おおたかの森と流山カナル物語

流山に住む主婦&薬剤師lalaの気紛れな日記
実は「福の神」らしいので、ゆったりまったり、周りを幸せにしていきます

良かったこと

2011-10-09 22:56:42 | 私のこと
突然の長いメイルが来ました

「腎臓移植を受けました」

え゛~!とびっくり☆
メイルの主は13年間人工透析を受けていた男子同級生
8月に納涼飲み会で会った人です

メイルによると、その飲み会の4日後の真夜中に移植手術を受けたようです

「午前1時半に移植コーディネーターから連絡を受け、午前3時に入院
諸々の検査の後に7時から5時間の手術でした。
前日に都内でドナー希望の方が亡くなられ、
移植適合順で腎移植が受けられました」

その後、一ヶ月入院し、先月末に退院したそうです

「これで透析からの時間的制約、水分量制限など無くなるので
何時でも旅行楽しめるし通常の生活がおくれます」
と文章が弾んでいて、彼の喜んでいる姿が浮かんでくるよう

うん、うん、そうか、そうか。
良かった、良かった
ホントに良かった

なんか、メイル読みながら泣けてきちゃいました


彼は出来た男で、同級生のまとめ役
みんなから信頼されている男子で、仕事も良く出来て
卒業後もみんなに声をかけ、飲み会や同期会をまとめてくれていました

私は同じクラスになったことが無く、在学中は話したことが無かったので
卒業後も彼の仲間とは縁が無かったけど
結婚後平塚から柏に転居してから、私も声をかけられるようになり
年に2度ほどの宴会に呼ばれるようになって
その男子とも話をするようになったんですよね

彼は大手企業に勤務、当時は華やかな世界で飛ぶ鳥を落とすような勢い
久しぶりに会った時
「今度は個室を与えられたから、直接電話くれても大丈夫だよ」
なんてみんなに言うもんだから
「え゛~!40代なのにすごいィ~~~」と
同級生の出世振りに驚くと同時に
改めてリスペクトしちゃってたんですよね

ところがそれから何日かしたら、その彼と連絡が取れなくなっちゃって
みんなで心配していたら、入院したという噂が流れてきて
それからしばらくして透析を始めたと聞き、びっくりしたのです

透析は1回4時間、それを週3回通わなければいけないそうで
結局、仕事はセーブしなければならず
週3回、早退をして通う生活になってしまったんですよね

それからは当たり前だけど、仕事のメインからはずれ
辛い人生だったんだと思います
「どうして僕だけこんな目に…」
なんて言ってたという話を聞いたこともありました

才能も人望もあった人だから、そう思うのは当然ですよね

「あいつは、この病気さえなければ社長にだってなれた人間だよ」
って他の男子同級生が言ってるのを聞いたこともありました

そうだよね、ホントに悔しいよね
と彼の不運を恨みました

でも同級生と会ってる時は変わらない男子で
透析を続けながらも、まとめ役を引き受けてくれて
私たちはおんぶに抱っこで参加していたんですよね

その後、世の中の変化の中で彼の会社は業績が悪化
もし彼が社長になってたら違ってかも、と思うこともありました

そして昨年夏、彼は早期退職
他の同級生達がまだまだ活躍している中、リタイアを決めて
新しい人生を始めたばかりだったんです

今思えば、退職して移植を待てたから、良かったかもしれませんね


移植を受けたとはいえ
もちろん、完璧な普通人になるわけじゃないと思うけど
透析の束縛から解放されただけでも幸せなことですよね

人生はまだまだこれから
今まで我慢していたことを少しずつ始めて
残りの人生を有意義に過ぎしていけばいいよね

ということで、今日はホントに嬉しくて嬉しくて
ニコニコになってしまいました


N君、おめでとう☆
これからもよろしく、一緒に遊ぼうね
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今夜のメニュー

2011-10-09 22:46:26 | お料理
お鍋の残りのスープを使って、お鍋

今日は同級生の男子にいいことがあったので
「良かった、良かった、ホントに良かった」って言いながら食べてたら
夫が「何が良かったんだ」というから
今まで男子同級生の話なんてしたこと無かったんだけど
あまりに嬉しかったから、事細かに話してあげて
今日はその話題で食事中は大盛り上がりでした(笑)

お腹も心も、美味しいご飯になりました
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

凄い人の数

2011-10-09 17:06:58 | 携帯から
おおたかの森はマラソンだったのね
ショッピングセンターは大にぎわいでした

一方柏の葉はピノキオプロジェクト
こちらも凄い人の数です
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「出来たよ!」の意味

2011-10-09 12:47:49 | 教育・保育

今朝の日能研の広告
大人と子どもの「できた!」の違いが書いてありました

ん~、なるほどォ
と20年近く前の長男のことを思い出しました

長男が小学5、6年生の時、市進柏校に通っていたのですが
定期テストが終わった後で「どうだった?出来た?」って聞くと、
いつも元気いっぱいの声で「出来た!」と言うので
そのたび「やった~!」と喜ぶのですが
実際、結果が出ると全然出来てなくて
「何処が出来たの?」と聞いても「???」と変な顔されて
長男の「出来た!」と私の「出来た!」の差をいつも埋めることが出来ず
(まあ、今も埋めることが出来ない出来事が多々ありますが
腹立たしく思うこともしばしばだったんですよね

