先輩たちのたたかい

東部労組大久保製壜支部出身
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1922年女性労働者の闘い (読書メモー「日本労働年鑑」第4集 大原社研編)

2021年12月22日 07時47分15秒 | 1922年の労働運動

写真・女給同盟(連盟)1925年

1922年女性労働者の闘い (読書メモー「日本労働年鑑」第4集 大原社研編)

(1922年『女給同盟』の加盟を呼びかけるビラ)
ことわざに『稼ぐに追いつく貧乏なし』と申しますが、実際は全くこれと反対で私たちは稼いでも稼いでも貧乏神に追いつかれています。これは何故かと申しますに、今の世の中が不平等で、強い者勝ちだからであります。金持ちは遊んでいてもどしどし殖えていきますが、貧乏人は幾ら稼いでもお金がたまるどころか、その日暮らしさえ思うように行かぬのです。それならば弱い者はどうしても強い者に勝てぬかと申しますと、決してそうではありません。南米地方では幾十万というイナゴの群れがあの強い象や虎を倒すといいます。つまり弱い小蟲でも多数が団結すると強い猛獣をも倒す事ができるのです。弱い私共も、多数集りますならば、強い資本家共に打勝つ事ができるのです。

 皆さんは、皆さんの主人の仕打ちに不平があっても、一人で打突かっていくだけでは、逆にモノにはなりません。しかしもしも皆さんが多数団結して主人に当たるならば主人はきっと皆さんの主張を聞き容れるでしょう。
 そうです。皆さんが何らかの要求を主人にしようとならば、まず皆さんが多数団結しなければなりません。私どもは右の趣旨から、このたび『女給同盟』を作ることとなりました。組合は皆さんの力です。武器です。守本尊です。もし皆さんが自分の地位を向上し、境遇を改善しようと望まれるならば、まず我が組合に加入なさらねばなりません。来たれ! 満都の兄姉達 ! 

1、「女給同盟」の発会式
 大阪朝日屋食堂の女性労働者は、1922年早々から日本労働総同盟の有志が女給同盟の組織化に努めていましたが、4月10日午前9時同食堂において女給同盟の発会式を挙行し、日本労働総同盟加盟、徽章作成、会旗作成、洗濯賃は主人持ち、メーデー参加、婦人講座の開設、宣伝演説会の開催等を決定し以下の宣言を朗読します。
宣言
 女性を男子の隷属物とせる旧道徳を破壊し歓楽のかげに潜む犠牲的奴隷の境遇より脱却し自由と愛に充てる人生の再建を期す  女給同盟 
 同同盟は、発会式とメーデーのために大阪市内の目抜き通りで10数回にわたり、自動車上の宣伝活動を行い上のビラを配布し、5月28日夜大阪市天王寺公会堂において女給同盟主催による『婦人労働問題の演説会』を開催します。

2、「看護婦同盟」の設立
 6月29日、東京牛込労働婦人会同盟本部において、看護婦同盟が設立されます。9月末で組合員は672名と在米国1名、在英国1名、在中国2名の合計676名を組織します。
看護婦同盟の趣旨
趣旨 
正しき職業及び労働に従事する婦人が平和幸福なる生活を営む権利と自由とを獲得せんがために団結するとはきわめて正当なことであります。しかるに久しい間の因襲と習慣は職業及労働の尊厳と価値を考えずに無自覚のまますごして来ましたが今や人生の最大要素たる自由と平等は男女共存の大義であることが警醒せられまして私どもは同盟団結の必要を感じたのであります。ことに殉教的精神と同情博愛の下に病者の看護に努め社会奉仕をしている看護婦をして在来の奴隷的境遇より解放しその人格を認め権利と自由とを承認し共済扶助を実行することは国家社会の安寧幸福を保全するゆえんであります。ここに鑑み私ども同志は看護婦同盟を組織してその目的の完成をはかりたいのであります。ふるって加盟あらんことを希う。」

