M記者です。
津競艇記者席には現在休刊中の競艇ガイドブックが並べられている(鰐さん、来たら読めたのにね)。
著者は西中準さん。ご存じ、競艇マスコミを作った人だ。出走表の形式から多くの用語、広告収入のシステムに至るまで、すべてこの人が考えた。どうすれば業界が盛り上がるか、それを常に行動で示してきた。我々が職業として競艇に携わっていられるのもこの人が頑張ってくれたからである。
いま、西中先生のように行動で示す人が少なくなった。確かに批判原稿を書きにくい業界ではある。紙面縮小でスペース的な問題もあろう。それでも誰かが声を出さなければ終焉に向かうだけ…。私が「声よ届け!競艇に未来を!」という不定期連載を始めたのは、大好きな競艇が衰弱死するのを見たくなかったからだ。
ブログというさらに踏み込んで訴えられる場を得たことで、連載は休止状態にしてしまっている(みんなが忘れたころに書いてやろうと思ってるんだけどね)。現場で書く仕事が激減した私はこの十三スポーツに競艇の未来をかけようと決めた。
ジュウスポは熱い。アホな投稿もそうだが、マジな投稿、コメントが出てくると感情的になるほどヒートアップする。みな競艇が大好きなのだ。それぞれが「どうすればいい方向に向かうか」という持論もある。それをひとつにまとめてみようというのがこの連載。だから「私の競艇改革案」として、誰もが投稿できるスタイルにした。連載回数がある程度の数になれば、コメントも含めて関係団体に読んでもらったらいい。みなさん、いま頭にあることをどんどん書いてくださいね。
第1回目の今回は私が3年3カ月前に「ビバ!競艇」というコラムで書いたものをそのまま掲載する(ドマスターなら覚えているかも)。当時とはレーススタイルやルールも変わっているので、考え方がいまと少し違うものもあるが、言わんとすることは分かってもらえるかと思い、あえてそのまま載せた。今後は各問題点について、おいおい書いていくつもりだ。
新鋭王座の取材で唐津を訪れた記者は評論家の中道善博氏と入った店で「伝説の男」に遭遇した。そこでの会話から“競艇復活”のヒントを見つけた―。
「善さん覚えてますか?北方ですよ」。元選手の向義行さんの横に座ったのは北方正孝さん。今村豊が世に出る前のこと。北方さんは全速ターンで頭角を現し、新人賞、記念タイトルを獲得、SG制覇も近いといわれた。しかし、昭和60年に蒲郡で大ケガを負い、片足を切断。選手生命が断たれた。北方さんが伝説のレーサーといわれるのはそういう理由からだ。
「北方のターンは四角ターンというてな。外からまっすぐ走って、コーナーの手前でハンドルを一発で切って直角にターンしてた。見えない位置から飛んでくるからハマりやすいんよ」。中道氏も警戒した恐怖の全速ターン。当時の小ペラではそれに挑戦することすら難しかった。
「俺らは何度練習してもできなかったのに北方は練習もせんと平気な顔で握って回ってた」と向さん。「エッジでサイドをかけてたんですよ」。北方さんは身ぶり手ぶりで説明してくれた。優れたバランス感覚がなければできない超高等技術だったのだ。
いまは誰でも握って回れる時代。モーター性能がアップし、デカペラ、モンキーターンの誕生が不可能を可能にした。内でも握って回れるから枠なり傾向が強まり個性派はどんどん姿を消した。これは売り上げ減と無関係ではない。
私が競艇を覚えた頃の1人1日の購買額は約4万円。いまは2万円にも届かず。ファンの数はそこまで急激に減っていないのに…。大口が減ったのだ。4コースが捲れば5コースが差す…そんな教科書どおりのスジ決着がいまは少ない。捲られても握り返す、道中の逆転もよくある。インから本命を買おうとしても2着を絞れない。「危なっかしくて大金なんてつぎ込めない」。これが本音だ。「競艇は1マークで決着するから面白くない」と言われた時代がいまでは逆に懐かしい…。
女子戦の売り上げだけがなぜ好調か。売り上げが良かった頃のレース体系に似ているからだ。男子顔負けのスピード戦ができるのは一握りの選手。寄せて行く捲りが多く外の差しも決まりやすい。進入も格、登番がものをいう。1Mの姿が頭に描けるから本命も穴も買いやすいというわけ。
私は新基準ペラに期待した。バランス感覚に優れた選手だけがツケマイや握り差しに行ける、ターンの難しさが個性を呼び戻すのではないかと。しかし、選手の順応力は早かった。いまでは旧基準とほとんど変わらぬレベル…。
このまま売り上げが下がり続ければどうなるか。生き残るにはどうすればいいか。女子戦、そして唐津の夜の会話にヒントが隠されていると思うのだが…。
津競艇記者席には現在休刊中の競艇ガイドブックが並べられている(鰐さん、来たら読めたのにね)。
著者は西中準さん。ご存じ、競艇マスコミを作った人だ。出走表の形式から多くの用語、広告収入のシステムに至るまで、すべてこの人が考えた。どうすれば業界が盛り上がるか、それを常に行動で示してきた。我々が職業として競艇に携わっていられるのもこの人が頑張ってくれたからである。
いま、西中先生のように行動で示す人が少なくなった。確かに批判原稿を書きにくい業界ではある。紙面縮小でスペース的な問題もあろう。それでも誰かが声を出さなければ終焉に向かうだけ…。私が「声よ届け!競艇に未来を!」という不定期連載を始めたのは、大好きな競艇が衰弱死するのを見たくなかったからだ。
ブログというさらに踏み込んで訴えられる場を得たことで、連載は休止状態にしてしまっている(みんなが忘れたころに書いてやろうと思ってるんだけどね)。現場で書く仕事が激減した私はこの十三スポーツに競艇の未来をかけようと決めた。
