(エリートは、天下国家のために身を投げ出さなければならないもの)
政治は「言葉」で行うものだろうとは思うのですが、「立候補する前に。もう少し候補者の“選り分け”ができないものかな」と感じます。
愛知県7区選出の衆議院議員・山尾志桜里氏(東大法学部出身)は不倫疑惑で民進党を離党した。ほかにも、東大法学部出身で、情けない人が出ています。衆議院議員・豊田真由子氏は秘書への暴言・暴行問題で自民党を離党した。
そんなことであってはいけないのです。国会議員は天下国家のために身を投げ出さなくてはならない立場です。したがって、その立場を利用し、「うまい汁を吸おう」とか、「威張ろう」とか、そういうことを考えては駄目です。そういう人は弾かなくてはいけません。そういう人はエリートではないのです。
日本のエリート感覚は間違っているのではないかと思います。勉強し、いろいろな競争で勝ち上がり、エリートになったのかもしれませんが、「あとは、人々からご褒美をもらい、ほめてもらうだけの人生が待っている」と思っているのなら、それは大間違いです。
人の上に立つエリートとして選ばれたのなら、それだけの責任を背負わなくてはいけません。高貴なる義務を果たさなければなりません。また、自分に対して厳しくなくてはいけません。人の上に立つ人ほど、自分に対して厳しくなくてはいけないのです。
(エリートは、困っている人のために、志・エネルギー・知識を使え)
私が民主主義政治を否定しない理由の一つは、次のようなことです。
民主主義政治においては、必ずしも最適の人を選べないこともありますが、政治家が“天狗”になると、いちおう、すぐに選挙で落とされます。その意味では、「比較的、有害なものを取り除きやすい制度」ではあるのです。そのところはメリットかと思っています。
“すぐに出来上がってしまう人”を、私は信用できません。
「よく勉強しました」と言う人がいます。そのことは分かりますが、よく勉強した人ほど、謙虚にならなくては駄目です。謙虚になって、自分の知らないところや分からないところをもっともっと勉強し、困っている人や、もっと大きな力を欲している人たちのために、自分の「知識」も「エネルギー」も「志」も使わなくてはいけないと思うのです。
今のエリートたちにはこのあたりが欠けているので、まことに残念至極です。
---owari---
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