先輩たちのたたかい

東部労組大久保製壜支部出身
https://www.youtube.com/watch?v=0us2dlzJ5jw

戦前の品川地域の労働争議と労働運動 品川区/しながわデジタルアーカイブより抜粋

2023年12月08日 07時00分00秒 | 先輩たちのたたかい

写真・品川区/しながわデジタルアーカイブ 

戦前の品川地域の労働争議と労働運動 品川区/しながわデジタルアーカイブより抜粋
参照 品川区/しながわデジタルアーカイブ
      https://adeac.jp/shinagawa-city

テキスト目次 / 品川区史 通史編 下巻 (adeac.jp)
https://adeac.jp/shinagawa-city/table-of-contents/mp000020/d000020

(感想)
 「総同盟の分裂」をテーマに、関東鉄工組合の歴史、総同盟の左右の対立の過程を調べていて品川区のホームページの〈品川区/しながわデジタルアーカイブ〉で以下の戦前品川地域の労働運動の歴史に出会えました。大変勉強になり、役立ちました。

 品川は、僕らガラス製壜工の戦前先輩たちのガラス工場のさきがけの地域でもあります。また荏原は大変お世話になった明学の男子寮「北明寮」のあったところです。懐かしいです。

(三)大正期の品川
概説
https://adeac.jp/shinagawa-city/text-list/d000020/ht001680
 友愛会の組織化、労働争議の頻発等
 品川区域の争議も1916年1件、17年なし、18年1件、1919年10件、20年2件、21年4件、22年4件、23年1件、24年19件、25年8件、26年8件を数えている。

友愛会大井・品川分会の発足と城南支部第四十八部会
https://adeac.jp/shinagawa-city/text-list/d000020/ht002050
 友愛会大井・品川分会の発足と城南支部第四十八部会の結成

友愛会大井分会から荏原支部へ
https://adeac.jp/shinagawa-city/text-list/d000020/ht002060
 品川の友愛会全支部分会名一覧表

友愛会荏原支部の発展
https://adeac.jp/shinagawa-city/text-list/d000020/ht002070
 組織化の過程一覧表

当時の品川区域の労働争議状況
https://adeac.jp/shinagawa-city/text-list/d000020/ht002080
(1918年大正7年~1926年の品川区域の労働争議の一覧表、青木虹二 『日本労働運動史』第1巻より作成)
 大正五年七月品川須崎鉄工場争議も友愛会が関係した主な争議の一つ。第一次大戦の戦火が収まった1919年(大正8年)ころは労働争議が全国にわたって続発した。品川でも1919年7月園池製作所争議はじめ1920年3月の明電舎争議や1921年1月の品川の日本鉄工所争議などがつぎつぎ起こった。日本鉄工所は戦後の不況から労働者134人のうち90人も解雇しようとした会社に対して、労働者側は解雇手当180日分と団結権・団体交渉権の承認を要求してストライキをはじめ、23日に品川警察署長の調停(サーベル調停)で「解雇手当150日分」「労働組合の自由」などの条件で解決した。

職工の生活
https://adeac.jp/shinagawa-city/text-list/d000020/ht002660
 1918年(大正7年)ごろの労働者の生活)

大正期の園池製作所争議
https://adeac.jp/shinagawa-city/text-list/d000020/ht002090
 1919年~1920年の園池製作所は、友愛会の職業別組合の東京鉄工組合大崎支部の拠点で、争議はストなしで全面勝利解決。以後友愛会会員が地域で激増した。当時の記者布施勝治の記事や加藤勘十の支援話も出てくる。

「産業民主」の要求(園池製作所争議スト)
https://adeac.jp/shinagawa-city/text-list/d000020/ht002100
 1920年園池製作所争議18日間ストライキで全面勝利。

工場管理戦術の決議(園池製作所再争議スト)
https://adeac.jp/shinagawa-city/text-list/d000020/ht002110
 1921年園池製作所で再争議。官憲と資本の弾圧。争議団「工場管理戦術」とサンジカリズム。

