第二次世界大戦は連合国軍の勝利というかたちで幕を下ろしました。
日本が降伏する前から、連合国軍の中でもすでにドロドロとした戦争終了後の主導権争いが渦巻いていたといいます。
第一次世界大戦はその舞台がヨーロッパであったため米国の領土は攻撃を受けなかったのですが、第二次世界大戦で日本軍はハワイの真珠湾を攻撃しました。
初めて自国への攻撃を受けた米国は、 “リメンバー・パールハーバー” を合言葉に国の威信をかけて日本を潰しにかかったのです。
そのような戦況の中、日ソ不可侵条約を破ってソ連が千島列島に進軍しあわや北海道をも手中にしてしまいそうな時に、米国は広島・長崎に原子爆弾を投下し、日本は無条件降伏を受け入れたのでした。
こんなふうに書き表すと、ソ連や米国はとんでもなく我儘な国で、我が国日本は米ソに対抗した哀れで可愛そうな小国と捉えられるかもしれません…
でも、日本で唯一地上戦が行われた沖縄では、大和人(ヤマトンチュ)による沖縄在住の人々(ウチナンチュ)への偏見や差別が数多く存在していたといいます。
沖縄を “捨石” としか捉えない感覚は、今でも米軍基地が沖縄に集中している現状として残っていると思われるのです。
私が小学生だった頃の記憶です…
ある日の朝、運動場に全校生徒が集められました。
朝礼台に上がった校長先生が、
「沖縄が日本に戻ってきます!」
と話されました。
その時の映像が今でも私の脳裏に焼き付いているのです。
“沖縄が日本に戻る” という意味が当時子どもだった私に理解できたかどうかはよく分かりません。
ただ、校長先生が私たちに向かってとても大切な話をしてくれているということは感じることができました。
だから50年経った今でも覚えているのでしょう。
沖縄には何度か行ったことがあります。
その度に、辛い過去も辛い現状も全て胸の奥に仕舞い込み、陽気に私たちを迎えてくれる “ウチナンチュ” の心の強さに頭がさがるのです。
沖縄は単なる観光地ではありません。
復帰50周年の日に、本当の意味で沖縄が “復帰” できることを願います。