先輩たちのたたかい

東部労組大久保製壜支部出身
https://www.youtube.com/watch?v=0us2dlzJ5jw

故杉田育男さんのプロフィールと大久保製壜闘争略史

2024年06月09日 07時00分00秒 | 大久保製壜闘争

故杉田育男さんのプロフィールと大久保製壜闘争略史
2024年6月9

(杉田育男さんのプロフィール)
 杉田育男さんは、1950年(昭和25年)3月16日東京府中市に生まれました。両親を早くに亡くした杉田さんは、親代わりとなって育ててくれたやさしいお兄さん家族のもと、八王子高校を卒業します。脳性小児マヒの障害を持った杉田さんはその後職業訓練校を経て小平の船舶時計製造会社に入社、一年後ドルショックで解雇され、1971年、友人の紹介で大久保製壜所に入社します。初任給は2万8千円です。当初は男子平井寮に住み。検査課でA組福本組長のもとで検査担当―三交替勤務へ。その後杉田さんの住む木造アパートの第二あすなろ荘は、同じ組合員で障害者の石井菊枝さん和夫さん夫妻、鈴木淳さん、鈴木さん家族と橋本夫妻らも住んでいました。杉田さんの部屋は組合事務所も兼ね、第二あすなろ荘はあたかも梁山泊のようだねと言う人もいました。杉田さんの生涯を通して好きなスローガンは「仲間を大切にしよう」でした。

1975年6月、長崎さん、橋本さん、黒崎さんの3名が御用組合会議の発言直後に解雇され、杉田さんを先頭に30名の身体障害者、知的障害者が検査課休憩室に座り込んで闘い、3名の解雇を撤回させます。
1975年12月、36名の仲間と日本基督教団堀切教会にろう城して大久保製壜検査課労働組合を結成、委員長に選出。以来19年間東部労組大久保製壜支部委員長。
1976年、労働者訪中団に参加。旅行中盲腸発病で中国の病院で手術。杉田さんは、その時の中国の医師と看護師らの人民に奉仕する作風に大変感動して、あーいう生き方をしたいと述べていました。
1977年、杉田さんは闘争用にと障害者仕様の自動車を購入。仲間を乗せては地域の他の争議支援、また各労組・全国オルグにと3台も乗りつぶしました。
1978年、手が不自由な杉田さんは、なんとか自分でビラを書きたいと当時は高価だったワープロを購入して自分でビラを書きます。
1990年、堀切教会の穂高夫妻の紹介された方と知り合い、結婚。91年愛する娘さんが誕生します。
1995年、「争議全面解決に向けての2年間の総力戦」スタート。以後2年間杉田さんは何十回ものストライキや全国への支援要請等の先頭に立ちます。
1997年、ついに21年9ヶ月の争議が全面的勝利解決。今後の方針「受けた支援は運動で返そう」を決定。この年府中病院に半年入院します。
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1998年、杉本石油ガス支部争議スト支援
2003年、千葉へ引越し
2004年、手術のため中伊豆リハビリセンターに3ヶ月間入院
2006年、頚椎手術のため横浜南共済病院に半年間入院
2007年、通勤労災の自動車事故を機に車手放す
2008年4月10日、争議解決から11年後大久保製壜所を退職。実に勤続37年間でした。その間21年9ヶ月が大久保製壜闘争でした。争議解決後と退職後しばらく、杉本石油ガス支部争議、布亀支部争議、(紳士服の)コナカ支部争議、派遣添乗員の阪急トラサポ支部争議などの仲間の闘いを全力で声援、支援します。また、いつも大久保製壜の職場の闘いを気にして、新組合員が入る度に心から喜んでいました。
2017年、週刊金曜日「争議解決20年大久保製壜闘争を語る」の取材を受ける
2024年、お孫さんが誕生
2024年2月15日亡くなる。享年73歳

(大久保製壜闘争略史)
株式会社大久保製壜所(墨田区)
・リポビタンDなどのドリンク剤のガラス壜製造工場
・24時間操業交替勤務、灼熱地獄の職場
・当時、国やマスコミが「福祉モデル会社」と褒め称えた大久保製壜所は、1975年当時200名従業員の内、129名もの身体障害者・知的障害者・聴覚障害者を雇い、大きい利益をあげていた。しかし、24時間3交替勤務の職場では、障害者への酷使・暴力・虐待・低賃金等の差別が横行していた。働く職場が少ない障害者の社会的弱みを利用した資本家の卑劣な職場支配だった。 

