弘法大師空海さんは、幼少期にこちらの山で学問を学んだといわれるようです。
空海さんの幼少期のお名前は佐伯眞魚さん。
神童ともいわれた空海さんですが、小さな頃からよく学ばれていたのですね。
Wikipediaによれば
弘法大師空海は、15歳で桓武天皇の皇子伊予親王の家庭教師であった母方の叔父である阿刀大足について論語、孝経、史伝、文章などを学んだ。
延暦11年(792年)、18歳で京の大学寮に入った。大学での専攻は明経道で、春秋左氏伝、毛詩、尚書などを学んだ。
延暦12年(793年)、大学での勉学に飽き足らず19歳を過ぎた頃から山林での修行に入った。24歳で儒教・道教・仏教の比較思想論でもある『聾瞽指帰』を著し、俗世の教えが真実でないことを示した。
この時期より入唐までの空海の足取りは不詳。『大日経』を初めとする密教経典に出会い、中国語や梵字・悉曇などにも手を伸ばした。
と紹介されていました。
学びが大切だと今頃気づき、今からでも色々な事を学び真理の欠片でも掴みたいと思ってます。
室戸の御厨人窟にて悟りの境地に辿り着いた空海さんは凄いと尊敬しています。
俗世の教えが真実ではないなど、儒教、道教、仏教を学び、おそらく中国の四書五経を理解し、全ての根源を悟ったからこそ、直感で理解されたのでしょうね。
お大師様はこちらの山において、「いろは歌」四十七文字を創作し、児童などに教えられたと伝えられています。
いろは歌は、その歌の中にイエス・キリストのことをメッセージとして隠しているともいわれており、仏教を推進する時代において、後世に伝えたい真理を、そっと折り込んだのかもしれませんよね。
色んな宗教がありますが、真理は一つであるという事を、時代を超え、いろは歌のにのせて伝えようとしたのではないかな。。。と勝手に想像してます。
こちらにて三宝荒神様をお祀りしていましたのでお詣りさせて頂きました。
こちらの本堂ですが、火災で焼失してしまったようで、再建のご協力の看板がありました。
こちらが大師堂です。
そして、大師堂の横の本堂があった跡地は、建物のない状態でした。
早く復興できると良いですね。
本堂跡地を見渡せるところに切支丹灯籠がありました。
キリシタン信仰との関係は不詳との事ですが、信仰(神交)とは宗教の枠に拘束されず、万物の源泉である唯一絶対神への回帰の道を歩むことなのかもしれません。
いろはうた
隠れた文字に
祈り乗せ
学童育てし
永遠の未来へ
唄の心も持ち合わせていませんが、空海さんを思い詠ませて頂きました😉
仏教徒ではないですがお釈迦様の教えは素晴らしいと思っています。
どちらかといえば経典のない神道が好きで神社が大好きです。
また、坐の道や、老子様の教え、道徳教にもとても惹かれています。
聖人、偉人が残した佳きものを学び、自分の中に少しでも取り入れていきたいです。
そして、空海さんを心から尊敬していて、空海さんからも色々学びたいと思ってます💖