先輩たちのたたかい

東部労組大久保製壜支部出身
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1922年水平社創立(読書メモー「日本労働年鑑」第4集 大原社研編)

2021年12月10日 09時15分25秒 | 1922年の労働運動


 - 解放歌(水平歌)

1922年水平社創立(読書メモー「日本労働年鑑」第4集 大原社研編)

参照
「日本労働年鑑」第4集 大原社研編
「日本労働組合物語」大河内一男・松尾洋

全国水平社創立
 1922年(大正11年)3月3日京都市岡崎公会堂で全国水平社創立大会が全国の被差別部落から約2千名が参加して開催されました。全国300万同胞の解放を叫んで以下の綱領と宣言と「我々に対し穢多及び特殊部落民等の言行によって侮辱の意思を表示したる時は徹底的糾弾をなす」等の決議を採択しました。

綱領
一 われわれ特殊部落民は、部落民自身の行動によって絶対の解放を期す
一 われわれ特殊部落民は、絶対に経済の自由と職業の自由を社会に要求し、もって獲得を期す
一 われらは人間性の原理に覚醒し、人類最高の完成に向かって突進し

水平社宣言
 全國に散在する我が特殊部落民よ団結せよ。
 長い間虐(いじ)められて来た兄弟よ。
 過去半世紀間に種々なる方法と、多くの人々によってなされた我らの爲の運動が、なんらの有難い効果をもたらせなかった事実は、それらのすべてが我々によって、又他の人々によって毎(つね)に人間を冒涜されていた罰であったのだ。そして、これ等の人間を勦(いたわ)るかくのごとき運動は、かえって多くの兄弟を堕落させた事を想えば、このさい我らの中より人間を尊敬する事によって自ら解放せんとする者の集団運動を起せるは、むしろ必然である。
 兄弟よ。我々の祖先は自由、平等の渇仰者(かっこうしゃ)であり、実行者であった。陋劣(ろうれつ)なる階級政策の犠牲者であり、男らしき産業的殉教者であったのだ。ケモノの皮剝はぐ報酬として、生々しき人間の皮を剝ぎ取られ、ケモノの心臓を裂く代價(だいか)として、暖(あたたか)い人間の心臟を引き裂かれ、そこへクダラナイない嘲笑の唾まで吐きかけられた呪われの夜の惡夢のうちにも、なお誇り得る人間の血は、涸(か)れずにあった。そうだ、そうして我々は、この血を享(う)けて人間が神にかわらうとする時代にあったのだ。犠牲者がその烙印を投げ返す時が來たのだ。殉教者が、その荊冠(けいかん)を祝福される時が來たのだ。
 我々がエタである事を誇り得る時が來たのだ。
 我々は、かならず卑屈なる言葉と怯懦(きょうだ)なる行爲によって、祖先を辱しめ人間を冒瀆してはならぬ。そうして人の世の冷たさが、どんなに冷たいか、人間を勦はる事がなんであるかをよく知っている我々は、心から人世の熱と光を願求礼讃(がんぐらいさん)するものである。
 水平社は、かくして生れた。
 人の世に熱あれ、人間(じんかん)に光あれ。
大正十一年三月
(1922年3月3日、京都市・岡崎公会堂にて宣言)



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