1975
・6月 御用組合会議での発言がもとで長崎さんら3名が解雇される。障害者の自宅訪問オルグ。検査課労働者、杉田さんら障害者40名の抗議座り込みの闘いで3名の解雇が撤回される
・11月30日、一職制の知的障害者への暴力に、36名(健常者3名)の障害者が怒り決起。工場座りこみ、日本基督教団堀切教会(斉藤宏牧師)に籠城してのたたかい。大久保製壜検査課労働組合結成。東部労組、キリスト者、地域の労組員、障害者団体等々200名が総力支援。テレビワイドショウでも連日放映。12月8日全面勝利。職場復帰。

1976
正月明けから会社の大巻き返し、労組攻撃始まる。
・労務ゴロ屋上八郎(エスエス製薬)導入。正月休みで帰省した知的障害者組合員が誰も帰って来ない。
・村八分・いじめ・不当配転・懲戒処分・団体交渉拒否・・・・・組合員が8名に切り崩される。
・9月、「新勤務体制反対闘争」32時間ストライキ新たに6名の障害者が立ち上がり検査課労組に加入、1名復帰。
・10月、基本方針決定

1977
・東京都労働委員会・裁判闘争始まる
・障害者同士の職場交際を理由に障害者の組合員を解雇
・会社、NHKと作家高杉慎吾さんを名誉棄損・損害賠償で告訴攻撃
・向島警察組合活動に介入して組合員1名と支援の2名を不当逮捕。深夜までの抗議行動3日間で釈放実現
・深夜、職場の風呂場で、てんかんを持った身体障害者の労働者山田はるおさんが溺死(夜勤中の長崎さんが発見)事件発生。労働者300名の支援の怒り爆発デモ
・夜勤回数を半分にするなど労働条件の大幅改善実現

1978
・350名の路地裏デモ
・2年ぶりに団体交渉再開実現させる

1979
4周年決起集会350名
検労組の宣言「4年闘った。あと4年たたかう。必要なら更にあと4年闘う」
・長崎さんへの知的障害者へのでっちあげ暴力事件攻撃勃発。すぐに会社が撤回
・職場での障害者への暴力を全面的になくさせる

1980
・大久保製壜検査課労組、東部労組に加入(東部労組大久保製壜支部)
・差別査定の大幅縮小を実現
・全国署名運動9万人

1981
・「解放教育(明治図書)」に記事「悪らつな障害者虐待に抗して」(東部労組大久保製壜支部)
・「最低賃金闘争」労基署と会社に対して。労基署への最低賃金除外申請をやめさせる。 

1982
支部方針「全力をあげて総反抗の条件を準備しよう」
・労務ゴロ屋上八郎解任される
・会社、NHKと高杉さんへの告訴、敗北判決直前にあわてて取り下げる
・大久保闘争支援地域で大バザー1000名の住民参加で125万円売り上げ

1983
・船橋市長からの大久保学園へ「大久保実銅像」寄贈策動を粉砕する船橋の市民運動拡大。市長、寄贈をとりやめ(「大久保実銅像」自体は今では大久保学園の施設内に安置されています)。
高裁向け全国署名62,742

1984
・東京都労働委員会全面勝利命令

1985
一暴力課長糾弾闘争で新たに6名の障害者の仲間と大労組の健常青年2名(非公然)が支部に加入。
・10周年集会370名集会とデモ

1987
・社長次男の大久保明墨田区議選出馬反対闘争
「地獄の特訓の富士宮研修」反対闘争22名の大労組青年労働者決起支部と共闘。22名で「新労組」結成(長崎さん、鈴木銀一郎さんが新労組の特別執行委員)

覚醒剤謀略事件(社長が長崎副委員長のオートバイに暴力団員に本物の覚醒剤を仕込ませ長崎さんを逮捕させる)マスコミ一斉報道
支部・新労組6日間連続ストライキ
で冬季一時金「大労組妥結額プラス上積み」を勝ち取る。

1988
1月大久保実前社長と保社長の親子逮捕
・支援共闘会議結成

1989
・450名亀戸から会社までデモ「大久保実は罪を認め、謝罪せよ」
・大久保実に実刑2年の判決→栃木黒羽刑務所に収監

1990
・行政訴訟・不当労働行為が最高裁で勝利判決

1991
・15周年集会路地裏デモ(400名)
12月多田瑤子賞受賞

1992
・社前で各組毎の職場ビラとアピール行動
・会社敷地の売却の動きの情報あり、墨田区長への質問申し入れ

1993
・新労組中労委勝利命令――二週間連続闘争。会社行訴
・2.14新平井橋公園240名決起集会
・6.17東京地裁覚醒剤損倍、前社長に250万円支払えの判決
・東武信金交渉始まる 

