある大衆蔑視の思想と闘うことが本当に大切だと今でもつくづく思います。今、日本の多くの大企業の労働組合は、労働者自身の闘いやストライキで物事を解決しようとせずに、「代行主義やボス交渉主義」で終わっています。労働者自身の力を信じない幹部たちの思想、大衆蔑視があるからだと思います。戦前(戦後)の先輩たちの闘いを学べば学ぶほど、労働者にはどれほどの力も勇気も不屈の能力もあるかよくわかります。搾取と抑圧のあるところ労働者は必ず立ち上がるのです。仲間を本気で信じる労働運動を続けていきましょう。大衆路線で闘いましょう。

 この杉田さんたち30名の決起と亀戸労政事務所の指導もあり、ほどなく私たち3人の解雇は撤回されます。それから半年後、職場でひとりの知的障害者にひどい暴力ふるったある課長に怒った杉田育男さんを先頭とした36名のキリスト教会ろう城闘争が起きます。この中には僕ら健常者3名も入っていました。大久保製壜闘争21年9ヶ月のスタートです。


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