先輩たちのたたかい

東部労組大久保製壜支部出身
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小野鉄工造船所争議 1922年主要な労働争議② (読書メモー「日本労働年鑑第4集」大原社研編)

2021年10月29日 09時00分00秒 | 1922年の労働運動

小野鉄工造船所争議 1922年主要な労働争議② (読書メモー「日本労働年鑑第4集」大原社研編)

参照
「日本労働年鑑第4集第三編労働争議」大原社研編
「協調会」資料

1922年の造船工場の労働争議

2月 小野鉄工造船所(大阪)
2月 横浜船渠会社(横浜)
2月 函館造船所(函館)
5月 向島船渠株式会社(尾道市)
5月 浅野造船所(神奈川鶴見)
5月 石川島造船所(東京市)

小野鉄工造船所争議
屋根の上を右へ左と逃げまどう所長、引きずり降ろそうとする労働者の怒り!

 大阪の小野鉄工造船所は、1922年2月上旬から不況を理由に次々と労働者を解雇してきた。しかも臨時雇用は勿論、正社員にすら解雇手当を出さぬこともあった。怒った立憲労働党大阪造船工組合所属の約360名は、当時建設中の汽船が2月28日進水であることをチャンスとし、2月9日、解雇手当等に対する以下の要望を会社に提出した。
一、解雇手当の現行の2倍を支給すること
二、3ヶ月以上勤務した職工を常庸に編入すること
三、工場がいかなる状態になろうとも現在の日給を低下させないこと

 しかし、翌日10日には会社はこの要望をすぐに拒絶してきた。11日全社的サボタージュ闘争状態となり、会社は臨時休業を宣言した。労働者側は12日、第二回目の要求を提出した。
一、職工を解雇する時はこの際全員を解雇し、労働者が要求した新解雇手当を支給すること
二、臨時休業中は相当な手当を支給すること

 会社は14日争議に参加している労働者の中の67名を突然解雇してきた。その上、休業中の手当は支給しないと発表した。その夜、労働者は工場構内で、焚火を囲んで盛んに気勢を挙げ、新解雇手当の即時支給を要求した。しかし、交渉は不調に終わり、15日67名の解雇された者に会社規定の解雇手当が支給され労働者はこれを受け取り、争議は一旦解決したかにみえた。ところが3月1日になって会社はあらたに47名の解雇を発表してきた。しかも今回は会社規定の解雇手当すら払わずに涙金の「包金」だけで追い払おうとしてきたのだ。

 翌日、「包金」を叩き返した多くの労働者は所長小野虎助宅に押し寄せた。小野所長は労働者のあまりの怒りの勢いに恐れをなし、自宅の屋根の上に逃れ隠れた。労働者は土足のまま居宅・事務所・工場と手分けして捜索しても小野所長が見つからないため、投石などでガラス戸、器物等を破壊した。その時労働者に捕まった中田支配人は袋叩きにあった。小野氏妻女も子供を連れて逃げ惑った。そのうちに屋根の上の小野所長を発見した労働者は下から小野宅を取り囲み小野所長を引きずり降ろそうとする。小野所長は屋根の上を右へ左へと逃げ惑う。ついに警官5・60名の擁護のもと小野所長が労働者と会見することで話はついた。労働者らは奥座敷で待ち受けていたが、怖がり戦慄した小野所長はついに現れなかった。

 3月5泉尾警察署長の調停により、「包金」を<解雇手当相当>の支給とすることでようやく解決した。最終的に275名が解雇された労働者側の惨敗で終わった。



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