でもこの広告を読んで、確かに長男なりに一生懸命考えて
何かを書いていたんだと思いました
それは白紙の無回答より価値があったんでしょうね

その行き着く先が正解ではなくても
一生懸命考えた、ということを褒めなくちゃいけなかったのかなぁ

ははは、でもこの歳になったら理解できるけど
30代、40代のうちはすぐに熱くなっちゃうから無理だったかな(笑)


うちの長男、入塾テストは運良く出来が良かったのか
3クラスあるうちの一番上のクラスに入れていただいたのですが
とにかく勉強することが嫌いだから成績が良くなくてねェ…

市進は一ヶ月か数ヶ月に一度、全国にある市進の一斉テストがあって
国語、算数、理科、社会のそれぞれの教科と
全4教科、国語・数学2教科の上位100位位までが名前を発表されるのですが
当時の柏校は優秀な子が揃っていて
10数名いた男子の10名近くが100位以内の常連で
全校で数千人位の塾生がいたと思うけど毎回柏校の名前が
上位陣を占めて、とんでもなくレベルの高いクラスだったんですよね

そんな中でうちの長男は全然勉強が好きじゃないから
なかなか名前なんて載らなくて
クラスの底辺をさまようくらいの成績で

でもだからと言って塾が楽しくないかというと、そうではなくて
授業も楽しかったようですが、授業が始まる前や授業の合間の
ほんの10分、20分をみんなで遊ぶのがとても楽しかったらしく
病気以外は休むことなく楽しく通っていたんですよね

当時の柏周辺には大手の中学受験塾が少なく
松戸にSAPIX、日能研があるだけで、
柏では市進が一番大きく、あとは個人塾が主流

その個人塾も丹羽塾、杉田塾という
開成や桜蔭に大量に合格させる塾もあったりして
とにかく柏周辺は中学受験生のレベルが高くて
底辺をさまよう子の親としては、アップアップという感じだったんですよね

結局クラスの底辺では、充分に目をかけてもらえないんじゃないかと思い
小6の途中から市進江戸川台校に転校させてもらい
少人数の中で指導してもらうことにして、
なんとか本番の受験では合格をいただいたけど

受験終了後、柏校で仲良くなった江戸川台のお友達のお母さんから話を聞いたら
柏校にいた男子11人のうち9人も開成に受かったそうで
『やっぱりねぇ』と納得しちゃいましたよ
この合格者数は全国の市進の塾の中でトップだったそうです
もちろん、その方のお子さんも開成に合格したんですけどね(笑)

しかし、すごいねぇ、あの子達は今、何してるんでしょうねぇ

その後、柏地域のレベルが高いとわかったのか
日能研、四谷大塚、駿台、代ゼミなどがどんどん進出してきて
有名個人塾はすっかり廃れ、
市進もたくさんの中の、一つの塾になっちゃったようですが
今はどんな風なんでしょうかねぇ

長男の塾選びで、市進にした理由は
「晩御飯を親子一緒に食べられる」でしたね

松戸の日能研も見学に行ったけど
授業は21時近くまであって、途中でお弁当を食べるという形式で
一方市進は4:50~6:50の授業だったから
柏校でも家に7時半までには帰ってこれたから
塾のある日も家で晩御飯を食べて、お風呂に入って
ちょっと勉強しても、10時には床に就くという生活が出来ました

塾によっては夜の12時まで勉強しなくちゃいけない程
宿題がある所もあったみたいだけど
うちは健全な肉体と精神は「良い睡眠から」という考えだったので
しっかり睡眠をとって、それで合格できる所に入ればいい
って考えで塾を選んだんですけどね

でも受験間際になると、それはそれで色んな葛藤があって
理想と現実のギャップを思い知らされるような大変な苦労がありましたよね
いつの時代でも受験というのは大変なものです

まあ、今思うと本当に貴重な体験で、いい思い出だったかな
お陰で色々な先生達に出会い、色々な友人が出来
それは今も続いていますからね


次男も同じ市進で柏校まで通っていたのですが、ある時塾から帰ってきて
「野田線に乗ってたら、知らないおじさんが話しかけてきて
『塾の帰り?おじさんの子も中学受験したんだよ。頑張ってね
って言われた」と言うので
「へぇ、面白いおじさんね」と笑いながら答えたのですが

子供たちが社会人になった今、時々遅い時間に野田線に乗って
いかにも塾帰りの小学生を見かけると
ついつい『受験、頑張ってね』と声をかけたくなる自分がいて(笑)
『あ~、あの時の、次男に声をかけたおじさんみたいね』
と思っていたのですが

ある時、夫が柏経由の野田線で帰ってきた時のこと

「野田線で隣に塾帰りの小学生が座ったから
『おじさんの子も中学受験したんだよ、頑張ってね
って思わず声かけちゃったよ」というから大笑い
夫も自分の子供たちの姿と重ね合わせちゃったんですね

そんなこんなを思い出した日能研の広告でした

中学受験の小学生の皆さん、親御さん
がんばってくださいね
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする