最近は、学校で自殺事案や凶悪被害事件、いじめ事案などが発生すると、直ぐに教育委員会などは、スクールカウンセラーを派遣しましたと言うことで幕引きを図ろうとする。しかし、本当にスクールカウンセラーが役に立っているのだろうか。問題を本質的に解決出来たというケースがあるのだろうか、と疑問を持っている。フロイトやユングで有名な心理学は、実験心理学、行動心理学、認知心理学などと発展してきたが、でも、それで本当に人の行動習性や欲望という物を変容させ得るのかという点で疑問があるし、自ら相談に行くような意識のある程度高い人しか対象にしていないのではないか、それに、いじめ問題や虐待問題なのど背景には、加害者・被害者の家庭環境や社会構造、その学校内での社会構造といったものが問題なのではないかと思う。勿論、カウンセリングそのものの効果に対する疑問もある。私は、むしろ、スクールカウンセラーよりも、スクールソーシャルワーカーといった学校や保護者の置かれた社会的環境に働きかけることの出来る専門家が必要でなかろうかと考えている。
医療少年院などでの矯正教育にも疑問がある。茨城県境町で発生した一家殺傷事件では、容疑者とされる男は、約十年前にも事件を起こして医療少年院に送致された経歴の持ち主であるという。そうであるなら、医療少年院での矯正教育や、退所後の同人の行動把握に問題があったことになる。一部の弁護士の中には、刑の執行を終わった者にも人権を認めるべきで、もし、その者の行為で被害に遭うことがあれば、そこは、被害者支援で対応すべきだという暴論を述べる者もいるが、これは、根本的に誤っていると思う。矯正教育も確かに、一定の効果があると認めても、必ずしも、全ての者に対して効果があると言い切れないのではなかろうか。サカキバラ事件のように、今回の容疑者のように、殺人嗜好という病的な性向のある者も何百万人の中には一定数存在するのではなかろうか。そういった性向のある者の監視もいけないというのだろうか。それでは、極論すれば、オウム真理教は何故今も監視対象となっているのか。それが、団体であれ、個人であれ、公共の利益に大きな損害を与える可能性があるのであれば、同一であるべきだと思う。(もっとも、中国共産党や将軍様の国のようなファシズム的な監視社会は論外であるが)