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福島の英雄たち

2022年03月15日 | 日本
自衛隊、消防庁、警視庁などの無数の英雄たちが、身を呈して福島第一原発事故の収拾にあたった。

(福島の英雄たち)
『福島の英雄たち』として、スペインのフェリペ皇太子からアストリアス皇太子賞を授与されたのは、身を呈して福島第一原発事故の収拾にあたった自衛隊、東京消防庁、警視庁などの5人の現場指揮官たちだった。10月21日、スペイン北部海岸沿いの都市オビエドでのことである。フェリペ皇太子は、「福島の英雄たち」をこう称えた。

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日本社会全体が見せた、冷静で自己犠牲的な対応にも光を当てたい。『福島の英雄たち』は、その勇気と寛大さで、社会奉仕や他人のために自分の命さえもなげうつ行いへと私たちを駆り立てる無私の精神の象徴です。
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「福島の英雄たち」とは、特定の人物を差してはいない。賞を受けた5人は無数の英雄たちの代表である。5人のうちの一人、東京消防庁ハイパーレスキュー隊、冨岡豊彦・消防司令(48)は、『英雄』の称号はわれわれだけではなく、すべての日本人に与えられたものだ」と語った。

そして冨岡さんは事故現場を振り返り、「子供たちに日本の未来を残したい一心だった」と語った。

(「前へ! 続け!」)
授賞式に参加した5人のうちの一人、陸上自衛隊「中央即応集団(CRF)」指揮下の中央特殊武器防護隊(中特防)の隊長、岩熊真司1等陸佐は、3月14日午前11時直前、福島第一原発の敷地内にある小高い丘に立っていた。丘の前には、1号機から4号機までの原子炉が立ち並んでいる。

そのうちの1号機は一昨日の水素爆発で、上部が吹き飛び、外壁の枠組みが無残な姿をさらしていた。岩熊の使命は、次に危ないとされていた3号機の冷却のための給水をすることだった。

この日、午前7時55分、東京電力は3号機が「原子力緊急事態」であることを官邸に通報していた。原子炉を守る格納容器内の圧力が、設計上の最高使用圧力を超えていた。このままでは格納容器が破壊され、チェルノブイリ原発のように、天文学的な量の放射性物質が大気中に吐き出されてしまう恐れがあった。

中央特殊武器防護隊とは、自衛隊の中でも、核兵器、生物兵器、化学兵器の攻撃に対処するための部隊で、化学を専攻してきた岩熊は一貫してこの分野のエキスパートとして歩んできた。

岩熊自身は科学者タイプの人間だったが、この国家的危機を乗り越える任務を命じられた瞬間から、毅然とした指揮官となった。大震災直後は、第2原発への対応を担当したが、その冷却機能の回復に見込みがついたことで、東電が担当していた第一原発対応の支援に回ったのである。

岩熊は4名の部下が乗り込んだ2台の水タンク車を率いて、自らは幌付きのジープに載っていた。彼らと同様、戦闘服の上に、放射線防護服と鉛入りのベスト、ゴム手袋を見につけ、さらに衣服の隙間はすべてテープで封印していた。

隊長として、安全な後方から指示する、あるいは放射線を8割カットできる化学防護車に乗るという道もあったが、岩熊は部下と同じ危険に身を晒(さら)すことを選んだ。それが「指揮官」としてのこだわりだった。

「前へ! 続け!」 岩熊はハンディー・トーキーによって、後続する2台の水タンク車に命じた。

(爆発)
一隊が3号機に近づき、車から降りて水タンク車のホースを給水口につなげようとした瞬間、強烈な爆音と爆圧が襲った。3号機の建屋が1号機と同様に、爆発したのだった。

建物のコンクリート壁が四方に吹き飛び、黒煙が周囲を漆黒の闇に包んだ。隊長車のジープは爆風で吹き飛ばされ、海側の側溝の中に叩きつけられた。その上から瓦礫とコンクリートが激しく降り注いだ。

