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自遊人の時間


毎日ブログを書くのもしんどいし、気が向いた時だけ書くことにしよう!

高野山奥の院に参拝する

2010年07月14日 | 四国遍路
先日の10日、四国霊場八十八箇所巡りの締め括りとして第1番札所霊山寺にお礼参りをする。
その後、徳島港からフェリーで2時間、和歌山県に渡り高野山へ向かう。
高野山の宿坊に泊まり、翌日(11日)高野山の奥の院を参拝した。



奥の院は弘法大師空海の御廟が祀られており、高野山で最も神聖とされる場所。
杉木立に覆われた奥の院参道は、一の橋から御廟(ごびょう)まで約2kmの石畳が続く。
参道の両側には、30万基ともいわれる墓石や供養塔が立ち並んでいる。
私らは帰りの時間の関係上、参道のほぼ中間点にあたる中の橋から参道を歩いた。

参道を奥に進んで行くと、玉川に架かる御廟の橋に出る。
上の写真は御廟の橋を渡る手前から撮ったもの。杉木立の奥に見えるのが灯籠堂。
御廟の橋より先は写真撮影は禁止となっている。
灯籠堂は御廟の拝殿となっており、灯籠堂の真裏に廻ると御廟を見ることが出来る。

その後、根本大塔、金堂、御影堂などの壇上伽藍や金剛峰寺などを見て回った。
もう少し時間をかけて歩いて見たかったが如何ともし難い。
高野山1200年の歴史のほんの一端に触れて帰って来た。
「もう一度行ってみたいか」と問われたら、「もう結構」と答える。

四国霊場八十八ヶ所、最後の4ヶ寺を巡拝し終えた

2009年09月28日 | 四国遍路
26日の土曜日、天気にも恵まれて残っていた4ヶ寺を巡拝して来た。
私は途中から気の向くままに不規則に巡拝していたため、
残っていた4ヶ寺は第16番札所観音寺から第19番札所立江寺まで。
巡拝の最後が第88番札所でなかったのでちょっと気の抜けた感じだったが、
納経帳の全てのページが埋まったのを見て満足している。

今回は四国霊場八十八ヶ所めぐりが一応最後ということで、
前日に生れて初めて写経した「般若心経」を第19番札所立江寺本堂に納めた。
今まで全くと言っていいほど筆を持ったことがなかったので、
262文字の「般若心経」を写経するのに1時間40分もかかった。

四国霊場八十八ヶ所めぐりを始めた当初は簡単に出来そうに思ったものだが、
実際に巡拝してみると近遠の違いもあるが結構大変なものだと感じた。
一番気楽で手軽なバスツアーでの巡拝であったにもかかわらず、
八十八ヶ所を巡拝することの大変さを実感した。

もう大分前のことになるが、ある先達者の方が言っていたのを思い出す。
「四国霊場八十八ヶ所めぐりは最低3回は回って下さい。
1回目はご先祖様のため、2回目は家族のため、そして3回目は自分のために。
線香を3本以上立てるのもそういうことです」と。

やっと1回終えたばかりで次また回ることなど考えてはいない。
今回の四国霊場八十八ヶ所めぐりは何かを祈願するためのものではなかった。
ある時からは常に「今までの私」「現在の私」に感謝を唱えて回った。
深刻な願い事をしなければならない事が何ひとつ無いことは誠に有難いこと。

四国遍路も残すところあと4ヶ寺となった

2009年08月10日 | 四国遍路
先週の8日に6ヶ寺を巡拝し、その前7月27日にも6ヶ寺を巡拝した。
いずれも真夏の厳しい暑さの中、多くの人と共に参拝して来た。
暑かったが私より年長の人が頑張っているのだから負けてはおれない。
これで84ヶ寺巡拝したことになり、残すところあと4ヶ寺となった。
その4ヶ寺は来月下旬に行く予定にしている。

「四国八十八ヶ所霊場めぐり」は私の人生では初めての体験。
2008年3月29日に「冗談半分」で始めた。
全くの興味本位で始めて以来、気の向いた時にだけ参加してきた。
特に雨に降られない日を出来るだけ選んで参加した。
そんないい加減な気持ちだから1年半もかかることになった。
ここまできたら今年中には高野山へ行ってみたいと思う。

私自身「冗談半分」で始めたから全部を回るとは思っていなかった。
ましてや家族は2、3回も行けば止めるであろうと思ったに違いない。
過去の私を見ていたらそのように思うのが当り前のはず。
何が私をそうさせたのか、今でも私には分からない。

毎回多くの中高年の人たち(特に女性)が熱心に巡拝されている。
先日は今13巡目だと言う70歳前後の男性にも会った。
そうした「霊場めぐり」に駆り立てる気持ちは百人百様であろうが、
私は「駆り立てられる気持ち」は持っていない。(気付いていないだけかも)

約40年ぶりの足摺岬

2009年06月15日 | 四国遍路
今回は2度目の1泊2日四国遍路で足摺岬を回るコース。
第35番札所から第43番札所までの9ヶ寺を巡拝して来た。

前回の室戸岬も遠かったが、足摺岬もやはり遠かった!
日本は狭い島国だと言うけれど、バスに揺られた実感からすれば「狭い」とはとても思えない。
土佐の高知の一般道を走っただけでもウンザリするくらいだ。
山また山、海また海で、高速道路が発展していないせいもある。

