先輩たちのたたかい

東部労組大久保製壜支部出身
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足立機械製作所の機械打ちこわし争議 1921年主要な労働争議① (読書メモー「日本労働年鑑」第3集1922年版 大原社研編)

2021年09月17日 09時26分24秒 | 1921年の労働運動

写真・1921年9月普選運動に集まった人々(日比谷公園)

「足立機械製作所」の機械打ちこわし争議 1921年主要な労働争議①(読書メモー「日本労働年鑑」第3集1922年版 大原社研編)

1921年の労働争議概説
 前年1920年、東京市電、八幡製鉄所、富士瓦斯紡績等の大ストライキがあり、1921年においても大ストライキが頻発した。大工場の大半、特に造船及び機械政策工場は順次争議に見舞われた。
1月、足立鉄工所、日本鉄工株式会社、兵庫橋本造船所
3月、ナツプボルツ時計工場、園池製作所、足尾銅山、尼崎東亜セメント株式会社、東洋鑢(りょ)伸銅株式会社、汽車製造株式会社
4月、大阪電燈会社
5月、藤永田造船所
6月、横浜内田造船所、住友伸銅所、銅鑢鋼所、同電線製造所。(この月、大阪にストライキが頻発)
7月、川崎造船所、三菱造船所、神戸製鋼所、ダンロップ会社、台湾製糖会社
9月、横浜船梁、横浜工作所、浅野造船所
10月、石川造船所

 1920年の恐慌、賃金低下、失業の攻撃が続く中、1921年も労働者は、より決死的闘争に立ち上がった。足立鉄工所の破壊・暴動はこの年の象徴的闘いであった。日鉄、園池、ナップボルツ時計会社、大阪大電、藤永田、石川島の争議でも随所で格闘がおき、流血を見るに到った。神戸の争議ではいわゆる「抜剣問題」で官憲により労働者が殺害された惨事まで起きた。

 また、「団結権」「団体交渉権」が主要要求となったことは、1921年度の労働争議において注目すべき点であろう。団体交渉権が、更に転じて工場委員会制度設立の要求となった。

1921年主要な労働争議

1 足立機械製作所の機械打ちこわし争議
 東京吾嬬町(「あずまちょう」。現在の墨田区八広・立花・京島・墨田・押上。東武亀戸線「東あずま」駅。

 東京吾嬬町の足立機械製作所は、辛辣な搾取、低賃金、悪劣な労働環境で、東京有数の「鬼工場」として知られていた。前年1920年、友愛会東京鉄工組合の闘将泉忠が身を挺して工場に入り労働者と共に働きながら、彼は熱心に労働運動の宣伝に努め、たちまち工場労働者50余名全員を東京鉄工組合に加入させた。労働組合を蛇蝎のごとく恐れ、嫌っていた工場主「足立泰治」は周章狼狽し、泉を買収しようとしたが泉は断固はねつけた。1920年12月29日、会社は泉を職務怠慢の理由で解雇してきた。その上、12月31日労働者全員をも解雇して来たのだ。会社は貼り紙で「全職工を解雇。いかなることがあろうと団体復職は認めない。ただし個人として復職を希望するものは申し出てこい」と通告してきた。

 正月休み明けの1921年1月6日、工場主は工場をロックアウトし工場の門を固く閉鎖してきた。これを見た労働者は怒り、断固として会社の妨害をはねのけ全員で工場内に押し入り、工場構内でデモなどの示威運動を行い、また労働歌を高唱して全員解雇の撤回を迫った。1月11日、本所区向島請地仏教説教所で東京鉄工組合本所支部発会式を挙げた翌12日の夜、泉以下40余名労働者がたいまつをかざして工場を襲撃し、工場主らをなぐり、工場の約25の機械のほとんどをハンマーで破壊した。泉以下襲撃労働者全員が逮捕された。亀戸事件で虐殺された10人の内の一人である加藤高寿も、この工場襲撃に参加し逮捕投獄されている。
『加藤高寿君』 亡き同志を憶う 渡辺政之輔
https://blog.goo.ne.jp/19471218/e/b35712a6a08bd5a8b043bbd999e67273

 この工場襲撃、機械打ちこわし争議は、我が国労働運動史上空前の出来事であった。

 恐慌、事業縮小、解雇、失業と日々追い詰められ苦しみの頂点にいる全国の労働者階級にとって、「とりわけ極度の迫害と高圧により陰惨な経験を持つ東京方面の労働組合界の闘士の脳裏には悲痛な印象が烙印せられたであろう」(「労働年鑑」)。



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