3、女性だけの労働争議
仙台製糸女性労働者のストライキ
 仙台市片倉組製糸工場は1千余名の女性労働者を雇用しています。1921年10月28日、29日頃寄宿舎の女性50余名が上司より不当な厳しい叱責を受けたことに怒り、抗議として29日朝と昼食を絶食し労働もサボタージュします。その後11月4日寄宿舎の室長12名が密かに協議し、小野女子室長を代表として会社に「賃金の5割増、社内貯金額の各自への公表、賃金の工程率の随時発表」を要求しました。会社は女性労働者の要求を拒絶したばかりか、小野代表を解雇してきたため、1千余名の女性労働者は全員憤激し、ついに1922年6月よりストライキに突入します。

郵便局電話交換手女性10名全員がストライキ!
 静岡県江尻郵便局女性電話交換手10名全員が、昇給への不満と時間外手当の不支給に怒り、10月1日、2日とストライキをします。

4、東京毎日新聞社、「芸娼妓自由廃業」運動はじめる
 1922年夏、東京市において東京毎日新聞社は、布施、上村両弁護士を顧問とする「芸娼妓自由廃業」運動を開始します。その趣旨によると『芸妓屋は儲かる。素人の娘を抱えると随分儲かる。芸妓屋が芸妓を抱えるのは淫売をさせて大金を儲けるためである。濡れ手で大儲けするのは芸妓屋で、花柳病を患って青くなるのは芸妓である。芸妓屋は設けて別荘を建て面白いものを観てウマい物を喰って楽をするのに、淫売させて金を取り上げられて梅毒と子供を背負わされるのは芸妓である。・・・芸妓は日ごとに痩せる。一日芸妓をしていると苦しみは十倍になり、一年していると千倍万倍となる。芸妓が身の行く末を考えれば一刻でも稼いでいられる訳がない。兄芸妓のみならず、その悲惨さは娼妓になるとことさらに甚だしい。芸娼妓をやめて正業に就き暮らそうとする婦人は、いつでも本社へ申し込めば、自由廃業の目的を遂げさせる』としています。
 その結果、芸娼妓本人はもとより本人の父母兄弟が続々来社し、本土をはじめ朝鮮・台湾からも盛んに問い合わせがあると同紙は報じています。

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5、当時の女性労働者の実態
 1920年(大正9年)女性労働者は全国で約83万人で、男性労働者に対する割合は112.3%となり、全国でも男性労働者より女性労働者が多い事を示しています。特に、染織工場では男に対してその割合は429.0%に達し、女性の数が4倍以上で圧倒しています。

女性労働者の疾病(1919年)
結核   通勤 400名 寄宿舎1689名
呼吸器病 通勤 6094名 寄宿舎28909名
消化器病 通勤 8266名 寄宿舎38627名

綿糸紡績工場の一ヶ年就業日と就業時間
1912年 一年305日 一日20時間 
1913年   320日   19時間
1914年   308日   21時間
1915年   289日   20時間
1916年   319日   20時間
1917年   323日   19時間
1918年   313日   17時間
1919年   315日   17時間
1920年   302日   14時間

少年・少女14歳未満の労働者数(農商務省調査)
1921年東京府下の工場種別の14歳未満の少年・少女労働者数

染物工場  男304名 女2475名
機械工場  男278名 女   92名
飲食物工場 男  18名 女 207名
化学工場  男124名 女 122名
雑 工場  男301名 女 222名

1920年鉱山における14歳未満の少年・少女労働者数
鉱山    男667名 女 349名

一般の工場一ヶ月休業日数(1920年) 
無休   3,977工場
一日   715工場
二日    25,623工場
三日   6,398工場
四日   3,143工場
五日以上 4,670工場
不詳   1,280工場
 これは男女共同じです。それにしてもすごいですね。一ヶ月2日しか休めない工場が圧倒的に多いです。全く休みがない工場すら少なくありません。

(東部労組で労働相談を受けている時、休みが全然とれないと訴えてくる方も多かったですが、その会社は100年前と変わらない、つまりは本当のブラック・悪徳企業そのものということです。)



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