日本縫工組合
https://adeac.jp/shinagawa-city/text-list/d000020/ht002120
 1924年日本縫工組合結成。1927年の岡谷山一林組争議支援もした。
 日本縫工組合の労働歌
 (一) それ東洋に名も高き
      無産の民の鉄壁と
     暗夜を照らすかがり火は
      日本労働総同盟
     傘下に一部死守せんと
      固き心のはらからが
     目覚めて結ぶ一団は
      日本縫工組合ぞ

 (二) 吾人の使命はそも何ぞ
      横暴不礼の資本家に
     奪い去られし領域を
      我等が護る赤旗の
     燃ゆる正義の鋏もて
      搾取の進路両断し
     我利我利妄者の心臓を
      理想の彼岸に切り開け

 (三) せくなたはむな兄弟(はらから)よ
      不断の努力と手を取て
     友誼の集ひに歩をそろへ
      理想の社会を作らなむ

関東鉄工組合大崎支部連合
https://adeac.jp/shinagawa-city/text-list/d000020/ht002130
 総同盟左右分裂のさきがけ関東鉄工組合の分裂、東京鉄工組合結成。岡部電機製作所(100名)の右派土井直作が会社と結んだ「団体協約」問題。関東鉄工組合第二回大会で右派、左派の対立激化し、その後の総同盟大分裂の導火線となった。

南部合同労働組合
https://adeac.jp/shinagawa-city/text-list/d000020/ht002140
 1924年結成、地域のさまざまな産業や業種の労働者の多くで組織化された。

品川硝子会社の興廃
https://adeac.jp/shinagawa-city/text-list/d000020/ht001510
 明治の先輩ガラス労働者の労働条件と生活(『日本光学工業株式会社二十五年史』)

1 概説(労働者の組織化と労働争議の頻発)
https://adeac.jp/shinagawa-city/text-list/d000020/ht001680
 品川区域の争議も1916年1件、17年なし、18年1件、1919年10件、20年2件、21年4件、22年4件、23年1件、24年19、25年8件、26年8件を数えている。1925年(大正14年)の総同盟は分裂の導火線となったのが、関東鉄工労働組合大崎支部連合会における左右対立であったことも、この地域の労働運動の歴史のなかでは見のがすことのできない重要事件だった。

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戒厳令下の品川区域
https://adeac.jp/shinagawa-city/text-list/d000020/ht002280
(関東大震災・朝鮮人虐殺)
「かくして品川区域の各所で惨劇がおこることになったのである。二日夕刻大井町の八ツ山下では、爆弾所持者であるとして一人の朝鮮人をとらえて重傷を負わせた。しかし調査してみると、爆弾であると信じこまれたものは、大和煮の缶詰と二瓶のビールであった。しかし平静さを失い、恐怖におののく人びとは、流言がまったく根拠のないものであることを確かめるだけの余裕を失ってしまっていた。」
 「同日四時半、大崎町桐ケ谷では星製薬会社の人夫であった金容宅ほか四名の朝鮮人が、鳶口などで乱打されて重傷を負い、平塚村下蛇窪でも一人の朝鮮人が竹槍・天秤棒などで重傷、翌三日同じ地域でもう一人の朝鮮人が重傷を負わされた。」
 「品川町では朝鮮人と見誤られた町民の明治大学生の一人が、竹槍・鳶口などで乱打され、日本刀で斬付けられて瀕死の重傷を負い、品海病院に送られたが結局亡くなった。大井町・平塚村でも同様の事件がそれぞれ一件ずつあり、一人は死亡し、一人は重傷を負わされた。」

三井家別邸とバラック
https://adeac.jp/shinagawa-city/text-list/d000020/ht002680
 三井男爵の豪邸と民衆の悲惨

南郊共働社と大崎消費組合
https://adeac.jp/shinagawa-city/text-list/d000020/ht002690
 消費組合設立運動(一覧表)

