先輩たちのたたかい

東部労組大久保製壜支部出身
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横浜船渠争議 1922年主要な労働争議③ (読書メモー「日本労働年鑑第4集」大原社研編)

2021年10月30日 07時55分58秒 | 1922年の労働運動

横浜船渠争議団ビラ(1922年)

横浜船渠争議 1922年主要な労働争議③ (読書メモー「日本労働年鑑第4集」大原社研編)
参照
「日本労働年鑑第4集第二主要なる争議」大原社研編
「日本労働組合物語」大河内一男・松尾洋 筑摩書房

御用組合の決起と裏切り

横浜船渠争議
(二つの組合)
 時節、世界の軍縮政策による造船界における失業不安が充満してきた。横浜の横浜船渠(4千名労働者)には横浜造船工組合が前年1921年大量解雇に反対するストを闘った。会社は制服・私服警官多数を工場内に動員し、また造船工組合を切り崩さんと黄色(御用)組合である造機技工連合会を1700名で作った。しかし、この造機技工連合会の労働者の中に段々会社の手先である幹部の指揮に従わない者も出てきた。造機技工連合会の中に闘争気分が次第に高まってきた。会社と造機技工連合会幹部がボス交渉を行い、労働者の日給の1割を共済金として拠出させようとし、しかもこの時会社は、共済金の利子をだました上、本来会社が負担すべき解雇手当までこの共済金から支出させようとしていることが明らかになった。ことここに至り、造機技工連合会幹部も自分たちが会社から利用され籠絡させられようとしていることを悟り反省し、かつ組合員の闘争的部分に引きづられ、ついに闘う姿勢を鮮明にするに至った。

 今まで敵視していた両組合は協力し、失業不安と闘う対策をとるようになった。両組合の協議が重ねられ、造機技工連合会も日本労働総同盟に加盟し「横浜造船造機同盟会」が成立し闘う宣言をし、1922年2月21日両組合は「解雇手当と退職手当の増額」の要求を提出した。会社の不誠実な回答に対して、23日よりサボタージュ闘争に入った。2月27日、会社は全面対決の姿勢を明らかにし、造船所の無期休業を宣言する一方で建造中の軍艦や多数の修繕船をすべて浦賀その他の造船所に委託してしまった。

(4千名の決起と警察の乱暴狼藉な大弾圧)
 争議団4千名は各所に事務所を設け、拠出金を募り争議の軍資金を整え、行商隊を組織するなど持久戦の準備に入った。3月2日、会社は争議団幹部46名をクビにしてきた。
 3月5日、関東労働同盟会の各組合、造機船工労組合その他東京からの多くの応援者を横浜駅に3千名の争議団が迎え、皆で会社糾弾演説会場に向かう途上で、千人余りの警官隊が阻止・弾圧してきた為、労働者との間で大乱闘となり、総同盟松岡駒吉と東京鉄工組合の秋山清ら争議団幹部4名が拘束され、その夜の会社糾弾演説会でも10数名の労働者が検束された。翌日6日には5.6百名の警官隊が造船工組合事務所を襲撃し、労働者に多数の傷害を負わせた上、福岡金次郎以下40余名の組合員が検束された。この警官隊の狼藉に対して、東京の自由法曹団の松谷・片山・宮澤・谷・上村・飯塚・麻生・安藤・宮崎・大崎の弁護士らが大挙して来浜し、ただちに造船工組合事務所の実地検分と負傷者の医師診断書を携えて、県当局、各警察署に押しかけ難詰・糾弾し、その夜、「人権蹂躙攻撃演説会」を開催した。同日夜検束者全員が釈放された。足尾・関西・名古屋・千葉・東京から続々と応援労働者が駆け付けた。また全国の労働団体から同情カンパが次つぎと寄せられ、争議団の意気はますますあがった。

(御用組合の裏切りスト破り)
 3月11日、会社は来る13日から生産を再開する旨の手紙を被解雇者を除く4300名に郵送した。争議団は協議の結果、ストライキ続行を決定した。ところが、造機技工連合会は密かに13日の全員工場入場を決めた。この情報を聞いた造船工組合の憤激は甚だしく、急遽、きびしく造機技工連合会幹部を糾弾した結果、造機技工連合会は再びストライキ続行を決議した。
 
 12日夜より争議団は徹夜で海・陸両方面の警戒を強め、夜が明けるのを待った。13日未明、入場しようとした2.3人の労働者は、争議団のピケットラインに阻止されたが、明るくなるや工場正門前に多数の警官隊が人垣を作り、入場しようとする労働者を護衛した。これと対峙する争議団の警戒隊に殺気が走った。工場開門の汽笛サイレンが鳴った。一人の入場者もいなかった。しかし、午前7時横浜駅付近に待機させられていた300余名が警官隊と会社職制に守られて、前後2回に分けて入場した。この300名は前日まで会社が必死になって駆り集めた市中の失業者と「親友会」と称する組長らと守衛らに労働服を着せた部隊であった。しかるになんと、この機に乗じて、造機技工連合会の幹部を先頭にした1千余名が、組合旗を押し立てて工場に入場したのだ。スト破りだ。この有様を見た造船工組合員は切歯痛憤して怒りくるい、続いて工場内になだれ込んだ。工場内はすさまじい乱闘修羅の巷と化した。造船工組合員30余名が検束された。

 夕、造船工組合事務所での幹部会は、夜遅くまでの大激論のすえ、時期を持って再起することを決し、『我らは、萬斛(ばんこく)の涙を呑んで休戦を宣言す』と宣言して、争議を終結させた。



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