きのう興味深い美術展に行きましたがそれはまた後日。
私が初めて油絵をかいた時から指導してくださった先生の
プロの画家ですが、グループ展が一年に一度あるのですね。
それも拝見しに行ったのです。
わたしが教えていただいて30年近くになります。
2年ほど前、病気と年齢で自宅療養なさって、
教えていただいていた教室も閉鎖になりました。
今年は几帳面な先生なのにお年賀状もいただけずお加減が・・と案じていたのです。
一年に一度の展覧会
できたら先生にお会いできるかと当時の教え子の方と
雪の降りしきる中を出かけたわけです。
会場には最近の先生の馬の絵でなく、懐かしい「開田高原」の絵がありました。
そして小さな黒いリボン!!!・・・みなことばもありませんでした。
こころの鎮まるまでほかの画家さんの絵も見て。
居合わせてらしたお仲間から、お話を伺いました。
先日、2月6日旅立たれて8日が式。
身内だけで、この絵の仲間6人だけ参列する簡素なものに・・
という先生の遺志であったとか。
先生らしい~実直で。
短気で気性の激しいと自分のことを本人はいわれるけれど
周りからは温厚なもの静かな、とてもそれを感じなかったんですよ。
知覧の特攻隊の生き残りということで生きることに意味をなくして、
2年ほど山で呆けていたとか。父親の一括で目が覚めたとか・・
今日初めてうかがうお話もありました。
<私が先生の指導で初めて描いた油絵30年前、>
<先生のお描きになったみっちゃんの肖像画>
みんなのためにモデルになったとき、こっそりと先生が描いてくださった!
後日うけっとって感激した。。
先生は絶対というくらい生徒に絵を売られなかった!
皆が先生の絵がほしいのにお断りになる。
わたしがモデルをしてるとき、私のスケッチブックに残っていた
<先生のクロッキー>
<そして下手な私の先生がポーズなさったときのクロッキ~>
人と人の出会いと別れはいろんなことをもたらします。
先生は素人は素人の絵の描き方がある。
楽しむことが大事といい、慣れてくるとほとんど指導をなさらず
「ああきれいですね。いいですよ。」
だった。
自由の好きにかいて、
自分で精進しなさいということだったんだと、いまさらながら思うのです。
絵は好きにかきたいように描く事
と教えてくださった先生です。
光風会の重鎮石黒源義先生です。
ありがとうございました。