上・「8月10日女工虐待反対デー」闘争ポスター(1927年)
上・北海道製鋼女工争議(1926年9月)
1927年の女性労働者(読書メモ)
参照「日本労働年鑑第9集/1928年版」大原社研
女性労働者
「女工の数は毎年増加してゆく。が生活状態は逆に悪くなってゆく。女工の八割が染織工場に働き寄宿舎に収容され、ほとんど自由を束縛されている。しかも過労のために甚だしく健康を害されている。最近各地に行われている女工の疾病調査を見るときは、如何に婦人労働者が酷使されているかを想像するに難くない。」(日本労働年鑑第9集/1928年版第二章第一女工)
(年齢)
1927年12月末現在工場・鉱山等で働く女性労働者総数は男性労働者の48.9%にあたり前年比で3,564人増加している。その内、16歳未満の女性労働者は23%もいる。男性の16歳未満が5%であることに比べても女性の年少者がいかに多いことか。また坑内労働者の18.6%は20歳未満の女性である。
(賃金)
女性労働者の賃金は、男性の平均賃金の4割2分弱でしかない。しかも男性は60歳まで年と取るにつれ賃金が上がるが、女性労働者は30歳を過ぎると逆に賃金は安くなってくる。
(労働時間)
1927年時の工場法では保護職工のみに限り、原則として就業時間を12時間以内、毎月少なくても2回の休日と6時間を超える労働時間には少なくても30分、10時間を超える時は少なくても1時間の休憩時間を与えると決めているが、実際は製糸工場など13時間、14時間など珍しくはなかった。まして工場法非適用工場にいたっては15時間、16時間に及ぶ工場も多かった。
(昼夜交替労働)
女性労働者を2組以上に分けて交替させ、昼夜交替労働させている工場は675工場(1925年末現在)で、昼夜労働に従事している女性労働者は251,910人(前年比で27,109人の増加)で、その内、紡績と織物業の昼夜労働についている女性は242,423人である。12時間制の昼夜交替労働制が一般的であるが、その上残業を命じられ14時間15時間と働かされる交替制もあった。化学工場においては12時間2交替、11時間2交替が通例とし、8時間3交替制はすこぶる少ない。交替の転換方法は、通常一週間または10日間毎に行う。その上残業がある。
(児童労働)
15才未満の労働者は、1926年には145,444人で、労働者総数の8.5%にあたっているが、その内、女性は132,267人で男児の10倍を数える。
(女性労働者の健康)
1925年中の三重、静岡、長野の女性労働者81,622人の健康診断の結果は、疾患者総数3,734人にものぼり、男性に比べ約2.4倍であった。
眼病 62.4%
消化器疾患 7.4%
血行器疾患 7.4%
呼吸器疾患 5.7%
全身疾患 3.2%
呼吸器疾患は男性の約2倍であった。
その他、脊柱鬱曲、偏平足など終日直立作業、同じ重労働を続ける中で起因する異常疾患も多い。とりわけ深夜労働、交替勤務をする過労、睡眠不足、栄養不良などにその原因はある。
三重県の調査(1924年~1925年)によれば、出稼ぎ女性のうち121人が疾病で帰郷させられていて、その数は男性の約4倍にあたる。最もおおいのが結核性疾患50人、神経・胃腸系疾患各10名、肋膜炎9人、腹膜炎8人、眼病7人、心臓病6人であり、疾病中死亡者は37人で疾病者の約31%である。死亡者の大部分は結核性疾患であり、男性の約1.2倍になる。驚くべきことだ。
1927年の女性労働者の労働争議
1927年中に発生した女性中心の労働争議は約30件で製糸・紡績が9件、「芸娼婦」12件、「看護婦・女給」6件、事務員2件であった。争議の原因は主に待遇改善、賃金不払い、解雇の他に虐待も6件ある。ほとんどがストライキとなった。
主な女性争議
静岡県の大日本紡績の女性労働者数百名の40日間のストライキ
富士ガス紡小名木工場争議
8.10女工虐待反対デー闘争
東京モスリン亀戸工場争議
長野岡谷の山一林組争議
桃園小学校の池田訓導不当解雇反対闘争
東京市電女性車掌、身体検査の人権じゅうりん反対と生理休暇(月経時8日間の有給休暇)要求
沖電気女性、11月7日ロシア革命記念日集会と弾圧
東京荏原松岡メリヤスの女性たちの待遇改善要求
大阪四貫島東洋紡の争議
等
以上