鳴り物入りで日本ハムに入団した中田翔選手。
今年はプロの洗礼を受けた感があるが、持っている存在能力は計り知れないものがある。
来期以降に必ず、プロ野球界で名を残す活躍が待っている。
ナゼなら、彼には怖い鬼コーチの存在があるから…
その名は…小柳広士氏。彼の全てを理解し、幼少期から見守ってきた。
小柳氏は現在、広島鯉城シニアの監督をしている。
これまで、多くの子供たちを指導してきた。
それも親以上の愛情を持って…
私は直接指導現場を見てきたわけでないが、小柳氏の人となりを見てきてそう感じる。
小柳氏との出会いは約20年前である。
あれは、私がまだ22歳くらいの時であった。
広島市西区に横川町と言う場所がある。
そこでひとり暮らしの女性が亡くなり、小柳氏のお父さんが面倒をみられていた。
初めて会った、小柳氏のお父さんは見るからに その風貌は怖ーいおじさんであった。
内心…「やばい所にあたった…」と、観念した。
葬儀の打ち合わせでも、こうせい(こうしろ)…ああしろ(そうしたら)…と、広島弁と九州弁を使いながら注文してくる。
恐ろしいのが先に立つ、私はとにかく「ハイ」の連続で無事仕事を終えた。
葬儀の終わった次の日、集金に来いとの電話…
場所を聞くと 市内中区の西平塚町…ここは仁義なき戦いの小説で盛んに地名が出てくる場所である…
やば~…事務所だったらどうしよう…と、地図を片手に指定された時間に行くと
その場所は、直ちゃんと言う居酒屋である。
「あのおっちゃん嘘ついたんじゃ…やられた…」と、思ったら、
なかから 「アンちゃん…ここじゃ…入りんさい…」と、人懐こい笑顔で迎えてくれた。
それからは店に寄ったり、葬儀をたくさん紹介してもらったり、本当にお世話になった。
多くの人が相談に訪れ、世話好きであり、料理も上手。おまけに保険のことは本当に詳しかった。
そんなお父さんが平成14年9月23日に69歳で亡くなり、最後のラストステージは、広島市唯一の国宝寺院の不動院で600名の人が参列された。
その時、喪主を務めたのが長男の広士氏。参列者のなかに当時中学生だった中田翔選手もいた。
お父さんの性格の良さを引き継いだ広士も、会社経営(建設関係)をしながらPTAの世話に野球やソフトボールの指導と、地域社会に貢献している。
その小柳氏を慕う中田翔選手だから、帰省しているこの広島では、常に監視されているだろうし、多くの社会人としても助言も受けているだろう。
最終的には自分との戦いになるだろうが、良き師匠を持っているのだから、その声をよく聞き、謙虚に頑張ってほしいと思う。
礼儀作法や道徳の指導にかけては、学校の先生よりも素晴らしい指導力を発揮する小柳氏だけに、中田翔選手のグランド外のマスコミ報道を間に受けないでほしい。
彼はそれだけの逸材だけに、しばらくはマスコミに追われ続ける存在…
それに耐えるだけの度胸は一級品。
あとはグランドでの結果だけである。
広島が生んだ怪物のこれからに大いに期待したいものである。
今年はプロの洗礼を受けた感があるが、持っている存在能力は計り知れないものがある。
来期以降に必ず、プロ野球界で名を残す活躍が待っている。
ナゼなら、彼には怖い鬼コーチの存在があるから…
その名は…小柳広士氏。彼の全てを理解し、幼少期から見守ってきた。
小柳氏は現在、広島鯉城シニアの監督をしている。
これまで、多くの子供たちを指導してきた。
それも親以上の愛情を持って…
私は直接指導現場を見てきたわけでないが、小柳氏の人となりを見てきてそう感じる。
小柳氏との出会いは約20年前である。
あれは、私がまだ22歳くらいの時であった。
広島市西区に横川町と言う場所がある。
そこでひとり暮らしの女性が亡くなり、小柳氏のお父さんが面倒をみられていた。
初めて会った、小柳氏のお父さんは見るからに その風貌は怖ーいおじさんであった。
内心…「やばい所にあたった…」と、観念した。
葬儀の打ち合わせでも、こうせい(こうしろ)…ああしろ(そうしたら)…と、広島弁と九州弁を使いながら注文してくる。
恐ろしいのが先に立つ、私はとにかく「ハイ」の連続で無事仕事を終えた。
葬儀の終わった次の日、集金に来いとの電話…
場所を聞くと 市内中区の西平塚町…ここは仁義なき戦いの小説で盛んに地名が出てくる場所である…
やば~…事務所だったらどうしよう…と、地図を片手に指定された時間に行くと
その場所は、直ちゃんと言う居酒屋である。
「あのおっちゃん嘘ついたんじゃ…やられた…」と、思ったら、
なかから 「アンちゃん…ここじゃ…入りんさい…」と、人懐こい笑顔で迎えてくれた。
それからは店に寄ったり、葬儀をたくさん紹介してもらったり、本当にお世話になった。
多くの人が相談に訪れ、世話好きであり、料理も上手。おまけに保険のことは本当に詳しかった。
そんなお父さんが平成14年9月23日に69歳で亡くなり、最後のラストステージは、広島市唯一の国宝寺院の不動院で600名の人が参列された。
その時、喪主を務めたのが長男の広士氏。参列者のなかに当時中学生だった中田翔選手もいた。
お父さんの性格の良さを引き継いだ広士も、会社経営(建設関係)をしながらPTAの世話に野球やソフトボールの指導と、地域社会に貢献している。
その小柳氏を慕う中田翔選手だから、帰省しているこの広島では、常に監視されているだろうし、多くの社会人としても助言も受けているだろう。
最終的には自分との戦いになるだろうが、良き師匠を持っているのだから、その声をよく聞き、謙虚に頑張ってほしいと思う。
礼儀作法や道徳の指導にかけては、学校の先生よりも素晴らしい指導力を発揮する小柳氏だけに、中田翔選手のグランド外のマスコミ報道を間に受けないでほしい。
彼はそれだけの逸材だけに、しばらくはマスコミに追われ続ける存在…
それに耐えるだけの度胸は一級品。
あとはグランドでの結果だけである。
広島が生んだ怪物のこれからに大いに期待したいものである。