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本物の理想と妄想を区別する方法

2021年11月14日 | 人生
(使命感が本物であるかどうかを試(ため)すのは「時間」)
「理想」を描ける人というのは、やはり、それだけでもう「使命の自覚」があると考えていいでしょう。使命感のない方は、理想が描けないのです。描いても、三日も続かないのです。もし、理想を描いたとき、それが一日や二日や一週間ではなく、一年、二年、三年と消えない理想があるなら、それだけで、やはり、そうとうの「才能」だと思います。

理想を描けるというのは才能です。ですから、そういう才能があって、何年も思い続けることができたら、その思いが本物である可能性は極めて高いです。極めて高い。

この次は、「実践」の段階に、もちろん入ってくるわけですね。
そのときに、理想と実践との間にギャップがあるのは当然です。これで、自分のその思いが、あるいはその使命感が本物であるかどうかを試すのです。試すのは「時間」なのです。これは、どのような人にも必ず与えられるのです。

本人が、「自分は本当にダイヤモンドとしての仕事ができるのか、あるいは河原(かわら)の石のようなかたちでしか世の中に出られないのか」ということを試す時期というのは、必ずあるのです。それは時間のなかで現れるので、まず理想が描けたら、次は、時間のなかで、「自分がその理想実現のために、どれだけ努力・邁進(まいしん)を続けられるか」ということなのです。

小さな使命であれば、三年もあれば何らかの結果が出るでしょう。小さなものであればですね。もっと大きなものであれば、やはり十年単位だと思います。十年間、その理想を持って努力し続けていける人は、必ず、その使命実現に何らかの足跡(そくせき)を遺(のこ)します。十年間続けられたら、必ず遺せます。

十年間、理想を持ってやれる、そして、それが成功しなくても実践を続けられるというのは、これは魂のよほど深いところに才能があるのです。絶対にあります。十年続けられるものだったら、捨てないで頑張っていただきたい。さすれば、時間は遅れますけれども、やがてかたちになって現れていきます。

(霊的世界では、念(おも)いがそのまま出てくる)
この「時間」の部分は、人為、人間の営みではないと思って、多少諦(あきら)めてください。「時間は天が決めるもの、大きなものが決めるもの」と思って、「その間、努力するのが自分の仕事」、そう思うことです。

最悪は、生きている間にかたちに出ないこともあります。「死んだあとから」という方もいます。天才たちはほとんどそうですね。同時代に認められることは少ないです。死んでからあとのことがあります。

その際には、やはり、自分自身の奥深いところでツルハシを打ち込んだときに、カチーン、カチンといつも当たるものがあったら、それを信じないとしかたがないのです。最後には、自分の心の奥底にあるその“金鉱”の部分、これにツルハシが当たっていると思ったら、やはり信じて掘り続けることです。生きている間に結果が出なくとも、必ずや、その姿勢はあの世に貫(つらぬ)いていかれると思います。

すなわち、霊的世界というのは、結果だけの世界ではないからです。
霊的世界の大部分というのは、「念いの世界」「動機の世界」なのです。「動機」「念う」ということ自体が、すでに霊的世界では「行為」に当たるのです。地上では結果が出なくても、地上を去った世界においては、結果が出たと同じことになるのです。

霊的世界では、「念い」というのはそのまま出てきます。百出したら百出てきます。地上では、百の念いを出しても、出てくるのは実際は三ぐらいであることが多いのです。結果として出るのは三ぐらいしかないので、あとの九十七は無駄に終わったと思うかもしれないけれど、実際は、霊的世界に還(かえ)ってみると、無駄ではないのです。その部分は確かに残っていたのです。「実現されたもの」として残っているんです。これを忘れないでください。

これが、「天の蔵に徳を積む」ということなのです。この世で全部使ってしまうのではないのです。使わなかった部分は“貯金”ができているのです。それを忘れないことですね。
そのように心掛けて生きてください。

---owari---

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