1994
・支部と新労組組織統一(杉田育男委員長から小林誠委員長へ)

1995
・20周年を機に「争議の全面解決=総反攻」の方針。2年間の総力戦スタート
(支部、争議解決の4条件要求)
①障害者差別賃金の抜本的改善
②覚醒剤ぶ告犯罪の責任と謝罪
③不当解雇の撤回と労組敵視をあらためる事
④今後の平和的労資関係

・全国の労組指導者を訪ね、総力戦への貴重な助言をいただく
・9月都労委へ提訴
・パンフレット「おれたちはロボットじゃない」8000部、ビデオ300本作製
・国会議員(岡崎トミ子、岩田順介議員)調査団、職安、労基署、会社へ(会社で向島労基署の表彰状見つける)。
向島労基署の大久保製壜へ表彰状授与に140名が労基署署長に怒りの抗議行動
・10月、職場で会社との争議全面解決交渉始まる(2年間で計7回)
・12月舟原公園の決起集会と路地裏デモに750名の多数が参加(大田区の東部労組デイベンロイ労組支部は観光バス2台で駆けつける)

1996
・全国キャンペーン(北海道から九州67ヵ所で報告集会・上映会開催、3512名の参加)、支部組合員と208名のオルグ団全国に出かける
・報告・上映会場からのアピール文70通
・全労協大会「特別支援決議」
・厚生省、東京都、労基署、職安、障害者雇用促進協会、全取引会社130社へ申し入れの訪問
・障害者の湯村組合員3交替勤務の帰宅路上で亡くなる
・11月~翌年4月まで大正製薬に要請行動以後解決まで3回。のべ700
・墨田職安交渉、職安法20条「スト中の企業への求人紹介はしない」を実現させるため、指名ストライキ開始(2年間で、支部全員参加ストライキ33回、リレーストライキ143日)
・墨田区全域の各戸連続ビラ入れ

1997
・1月1日元旦、前社長宅へ申し入れ
・3月、4月大正製薬行動400名
・都労委で全面解決に向けた調停スタート(計12回)
8月18日都労委で争議全面解決の調印。今後の方針「受けた支援は運動で返そう」
・1300労組へ報告とお礼発送
・9月12日「報告とお礼」集会。300名。
・年二回の労使懇談会始まる。会社は大久保保社長、東部労組を代表して石川さん出席。安全衛生委員会にも支部新たに参加。今日まで続いている。今の東部労組代表は、菅野委員長。

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(争議解決後)

1998
1999

2000

この間、支部は毎年のメーデーに全員参加と杉本石油ガス支部など他の争議支援に努力する。

 2001
・世代交代 鈴木重春委員長、金沢新悦書記長体制へ
10月製壜課労働者大労組労働者Hさんが、ペケコンベアーに上半身が巻き込まれる瀕死の大怪我大労災
12月 田中和仁さんHさんの大労災に怒って決起。支部加入
・組合員の障害者小林正男さん退職

2002
・5月組合員障害者住安優さん退職
5月長崎さんが退職して東部労組専従へ(その年の会社の社内旅行はハワイ)
9月組合員田中さんへ溶解課の火災を理由に不当懲戒処分攻撃
・10月検査課で重大労災発生。一人の労働者がバルクのリフターに挟まれ大怪我
・労組訪韓団に大久保支部(長崎、金沢、鈴木)が参加
・障害者秋元源造さん退職

2003
・3月会社「新賃金制度」と「検査課各組10名体制へ」を発表

2004
・5月メーデー、支部全員で社前ビラまき(7年ぶり)
5段・6段のパレット多段積み反対!
・杉田さん手術、中伊豆の病院
・新人事制度反対!
・長崎さん、NPO法人労働相談センター副理事長就任

2005
・5月メーデー支部全員で社前ビラまき、赤旗も登場
・8月アスベスト発覚問題(コンプレッサー室壁面がすべてアスベストで覆われていた)
・支部を裏切り脱退したSが製壜課組長に就任
・大久保闘争30周年記念上映会 

2006
4月田中さんと障害者の定年延長闘争社前・会社包囲抗議行動105名(須田さん社前闘争に参加)、支部9年ぶりの闘争
・5月再雇用制度闘争勝利解決! 田中さん職場復帰!
・12月大労組の増田さん支部加入(職制のパワハラに反発)