岩熊はジープの運転手に「装備品、残置。退避」と怒鳴り、ドアを何度も蹴ってこじ開け、瓦礫の中を脱出した。そして、猛烈な黒煙の中で、水タンク車を探した。

2台の水タンク車も爆風で跳ね飛び、タンク部分がくぼみ、左車輪が破裂して、傾いたままとなった。

幸い、部下たちはそれぞれ運転席から這い出していた。全身、真っ黒な埃にまみれ、瓦礫に刻まれたのか、防護服はズタズタだった。岩熊は自分の防護服も同様にズタズタになっているのに、気がついた。

岩熊は軽傷だったが、部下の一人は、右足に裂傷を負って出血している。他の一人は苦悶の表情で右足を押さえ、もう一人も顔を歪めて左肩を押さえていた。

高濃度の放射線が漏れているかもしれない。2度目の爆発があるかもしれない。岩熊は部下たちに叫んだ。「退避。急げ!」

別の原子炉建屋で作業していた東電と協力会社の社員、十数名が必死の形相で、逃げてきた。

岩熊は、黒煙が充満する中で、必死にあたりに目をやった。4号機の横で、無人の大型トラックが目に止まった。急いで駆けつけると、幸運にもエンジンキーが刺さっている。

東電とその協力会社社員で、自力で歩けない人を救出し、残りをトラックの荷台に載せて、岩熊の一隊は避難した。

(「中特防の士気は逆に上がっています!」)
その間にも、3号機の燃料プールでは、水が蒸発して、燃料棒が露出している可能性がある。そうなると、核反応が起きて大量の放射性物質が放出されるだけでなく、メルトダウンが起きてしまう。国内外のマスコミも、二度の爆発をセンセーショナルに扱い、世界が原発事故の行方を注視していた。

17日午前9時40分過ぎから、中央即応集団の2機のヘリコプターが、合計30トンの海水を汲み上げて、3号機の燃料プールめがけて放水をした。高いレベルの放射能を全身に浴びながらの作業だった。さらに警視庁機動隊の高圧放水車が3号機に向けて、地上から4トンの海水を放水した。

それに続いて、中央特殊武器防護隊の2台の化学防護車と5台の航空基地消防隊の消防車5台が控えていた。

「中特防の士気は逆に上がっています!」との現場からの報告に、防衛省のシチュエーション・ルームに詰める防衛官僚たちは驚いた。岩熊隊長が直々に部隊を率いて、自ら死地に飛び込んだことで、隊員たちに勇気が生まれていたのである。

すでに全国の師団に対して、特殊武器防護隊と化学防護隊を岩熊の指揮下に差し出すよう、命令が下されており、全国から膨大な数の人員と装備が、福島を目指していた。岩熊は一気に約4百名もの部下を持つことになり、その部隊は「放水冷却作戦部隊」と名付けられた。

(「お父ちゃんを行かせてくれないか?」)
政府と東京電力の対策統合本部から出された命令は、「3号機を冷やせ!」というものだけだった。3月17日午後4時16分、中特防の5台の消防車とそれを前後で守る2台の化学防護車が出撃した。

消防車に乗っているのは、化学科の専門部隊ではなく、全国の航空基地の消防隊員だった。航空機の離着陸時に待機し、万一の火災に備えるのが本来任務である。放射線防護の訓練などは、やったことがない。それでも決死隊として志願してやってきた男たちである。

志願した動機を、一人の隊員はこう語る。
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小学生の息子は反対しました。何で父ちゃんが行かないといけないのかと。子供ながらにわかっていたんです。だから言ったんです。お父ちゃんはな、今まで役に立つ男かどうか悩んでいた。

だから、今回、行けば、誰かの役に立てる、男になることができる。だから、お父ちゃんを行かせてくれないか? 息子はなんと? がんばってね! そう笑っていってくれました。
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(「1号車、前へ」)
先導する化学防護車が、3号機に近づいた。3日前、岩熊らが水素爆発に見舞われた地点の近傍である。

「1号車、前へ」と後方に控えていた消防車に命じた。化学防護車の中では、隊員の体に装着した放射線検知器の警戒音がピーピーと鳴り止まなかった。

「1号車、放水開始」 1号車の運転席の上に設置されていた放水ノズルから勢い良く水が放たれた。しかし、3号機の上では霧状となってしまう。そのままタンクの水がなくなってしまった。