日本光学と三菱航空機株式会社東京製作所の設立(1828年昭和3年の日本光学三田豊岡工場と大井工場ストライキ)
https://adeac.jp/shinagawa-city/text-list/d000020/ht002760
 1928年昭和3年3月28日から4月7日まで、日本光学三田豊岡工場と大井工場にスト勃発。両工場ともに、出勤退場時間の短縮、退職手当の増額、解雇手当の制定、健康保険法の改正など10項目の要求をかかげて約40日にわたって、豊岡工場は175名、大井工場は165名の労働者がみてストライキに立ちあがった(内務省社会局労働部『昭和五年労働運動年報』)。

(ハ) 隣保館
https://adeac.jp/shinagawa-city/text-list/d000020/ht003290

(ホ) 無産者託児所
https://adeac.jp/shinagawa-city/text-list/d000020/ht003310

輸出電球工業の発展(硝子材料の争奪)
https://adeac.jp/shinagawa-city/text-list/d000020/ht003330
 「総同盟の機関誌「産業と労働」昭和九年八月号に、赤松常子の大崎町の極東硝子工場のルポルタージュがのっている。この工場は従業員一五〇人、うち婦人五〇人、関東電球硝子産業労働組合に加盟し、極東支部を結成していた。豆電球の材料を製造する管引き場は、東西三〇間もある細長い作業場で、一方の隅にあるルツボから一定量の溶けたガラスを金竿の先にとって、それを吹き吹き後向きに早足加減で引き伸ばし、固まるとガラス管になる。それが少女の手によって二尺余りの長さに切られ、豆電球の材料となると書かれている。」

産業合理化と労働争議の激発
https://adeac.jp/shinagawa-city/text-list/d000020/ht003340
 1927年、28年の労働争議と1928年3.15大弾圧
 1927年(昭和2年)大崎町の東洋電業株式会社の労働者が東京鉄工組合大崎第三支部を結成し単価8割もの値下げに反対。荏原町小山の賃上げを要求しての乾電池争議、輸出電球製造販売業鈴木商会の組合幹部解雇と全員解雇に反対するストライキ(総同盟)。1928年(昭和3年)、日本光学工業豊岡工場、大井工場で争議が起こった。

 1928年3月15日の一斉検挙の大弾圧。品川・荏原などの地域で、このとき検挙され、治安維持法違反で起訴されたのは、市村光雄・田中長三郎・酒井定吉・与田徳太郎・有馬毅・斎藤善治郎・園部真一・寺峰弘行・田熊真澄・西島権三郎・村松英男・吉原清一郎・坂本二郎・岡本藤男・小暮元治らだった。野田律太も4月1日、大崎警察署に検挙され、出身地の大阪に護送された。

星製薬労働争議
https://adeac.jp/shinagawa-city/text-list/d000020/ht003350
 1930年(昭和5年)1,122名の労働者が働く星製薬で賃金不払いを巡り大争議。13名検挙の弾圧。
 総同盟東京鉄工組合大崎第二支部桑野電機争議、同大崎第一支部大和サッシュ争議、同大崎第十一支部佐藤鉄工所争議。この頃大崎キネマなどトーキーに反対する映画争議も激発。

荏原製作所争議
https://adeac.jp/shinagawa-city/text-list/d000020/ht003360
 1935年(昭和10年)中国侵略と国内弾圧のきびしい条件のもとで、労働者は、黙って死を待ったのでなくて、労働者の生活を守り、組織を守るために必死の闘いをつづけていた。荏原製作所の総同盟東京鉄工組合の品川第二支部100名の闘いと敗北。

(その他)
芸者と品川宿
https://adeac.jp/shinagawa-city/text-list/d000020/ht000770

マリア=ルス号事件(娼妓解放令)
https://adeac.jp/shinagawa-city/text-list/d000020/ht000790

娼妓解放令
https://adeac.jp/shinagawa-city/text-list/d000020/ht000800

宿場の衰微(娼妓解放令により)
https://adeac.jp/shinagawa-city/text-list/d000020/ht000810

品川教会の設立
https://adeac.jp/shinagawa-city/text-list/d000020/ht001010

蒲地騒動
https://adeac.jp/shinagawa-city/text-list/d000020/ht001410



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