ぶきっちょハンドメイド 改 セキララ造影CT

ほぼ毎週、主に大人の童話を書いています。それは私にとってストリップよりストリップ。そして造影剤の排出にも似ています。

楽園ーFの物語・バックヤードー再会

2021-04-09 21:30:06 | 大人の童話
それから数ヶ月後、 フィリアの耳に、船の話が入って来た。
 停泊していても、船員が数人、船に留まっているというのだ。
 フィリアはナイフを握ったまま、その場に座り込んだ。
 マゼラは気付かぬふりをして、調理を続けた。
 それからフィリアは、その船が停泊している時に、港近くの用事を頼まれることが多くなった。
 フィリアはその度に目を凝らし、耳を澄ましたが、何も感じ取れなかった。
 ただ、未だに船員が船に残っていると言う噂にすがり付くように、二年近い歳月が流れた。
 そして又、フィリアが何も見聞き出来ずに帰った時、マゼラが唐突に言った。
「アムラントの話を知っているか?」
「知りません。どんな話なんですか?」
「遠い国の神話でね。昔、アムラントという男の子がいた。あまりに美しかったので、黄泉の女王に連れ去られてしまったんだ。アムラントの母親は悲しみのあまり、死後の世界に行ってしまう。そこは美しく、光溢れる場所で、皆穏やかに過ごしていたんだ。そして女王に大切にされ、一際輝いているアムラントに出会う。アムラントは、ここでの暮らしは満ち足りているから安心するようにと言って、地上に母を送り届けるんだ」
 フィリアは驚いてマゼラを見た。
 マゼラは気付いていたのだ。
「俺は本が好きなんだ。色んな話を知っている」
 マゼラはそう言って、横を向いた。
 その四ヶ月後、港近くの魚屋に行く途中で、フィリアは子供の笑い声を聞いた。
周りを見ても子供はいない。
間違いない。
あの船の上からだ。
フィリアは目を皿のようにして見つめた。
 けれど人の姿は見えない。
 陸からは物陰になる場所で、遊んでいるに違いなかった。
 フレイアはあそこにいる。
 サンタビリアとマゼラが言った通りだ。
 安全な場所で、大切にされ、幸福に、守られている。
 この手では出来ないことだった。
 こうしてフレイアの無事を確かめられる。
 それだけで幸せだ。
 涙が出るのは幸せだからだ。
 そして海が光るからだと、フィリア自分に言い聞かせた。

それから二年、アダタイ国は三つに分かれた。
 王の崩御をきっかけに、王子達の不仲が形になったのだ。
 もう、人質も身代わりも不要だ。
 他の事情で何が起こるか分からないが、一先ず安心だ。
 そして、この事情に気付いているならひょっとして。
 フィリアの予想は当たった。

 二月後、フィリアは店の掃除をしていた。
 地道に教えてくれたマゼラのお陰で、簡単な料理なら、もう任せてもらっている。
 掃除までする必要は無いと、店主もマゼラも言ってくれるが、感謝の気持ちだ。
 最後の卓を拭いていた時、開け放した扉から、マゼラが飛び込んで来た。
「ハミさん!すぐに出て!左に行って先の角を左だ!」
「はい?」
 フィリアが無意識に首を傾げた。
「スカーフをしっかり被り直して、急いで、でも、何気ないふりをして」
 フィリアは目を見開いた。
「はいっ。有難うございます!」
 言うより早く、道に飛び出す。
 角を曲がると同時に、足を緩めた。
 目に入ったのは、四人の男と子供の姿だった。
 真っ赤な巻き毛を三つ編みにし、肩車されて蛸の顔真似をしている。
 肩車しているのは、あの船長だった。
 前の男は、後ろ向きで歩いている。
 横の男達は、愉しげに笑っている。
 にらめっこをしているらしい。
 子供が堪えきれずに吹き出した。
 大笑いをして体を反らし、限度を越えて逆さになる。
 間違いない。
 記憶の中にある、妹の顔とそっくりだ。
 それにあの、見事な赤毛。
 擦れ違う時に、もう一度顔を見る。
 間違いない。
 子供は、横の男に抱き取られ、今度は尻取りを始めた。
 目をくりくりさせながら、元気に繋げる。
子供を抱いている男は、子供の巻き毛が頬に触り、くすぐったそうだ。
 皆上機嫌で、のんびりと歩いている。
 太陽のようなその子は『ルー』、時々『ルージュサン』と呼ばれていた。
 フィリアは気力を振り絞り、そのまま通り過ぎた。

 その後は、船に船員が留まることはなくなった。
 フィリアはその船が入ったと聞く度に、胸を高鳴らせて街中を歩き回った。
 そしてある日、フィリアが働く食堂に、一行が入って来た。
フィリアは思わず、仕切りの陰に身を隠した。
 体がカタカタと震えている。
 店主が注文を取り、マゼラがいくつかの料理をフィリアに振った。
 フィリアは深く息を吸い、長く息を吐いた。
 それでも、手の震えが止まらない。
 腹から温かい光が、沸き上がるようだ。
 果物の皮を剥きながら、フィリアは幸福に包まれていた。