「2号車、さらに前へ!」 2号車は建屋の数メートル前に近づいて、放水を始めた。太い束の水が一直線に3号機の上に降り注いだ。
大きく白い煙があがった。届いた。燃料プールの中で、一部がむき出しとなった高温の核燃料棒に水が当たって、水蒸気が発生したのだ。

消防車は次々と入れ替わって、放水を続けた。しかし後に続いた消防車では、予想もしなかった事態が発生した。大量に発生した水蒸気によって、周囲の温度が上昇し、分厚い防護服の中で隊員たちの体から汗が吹き出した。汗は我慢できるが、ゴーグルが曇って、操作盤が見えない。

隊員はマスクを外した。放射性物質が撒き散らされている中で、素顔のまま、ノズルを操作して、3号機の燃料プールめがけて、放水を続けた。

その数時間後、福島第一原発の放射線量が確実に下がり始めた。自衛隊の放水冷却作戦によって、燃料プールに水が入った証拠である、と政府は発表した。

(「現地の司令官は私です」)
しかし放水活動を続けなければ、すぐに燃料プールは干上がって、核燃料棒がむき出しになってしまう。

東京消防庁スーパーレスキュー隊も駆けつけた。高層マンションの消火に威力を発揮する屈折放水塔車、スーパーポンパーと呼ばれる大量送水車など30両である。

スーパーレスキュー隊は、自衛隊の指揮下に入るよう指示された。消防庁が自衛隊の指揮下に入るのは、史上初のことであったが、決死の作戦を行う者どうし、思いはすぐに繋がった。

翌日、自衛隊の2回目の放水活動の後で、スーパーレスキュー隊が出動した。しかし、スーパーポンパーのホースを海からつなぐためには、車から出て作業をしなければならない。しかも、その地点は約300ミリシーベルトもの放射線量を記録していた。結局、ハイパーレスキュー隊は放水活動をできずに、後退した。

対策統合本部で、それを聞いた海江田・経産大臣は「そんな臆病な指揮官、代えろ! ハイパー隊は下がれ! 自衛隊と代われ!」と怒鳴った。いつの間にか、大臣が指揮官になってしまっている。周囲の違和感を込めた視線を感じ取った大臣は、「これは総理の命令だ!」と言った。

その命令が、現地で総指揮をとる中央即応集団の田浦副司令官に伝えられた。田浦の横で、携帯を通じて海江田大臣の「命令」を聞いていたハイパー隊長は「この作業は、今晩、絶対に我々が行う! 我々に突っ込ませて欲しい!」と田浦に訴えた。ここで引き下がったら、全国15万人の消防士のプライドがズタズタになる。

田浦は「命令」に対して、こう答えた。
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大臣にはこうお伝えして頂きたい。現地の司令官は私です。その私が判断するに、自衛隊を投入するには準備に時間がかかるほか、消防の車両が道をふさいでいて、交替には時間がかかります。しかし、何より、このまま消防が実施することによって、大量の放水ができ、より効果的です。ハイパーレスキュー隊に行かせます。
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田浦が通話を終えた瞬間、ハイパー隊の隊長は「ありがとう!」と田浦の両手を握った。その目からは涙が溢れていた。

(「それが自衛隊の意志であり、誇りなのだ」)
こうした武人たちの命懸けの働きによって、福島第一原発の危機はなんとか克服できた。しかし中央即応集団の任務が終わったわけではない。

第一原発の南40キロの地点で、約200名の部隊が待機している。第一原発のいずれかの原子炉が暴走する事態に備え、その際に原発に突っ込んで、東電社員、協力会社社員の救出、搬送を行うためである。

さらに第一原発の周辺8カ所に、除染所を残してあり、全国の化学科専門部隊が交替で張り付いている。その除染所には、中央即応集団・宮島司令官から次のような命令が出されている。
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30キロ圏内にある除染所の化学科専門部隊が撤退するのは、圏内のすべての住民が避難を終わってからだ。それまでは絶対に引かない。何があろうが絶対に撤退してはならない。それが自衛隊の意志であり、誇りなのだ。
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無数の「福島の英雄」たちは、今も黙々と任務に取り組んでいるのである。
(文責:「国際派日本人養成講座」編集長・伊勢雅臣)

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