ジュウスポは熱い。アホな投稿もそうだが、マジな投稿、コメントが出てくると感情的になるほどヒートアップする。みな競艇が大好きなのだ。それぞれが「どうすればいい方向に向かうか」という持論もある。それをひとつにまとめてみようというのがこの連載。だから「私の競艇改革案」として、誰もが投稿できるスタイルにした。連載回数がある程度の数になれば、コメントも含めて関係団体に読んでもらったらいい。みなさん、いま頭にあることをどんどん書いてくださいね。
第1回目の今回は私が3年3カ月前に「ビバ!競艇」というコラムで書いたものをそのまま掲載する(ドマスターなら覚えているかも)。当時とはレーススタイルやルールも変わっているので、考え方がいまと少し違うものもあるが、言わんとすることは分かってもらえるかと思い、あえてそのまま載せた。今後は各問題点について、おいおい書いていくつもりだ。
新鋭王座の取材で唐津を訪れた記者は評論家の中道善博氏と入った店で「伝説の男」に遭遇した。そこでの会話から“競艇復活”のヒントを見つけた―。
「善さん覚えてますか?北方ですよ」。元選手の向義行さんの横に座ったのは北方正孝さん。今村豊が世に出る前のこと。北方さんは全速ターンで頭角を現し、新人賞、記念タイトルを獲得、SG制覇も近いといわれた。しかし、昭和60年に蒲郡で大ケガを負い、片足を切断。選手生命が断たれた。北方さんが伝説のレーサーといわれるのはそういう理由からだ。
「北方のターンは四角ターンというてな。外からまっすぐ走って、コーナーの手前でハンドルを一発で切って直角にターンしてた。見えない位置から飛んでくるからハマりやすいんよ」。中道氏も警戒した恐怖の全速ターン。当時の小ペラではそれに挑戦することすら難しかった。
「俺らは何度練習してもできなかったのに北方は練習もせんと平気な顔で握って回ってた」と向さん。「エッジでサイドをかけてたんですよ」。北方さんは身ぶり手ぶりで説明してくれた。優れたバランス感覚がなければできない超高等技術だったのだ。
いまは誰でも握って回れる時代。モーター性能がアップし、デカペラ、モンキーターンの誕生が不可能を可能にした。内でも握って回れるから枠なり傾向が強まり個性派はどんどん姿を消した。これは売り上げ減と無関係ではない。
私が競艇を覚えた頃の1人1日の購買額は約4万円。いまは2万円にも届かず。ファンの数はそこまで急激に減っていないのに…。大口が減ったのだ。4コースが捲れば5コースが差す…そんな教科書どおりのスジ決着がいまは少ない。捲られても握り返す、道中の逆転もよくある。インから本命を買おうとしても2着を絞れない。「危なっかしくて大金なんてつぎ込めない」。これが本音だ。「競艇は1マークで決着するから面白くない」と言われた時代がいまでは逆に懐かしい…。
女子戦の売り上げだけがなぜ好調か。売り上げが良かった頃のレース体系に似ているからだ。男子顔負けのスピード戦ができるのは一握りの選手。寄せて行く捲りが多く外の差しも決まりやすい。進入も格、登番がものをいう。1Mの姿が頭に描けるから本命も穴も買いやすいというわけ。
私は新基準ペラに期待した。バランス感覚に優れた選手だけがツケマイや握り差しに行ける、ターンの難しさが個性を呼び戻すのではないかと。しかし、選手の順応力は早かった。いまでは旧基準とほとんど変わらぬレベル…。
このまま売り上げが下がり続ければどうなるか。生き残るにはどうすればいいか。女子戦、そして唐津の夜の会話にヒントが隠されていると思うのだが…。
投稿する時は、「私の競艇改革案~その○~」というタイトルにすればいいんですか?
北方さん、懐かしいですね…。エッジでサイドをかける超高等技術だったんですか。
当時は何とか復帰できないのだろうかと思ってましたが、あのケガでその高等技術はできませんよね…。
管理人さんが「万幸の…」のように連載風にしてくれるらしいです。
北方さんとお会いした時は感動で涙が出ました。まだファンだった頃、尼崎の専門紙ダービーには3周レコードとして北方さんの名前がずっと載ってましたから、夢としていつか会ってみたいなと思っていたんです。それが突然、現実になったもので…。
あのターン理論を本人から身振り手振りで教えてもらったことは、一生の思い出です。
休刊中なんですよね?廃刊ではないんですよね?
いったい何軒の古本屋さんに
『スポニチから出てた「競艇ガイドブック」ってありませんか?』聞いたんだろう…。
改革案ですね!M記者に知り合う前に『3連単で大口客が減った~』という記事を読んで切り抜いて今でもとってあります。その記事がM記者と知った時はウレビックリでした(笑)それに負けない改革案を考えつくのを目標に頑張りま~す。
ビバ競艇の記事、覚えています。あれからもうそんなにたちましたか。
競艇界のこれからについて、何度もM記者さんが提言されていますが、僕もこのジュウスポ内で書かせていただければと思います。
たしか、中野次郎が優勝したときの新鋭王座だったかな?
当時はその凄さが分かっていませんでしたが、M記者
が大興奮していたのを覚えています。スロットルレバ
ーを握った状態で手をグルグル縛って、ターンの練習
をしていたんですよね。
よく覚えてましたね~。
確か気ムタクさんといえば、真夜中の駐車場でチェーンに気づかずに足を引っかけて、メガネで受け身を取ったのは、唐津でしたね。あの時かな~。