今回の宿泊ホテルは足摺岬のすぐ近くにあった。
早朝5時半頃に起きて足摺岬まで散歩して来た。
約40年前に友人2人と来て以来のことだが、岬灯台の風景は少しも変わってはいなかった。
何ひとつ遮ることのない水平線をしばらく眺めていた。
40年前はヤブツバキが沢山咲いていた時期に来たのだと思い出した。

ツアー会社を替えての四国遍路

2009年06月08日 | 四国遍路
これまでの四国遍路は読売旅行で行っていた。
読売旅行に別段不満があった訳ではないが、
今回初めて阪急交通社の四国遍路を申し込んで行くことにした。
他でもないが、阪急交通社で行った人から2度ほど薦められたことがあったから。

どんなものかと阪急交通社に四国遍路のパンフレットを依頼すると、
翌日にはメール便で出発時期ごとの各コースのパンフレッドが沢山届いた。
パンフレットを見ると読売旅行より遥かに行く便数が多いのにビックリした。
早速5日出発の第60番札所から第64番札所までのコースに参加した。

ツアー会社を替えたからでもないが早速に雨に降られてしまった。(苦笑)
第60番札所横峰寺は四国霊場の中でも3番目に高いところにある。(海抜750m)
だから歩き遍路の人にとっては四国霊場最大の難所と言われている。
途中からマイクロバスに乗り換えて狭いジグザグの林道を20分余り登った。
寺に向かう前から雨は降り出していたが、
本堂前は上の写真のように雨は降りしきり、濃い霧がたち込めて視界が非常に悪かった。
気はそぞろのままに参拝して早々にマイクロバスへ引き返した。

今回のツアーでちょっと気になったことがあった。
ツアー会社が違えば今までのツアー会社と色々に違って当然のことではあるが、
気になったことは先達者の装束のことだ。
今まで会った先達者(4人だったと思うが)は全て上から下まで白装束であった。
四国遍路はお遍路さんも先達の人も白装束が正式なのだろうと思っていた。
しかし、今回の先達者は紺色の作務衣のような装束を身に着けていた。
先達者の装束に決まりは無いのかも知らないが、その装束には抵抗を感じた。

今回の先達者のいいところがあった。
それは昼ごはんを食べる前に全員で唱和させることであった。
「一滴の水にも 天地の恵みを感じ 
 一粒の米にも 万民の労苦を思い ありがたく 頂きます」
感謝の心で、食前に唱える。
今までの先達者がやってなかったことだ。

1泊2日の四国遍路

2009年06月01日 | 四国遍路
今まで9回四国遍路へ行って来たが、泊りがけの四国遍路は今回が初めて。
今回は第20番札所鶴林寺から第29番札所国分寺までの10ヶ寺を巡拝。

1日目は20番札所鶴林寺から第23番札所薬王寺まで。
宿泊場所は海陽町宍喰にあるホテルリベイラししくい。
国道55号線を挟んですぐ目の前には太平洋が広がっていた。
夜は絶え間なく打ち寄せる大きな波の音で眠りを妨げられた。

2日目は第24番札所最御崎寺から第29番札所国分寺まで。
最御崎寺のすぐ近くには室戸岬があるが、観光ではないので素通りしただけ。
最後の国分寺近くに高知自動車道の南国ICがあり、
そこから高松自動車道、瀬戸内中央自動車道、山陽自動車道を走り帰って来た。

今回のコースの中には四国八十八ヶ所の中でも難所といわれている札所がある。
第20番札所鶴林寺、第21番札所太龍寺、第27番札所神峰寺。
いずれも標高550mから600mのところにあるお寺で、
歩き遍路をする人にとっては大変な難所である。

私たちは鶴林寺はバスで、太龍寺はロープウェイで、神峰寺はタクシーで登った。
それぞれの乗り物に揺られながら大変な難所であることを思い知らされた。
上の写真は太龍寺ロープウェイから撮ったもので、
那賀町と那賀川が箱庭のように眼下に見えた。

また歩き遍路の人にとっては次の札所までの距離が非常に長いことでも知られている。
今回のコースの中でも特に23番札所薬王寺から24番札所最御崎寺までと、
26番札所金剛頂寺から27番札所神峰寺までが大変な距離だ。
歩く人はそれぞれの区間を2日ないし3日かけて歩くらしい。
私たちはその区間をバスで短時間で走りぬけた。

その区間を歩いている人を車窓から何度か見送ったが、
どのような思いで歩いているのだろうか、とその都度複雑な思いを持った。
私自身は当初から歩くつもりもないし、とても歩き通すだけの体力や気力も持ち合わせない。
歩き遍路をされている人に改めて敬意を表したい。
今回は「発心の道場ー阿波」から「修業の道場ー土佐」を駆足で巡拝して来た。

久しぶりの四国遍路

2009年05月25日 | 四国遍路
昨年の10月下旬以来7ヶ月ぶりの四国遍路。
今回は第71番札所弥谷寺から78番札所郷照寺までの8ヶ寺を参拝。
1日で8ヶ寺も巡拝しようとすれば結構慌ただしかった。

7ヶ月ぶりなので作法や読経を心配していたが何とか大丈夫だった。
天気に恵まれて日中は汗が出てくる暑さだった。

最初に参拝した第71番札所弥谷寺は山の中腹にあり、
本堂までの階段総数は五百数十段あるらしい。
上の写真の赤い階段は途中にあるが「108階段」と呼ばれている。
今回の参加者(36名)も年齢は老若様々だがみんな元気なもので、
誰一人遅れることなく本堂まで階段を登りつめた。

今回の一番の見どころはやはり第75番札所の善通寺。
弘法大師の誕生の地として知られており、真言宗善通寺派の総本山。
金堂(本堂)に祀ってある本尊の薬師如来が立派で大きい。
さすがに境内も広く、五重塔も高く堂々としている。(国内で2番目の高さとか)
境内をもう少しゆっくり見たいと思ったが全く時間の余裕が無くて残念だった。

それにしても久しぶりの四国遍路、1日新鮮な気分で過ごせた。
今週末には1泊2日の遍路旅が待っている。
室戸岬をまわる第20番札所から29番札所まで。

四国遍路、第85番札所から第88番札所まで

2008年10月28日 | 四国遍路
昨日は第85番札所から第88番札所までの4ヵ寺を参拝して来た。

普通で言えば第88番札所大窪寺は四国八十八ヶ所お遍路の最後のお寺で、

結願の寺とも言われここで本来ならば打ち止めであるのだが、

私の場合は今だ半分もお参りしていないので結願にはほど遠い。



結願と言うからには四国八十八ヶ所巡りは願かけの様でもあるが、

発心(ほっしん)は人それぞれ違うから何とも言えない気がする。

私の場合はどちらかと言えば、願かけ(願う)と言うよりもお礼(感謝)。

今までの人生を振り返り、何不自由なく現在まで元気に過ごさせてもらい、

こうしてノホホンと暮らさせてもらえることに感謝したい。



先日(24日)四元奈生美さんが大窪寺に辿り着き、本来の結願を果たした。

103日間?をかけて八十八ヶ所を歩き通した。本当の歩き遍路の達成だった。

テレビ放映の反響は大きく、四国遍路に対する関心と感動を与えてくれた。

四元さんもそれなりのプレッシャーがあったと思うが立派に歩き通した。

しかし、今の今も一般の多くの人が黙々と歩き遍路を続けている。

四元さんに対するようなあちこちでの温かい応援はないだろうと思われるが、

これらの人たちがそれぞれの思いで今も歩いていることを忘れないでおこう。

四国遍路、第30番札所から第34番札所まで

2008年10月26日 | 四国遍路
今回は高知県内にある30番札所から34番札所までの5ヵ寺を参拝して来た。

今回は高速道路を走るだけでも片道3時間余りの長い道のりだった。

山陽自動車道、瀬戸中央自動車道、高松自動車道、高知自動車道を走り抜けた。



四国八十八ヶ所のうち、五重塔があるのは4ヵ寺のはずだが(恐らく)、

そのうちの1つが今回参拝した第31番札所竹林寺にあった。

あとの3つは、70番札所本山寺、75番札所善通寺、86番札所志度寺。

70番札所本山寺は先日参拝したし、86番札所志度寺は明日参拝する。

残った75番札所善通寺は来年訪れる予定で楽しみにしている。



31番札所竹林寺は五台山という小山の上にあるお寺だが、

境内が緑に覆われて静かな佇まいで、京都のお寺を彷彿させる。

山門を入り本堂に通じる長い石畳の参道両脇は苔生していて清清しい。

大師堂の上にある五重塔の朱色がほんの少しだけ華やかにさせていた。

四国遍路、第79番札所から第84番札所まで

2008年10月22日 | 四国遍路
今回は第79番札所から84番札所の6ヵ寺を参拝して来た。

妻が「一度は行ってみる」と言うので今回初めて一緒に参拝した。

毎朝NHKhiTV「街道てくてく旅」を妻も見てある程度分かっているが、

「百聞は一見にしかず」の例え通り、自分の目と足で感じるのが一番だと思う。



最後の84番札所屋島寺へ向かう途中に妻に今回の感想を訊いてみたところ、

「慌ただしくてゆっくり境内を見るヒマもなく、もう今回限りでいい」との返事。

私も初めて参加した時も同じ感想を持ち、もう二度と行かないと思っていた。

ところが色々に考えた末「安上がりで効率的に参拝するには仕方ない」と諦め、

今回で6回目の参加となり、今後も続けていくつもりでいる。



ちょうどこの日(20日)四元奈生美さんが屋島寺に到着するはずで、

四元さんのチャーミングな顔を見ることが出来るかと楽しみにしていたが、

思っていたより早く午後2時半には山門に到着していたようだった。

私らがバスから降りて別の山門に到着したのは3時を過ぎていた。