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お山にお宮がたちました

大好きな斎藤一人さんが仰ってました。
人は一度は叩かれると書いて命になると。

生きていると、試練だなとと思える、自分がコテンパンに叩かれるような出来事が起こりますよね。
病気だったり、突然の別れだったり、騙されたり、裏切られたり色々。

でも、何があってもその試練を乗り越えて成長して還って来ますと神様に誓って、母の産道を通ってこの世に生まれてきたのが人間だと思うんです。
神社の参道と母の産道。
産土神様に命を与えてもらって、母の力を借りて生まれてきたと私は思ってます。

だから、寿命まで生き切ることは、とてもとても大切な事だと思うんです。
生き切る事は神様との絶対的な約束であり、その与えられた命をどう生きるかはその次です。

神様から貴方に与えた命を輝かせて、色んなことを経験して少しでも魂を磨いて来なさいと言われている気がしています。

命は、誰かが生きたくても生きられない命かもしれないから、生きていられるなら、実はそれだけでも有難い事で、自分の命は大切にしないといけないなと心の底から思います。

病気の時、苦し過ぎる肉体を手放したいと正直思いましたが、最悪とも思える苦しみはずっとは続かない事も今となってはわかります。ただの経験なのです。
そして、悶えるような苦しみ悲しみは、人の痛みを理解するための訓練でもあります。

ずっと試練だと思える境遇にいる人がいるかもしれないけど、それでも一度は叩かれる試練を長めに設定して来た強い魂の持ち主だと思うんです。

今を幸せにふわふわと生きている私は、偉そうな事は言えないけど、今が悲しい人、苦しい人、辛い人、どうか命を大切にしてほしいなと思います。
こんな事は耐えられないと思ったら、命だけを守ってその場から逃げても良いから命は守って欲しいのです。

生き切ることは神様との絶対的な約束です。
神様が全ての人の心にいる事に気付いて、自分にもいる神様を大切に、神様が喜ぶ生き方をしていく事が、命を与えてくださった神様への恩返しかもしれませんね。





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