2007
5月長谷川さん支部加入(職制のパワハラ)、パワハラ沼沢糾弾闘争、数か月に及ぶテープ録音を証拠に、パワハラ沼沢を団交で謝罪させ製壜課から放逐。
・9月 組合員田中さん癌で亡くなる
・障害者の石井菊枝さん退職

2008
・杉田さん退職(37年勤続)
・6月鈴木銀一郎さん退職
・8月杉田、鈴木銀、石井菊枝、羽野4名の退職慰労会(200名)

2009
・12月東海林智さん、DVD「人間を取り戻せ! 大久保製壜闘争の記録」推薦文
・杉田さん青戸の東部労組事務所にしばらく詰める
・長谷川さん退職

2010
・障害者の善場伸一郎さん退職

2011
・3.11で善場さん送別会中止
・4~ 長崎さん、東京地裁の労働審判員に就任(~4年間)
・5月土屋光徳さん、6月障害者の鈴木淳さん、12月同石井和男さん退職

2012
2013

・支部委員長交替(鈴木重春さん病気により、金沢新悦委員長へ)

2014
・会社、検査課に請負会社を導入。10名の派遣社員を正社員化したとたんに請負会社へ転職命令。
・請負会社12時間シフト制導入。 

2015
5月メーデー「検査課へ12時間シフト導入」反対で大久保製壜支部18年ぶりのストライキ(金沢支部委員長)
・6月12時間シフト問題で労基署闘争
・12月大労組の倉田さん、川口さん支部加入

2016
・3月大労組の西尾さん支部加入
・6月小山廣次さん退職
・9月大労組の戸谷さん支部加入(製壜課への強制配転反対)

2017
5月、10月、12月に向島労基署、会社に是正勧告(「有害職場での2時間以上の残業は違法」など)
6月週刊金曜日に、大久保闘争解決20周年で杉田さん、長崎さんの対談記事掲載
・6月明治学院大学で「人間を取り戻せ!大久保製壜闘争の記録」上映・講演会
・7月東京清掃労組が大久保製壜闘争の上映会・講演会

2018 
614日すみだ労組連行政交渉ですみだハローワーク求人紹介を停止(是正勧告違反企業の求人)

2019
・3月会社社長交代(大久保保社長から息子の統(41歳)社長へ。4代目)
77日多段積みパレットの崩壊で3名(東部労組員1名、大労組員2名の瀕死の大怪我)の重大労災発生
・7月16日支部急きょ社前抗議アピール行動
8月23日支部重大労災抗議の24時間ストライキ
・8月24日毎日新聞にスト記事掲載
・10月4日週刊金曜日に記事が出る
・11月大久保製壜所は重大労災事故の責任を取れ!11.28東部けんり総行動
・11月障害者の石井菊枝さん亡くなる
・11月東部労組大会で、長崎さん、東部労組副委員長・執行委員退任のあいさつ

 2020
・2月20日首都圏ネットワーク一日行動 向島労基署抗議行動
・3月大久保製壜支部が向島労基署に要請行動
7月労災抗議でストライキ 

2021
・2月22日東部全労協第31回定期大会で金沢さんが議長に就任
・4月19日東部けんり総行動で社前抗議集会
・6月24日新倉庫での多段積みを新たに向島労基署へ申告
・7月7日重大労災2集年抗議集会 危険な多段積みの再開を許さない!
・8月11日大久保製壜所の危険な多段積みに労基署から指導!
・8月24日重大労災について向島労基署 大久保製壜所を「書類送検」
・10月労働者の命を守れ!大久保製壜支部が社前抗議行動
・12月大久保製壜支部が社前でアピール行動
・12月コロナ禍で生産体制縮小(3ラインから2ライン生産へ)3交替人員体制変更

2022
8月重大労災問題が勝利解決!
・10月大久保製壜支部重大労災争議勝利解決報告集会

2023
・6月需要増加にて人員不足のまま3ライン生産体制へ(検査課7名から6名体制)
・7・7大久保製壜支部重大労災4ヵ年記念社前集会に130人が結集!

 2024
215日杉田育男さん亡くなる(享年73)
・6月4日毎日新聞都内版に「6.9杉田さんのしのぶ会上映会」が大きく掲載される
69日しのぶ会と上映会(青戸地区センター)
・7月7日労災闘争5ヵ年記念社前集会(予定)

以上


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