HOTなおちゃタイム

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1945年5月14日は名古屋城炎上それは誤爆だった!映画「パリよ、永遠に」を見て

2015-05-15 13:39:34 | 名古屋物語

昨日は1945年5月14日。焼夷弾で名古屋城の燃えた日です。

 

尾張名古屋は城で持つといわれる名城

熊本城・姫路城と三大名城といわれ国宝指定第1号でした。

徳川家康の命で、徳川の威信をかけた、天下普請といわれ、西国の大名が競ってこのお城を作りました。

1928年、毎日新聞社の写真です

今でも加藤清正が築いたといわれる巨石の石垣とそれぞれの藩の家紋の見られる石垣など、奇跡的の疎開されていたものなどがあります

昨日、地元の番組でいろいろ報じられていました。

それによると当時飛行機の生産60%が名古屋でされていた

ですからそれをたたく意味で大小あわせりて60回の爆撃があったとか

お城のすぐ東名古屋ドームのあたりに工場群があり、徹底的に爆撃されたのです。

まだ近年までも不発弾が発見されたばかりです

でも名古屋城は、戦後賠償の価値があり爆撃目標からはずされていたのです

その爆撃計画と報告書も、お城のあたり、マ真っ白な地図がテレビに出ていました。

今ではいくらお金をかけても、もう復元できないものもあり

ほんとにほんとに残念です。

当時戦災にあった城の近所に住んでいた人が当日のことを語りました。

「今日はもうあかん」と父がいい、焼夷弾が落ちまくった。

お城のお堀の中に飛び込んだ。

しばらくしたらお城が燃え出し、

あたりが見えないくらい真っ黒な煙に取り囲まれ

お城が燃えていた・・・と

大半の豪華な城は焼け落ちました

報告書によると。

誤爆だそうです

少しまえこの映画を見ました。

 

『パリよ、永遠に』劇場予告編

https://youtu.be/RUaEqxNiHhM

 

「パリよ、永遠に」

ヒットラーの命により破壊されようとしたパリを救った人々の出来事です

ヒトラーは祖国が徹底的に破壊尽くされた報復に、パリの破壊を命じたのです

何とかパリをすくいたいと願う人々の虚虚実実。

パリを破壊しないと自分の命、家族を犠牲にしなくてはならない司令官

 

すばらしい人々のおかげでパリは残ったのです。

この映画を見て、

そのころ、日本では知覧からなどの特攻隊など有、能な若い人が死んでいったのがやり切れません

(熊本鹿児島旅行記。知覧のことを描きますね)

原爆も落ちました。

いろんなことを感じます。

ただ言えるのは戦争は人を殺すだけでなく、取り返しのつかない文化の破壊ももたらすということです

何とか世界が平和であるように、そのほうにあゆみ続けてほしいですが・・

そうねえ

世界の人間がみな同じ思いだといいけれどねえ

 

読んでくださってありがとう

 

コメント
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