若い頃、友人がガンらしいという話に、みなショックをうけた。
深刻な問題だった。
おろおろとして、どうしていいのか判断できなかった。
が、今はどうだろう。
ガンより「あのひとちょっとおかしい」といううわさのほうがずっと深刻で、ショックな話に変った。
年をとればどっちか必ず覚悟しないといけないのなら、ガンがいいというほうがおおい。
私だって、ガンより自分のもの忘れがどんどん増えていくほうがこわい。
ガンの人と、アルツハイマーのひとを見比べている現在、本気度は若い頃と格段にちがう。
陽気で、親切で、よく気の付く友人に電話をしたらハイ、ハイとしかこたえない。
それ、ダメだ。うっそー、ショック。
といったような会話を最近もかわした。
80歳。こここそ人生最後のウンの分かれ道である。
ガンも認知症も同じく人を選ばずにおそってくる災難である。
それは、予防だの、生活改善だの言ってみても、所詮は気休めだ。
おそわれれば、イチコロ。
深刻な問題だった。
おろおろとして、どうしていいのか判断できなかった。
が、今はどうだろう。
ガンより「あのひとちょっとおかしい」といううわさのほうがずっと深刻で、ショックな話に変った。
年をとればどっちか必ず覚悟しないといけないのなら、ガンがいいというほうがおおい。
私だって、ガンより自分のもの忘れがどんどん増えていくほうがこわい。
ガンの人と、アルツハイマーのひとを見比べている現在、本気度は若い頃と格段にちがう。
陽気で、親切で、よく気の付く友人に電話をしたらハイ、ハイとしかこたえない。
それ、ダメだ。うっそー、ショック。
といったような会話を最近もかわした。
80歳。こここそ人生最後のウンの分かれ道である。
ガンも認知症も同じく人を選ばずにおそってくる災難である。
それは、予防だの、生活改善だの言ってみても、所詮は気休めだ。
おそわれれば、イチコロ。