狐の日記帳

倉敷美観地区内の陶芸店の店員が店内の生け花の写真をUpしたりしなかったりするブログ

子供たちに手を振り上げてはならない。腹部が無防備になる。

2019年04月07日 23時49分12秒 | 職場に関する日記





 本日4月7日は、「ローマ法大全」の「旧勅法彙纂」が公布された日で、平忠盛が平氏の武士では初めて内昇殿を許された日で、足利義満が京都室町に造営した室町殿に幕府を移転した日で、フランスが長さの単位としてメートルを導入した日で、明治政府が五榜の掲示の高札を設置した日で、戦艦大和が沖縄への特攻作戦の途上で撃沈された日で、鈴木貫太郎内閣が発足した日で、ユーゴスラビアが国名を「ユーゴスラヴィア社会主義連邦共和国」に改称してチトーが終身大統領に就任した日で、名古屋で開かれた世界卓球選手権に中華人民共和国チームが初参加してピンポン外交が始まった日で、セントラル・リーグ開幕戦当日に一旦阪神に入団した江川卓の巨人への移籍が発表された日で、イランアメリカ大使館人質事件によりアメリカがイランとの国交を断絶して経済制裁を発動した日で、イラクで日本人3人が身柄を拘束された日です。

 本日の倉敷は晴れのち曇りでありましたよ。
 最高気温は二十二度。最低気温は八度でありました。
 明日は予報では倉敷は晴れとなっております。



 本日は私は接客の合間に事務処理をしていました。
 住所録をチェックし修正をしてDMの宛名書きをせっせとしていました。
 否。宛名書きをしていたのはプリンター様なのです。
 私はプリンター様のお世話をせっせとしておりました。
 私が使っているプリンター様は長老なのですぐにおむずかりになります。
 なので絶えずプリンター様をあやしておりました。

 何とか作業は今日中に終了。
 明日は私は通常業務に戻ります。
 お仕事頑張ります。



 
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『天獄と地国』/小林泰三

2019年04月07日 20時20分25秒 | 小説・本に関する日記



 昨日の夜は、小林泰三の小説『天獄と地国』を読み返していました。

 舞台は、天上が地面で足下に星空が広がる世界。
 資源がほとんどない過酷な環境な為、人類は滅びつつある。 
 世界の果てに別天地があると信じた主人公は、楽園を夢見て世界の果てを目指す……。

 SFです。


 
 物理法則は私達の世界と同じ。
 でも私達の常識は非常識あるいは夢物語とされる世界。
 そんな世界で世界の謎を謎と捉え謎を解き明かそうとする人の物語。
 なのですが、ほぼ全編ハイパーテクノロジーの巨大マシーンの戦闘シーンで占められている冒険活劇物語といえます。
 重力が逆転していて星空に物が落下していく真空世界のサバイバル。

 面白いですよ。
 お勧めであります。


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その道の専門家は、話題にできそうな最大ミスのいくつかを知っていて、その回避方法も知っている人のことなのだ。

2019年04月07日 10時49分53秒 | その他の日記






 家計についての理論と巨大経済を扱う理論は全く違う。
 庶民として生きる知恵や感覚と国家の財政を扱う理論は全く違う。
 ミクロ経済学とマクロ経済学はそれぞれに専門家がいて全く別のものを研究している。
 片方で正解と思えるようなことがもう片方では完全な間違いな場合がある。

 庶民感覚を加えることで気が付くことはあるかもしれない。
 しかし、庶民感覚しかない人物が政治の世界で巨大経済を扱い国家の財政を扱う場合は新たに超大量の専門分野を学び直す必要があるはず。
 そうでなければ巨大経済を扱うことや国家の財政を扱うことは出来ない。
 無理解なまま無理矢理に家計の理論を巨大経済や国家の財政に当てはめれば、大勢の人に不幸をもたらす可能性がある。
 単にど素人が巨大経済や国家の財政に関わり口を出すことになる。
 そうなれば混乱を生み破たんを招く可能性が高くなる。

 そして、巨大経済を論ずる場合や国家の財政を論ずる場合でも、専門分野によって答えはまるで違う。
 様々な理論が存在し、本来ならば様々な理論が学問の場で論争が起こるだけでなく、政治の場でも「何を実践すべきか?」という議論の場で様々な理論が論じられてしかるべきはず。

 しかし、現在の日本は「庶民感覚で」という言葉が強い。
 専門的な知識は問われず馬鹿に専門的な仕事を任せて平気とする、そんな言葉が異様に強い。

 私は、プロに任す仕事は出来れば超一流のプロに任せたい、と思っているのだけれども、世間様はどうも違うみたい。
 政治を庶民感覚しか持っていない人に任せたら多くの人が酷い目に遭う可能性が高い、と思うのだけれども、世間様はどうも違うみたい。
 庶民感覚というものはそんなに大事なものなのだろうか?
 プロは必要ないのだろうか?
 きちんと学んだ者を評価しないという状況を許しておいてよいのだろうか?
 まともに資料を読み込めない者が政治の場で好き勝手するという状況を許しておいてよいのだろうか?
 他者とまともに交渉が出来ない対話ができない者が政治の場で好き勝手するという状況を許しておいてよいのだろうか?

 勿論、現実は複雑なシステムで動いているので机上の計算通りにはいかない。
 しかし、理論を知っている者と知らない者とでは雲泥の差が出てしまう。
 全くのど素人が庶民感覚とやらで国家の財政に関わってよいのだろうか?

 疑問に思っているところなのでございます。





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